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見知らぬ人たちの温かみ コンタクトを落としたときの話

これは、すいぶんと前。まだ娘が私のお腹の中にいた頃の話。

その日は朝から土砂降りの雨だった。
妊婦のウォーキングついでに買い物をし、荷物を持ちながらの帰り道。

左の腕に荷物を通し、肘を曲げて傘を持つ。
傘の金属の柄の部分は、ちょうど私の顔、左の目の前あたりにあった。

人通りの多い駅前広場に差し掛かったとき。
すれ違う誰かの傘と私の傘が触れて、傘の柄が、私の顔にポンッと当たった。

一瞬だった。

次の瞬間、左目の視界が磨りガラスのようにぼんやりしてしまった。

(あ、コンタクト、ずれた?)

急いで目を動かしたり、手で目の周りを確認する。
(あれ、ないぞ…)

そう。
当たった衝撃で、コンタクトは私の目から、飛び出してしまったようだった。

そこは雨の駅前広場。
たくさんの傘、たくさんの人。

とりあえず、前に飛び出たお腹とか、自分の服についていないか確認したけれど、コンタクトは見当たらない。

その場にしゃがむ。

運の悪いことに、私が立っていた足元は、駅前広場の床タイルのへこみのせいで、大きな水たまりのような場所だった。

(今、落ちたばかりだ。どこかにあるはず…)

私はお腹が邪魔ながらも、水たまりの中を、まじまじと探した。
少しずつ探した。

「どうしたんですか?」
ふと、女性二人組に声をかけられた。
「傘にぶつかって、コンタクト落としちゃって…」
私がそういうと、その二人は、無言で隣にしゃがみ込み、私のコンタクトを探し始めてくれた。

なんて優しい人たちなんだ…

雨なのに、私が落としたコンタクトを探してくれる。
ありがたい話だ。

(でも、あまり時間を取らせちゃいけないしな、早くみつけないと)
私はさらに本気になり、地面に水色の小さい丸の姿を追った。

そこが駅前広場ということもあり、人はひっきりなしに行き交う。

3人の女性が水たまりの前で、しゃがんで何かをしている光景は、どうしたって目を引いただろう。
そして、3人のうちのどの人が主として、何をしているのかもわからないが故に、
「何してるんですか?」と、私ではなく、手伝う二人の女性の一人に質問する人。
「あの方のコンタクトが落ちちゃったそうで…」
「それは大変だ…」

そうやって、人の連鎖が連鎖を生んだ。

必死に探す私が、ふと顔を上げると、
そこには、
「水たまりの周り一周を、見知らぬ人たちがしゃがんで囲み、私のコンタクトを探す」
という、そこそこの集団が出来上がっていた。

いろんな感情が、一気に私の中で渦巻いた。

単純な驚き。
大きな人の心の温かさへのありがたみ。
なんだか、何かの主人公になったようなこっぱずかしいような嬉しさ。
これって、人の列や人だかりを見ると何?何?って気になる心理効果?という疑問。
そして、早くみつけないと申し訳ないし、収拾つかなくなるな…という焦り。

そう思っているうちにも、人がどんどん増えていく。

(やばいやばい…なんとか早くみつけないと…見つかってくれ…)
(冷静になれ…視界がぼやけてから、歩いてないんだ…自分の足元を、もう一度入念に…)

必死に水に沈んだ地面を見た。
もう、目に穴が開きそうなほど見た。

そしてついに、うっすら水色を帯びた、丸いガラスをみつけたのだ!

「あった…!!!!」

思わず私は、手に取って立ち上がり、声を上げていた。

そうすると…

パチパチパチパチパチ!

水たまりの周りから、大きな拍手が起こった。

雨の中、みんな傘を肩に挟み込み、笑顔で拍手を送ってくれていた。

きっと私が「あった…!」と言って初めて、
私が「事の発端の人」だったのか、と気づいた人もいたに違いない。
探しているものが、何なのかもわからずに、探してくれていた人もいたかもしれない。
もしかしたら、最初は探してくれていたけれど、時間になっていなくなった人もいたかもしれない。

そんな、いろんな見知らぬ人が、私に向かって、一斉に拍手をしていた。

舞台ですごい演技をしたわけでもないのに。
ブラヴォー!な演奏を終えたわけでもないのに。
胸に迫るような演説をしたわけでもないのに。

ただ、コンタクトを落として、自分でみつけただけなのに。

なんでもない私のために、拍手をしていた。

水たまりの周りに、丸い大きな温もりがあった。
確実にあった。

「一緒に探してくれて、ありがとうございました!」
「本当にありがとうございました!」
「お時間取らせてすみませんでした!」

どんな言葉も、足りない気がした。
どんな気持ちも、この大きな温もりに適わない気がした。

見知らぬ人たちは、自分たちの時間へ戻っていった。
フラッシュモブが終わって、演技者がはけていくように。

* * *

実を言うと、みつかったコンタクトは、欠けてしまっていた。

けれど、私は見知らぬ人たちから、大きな温もりを得た。
プライスレスっていう、大切な心の糧だ。

あの時の感覚だけは、忘れたくても忘れられない。
そして、まさに「筆舌に尽くしがたい」感情だ。

それほどに、本当に「ありがたい」ことだった。

その心の糧を、私もまた、誰かの「見知らぬ人」として、使っていけたらいいな、と思う。

サポートしていただける、というありがたみ、深く心に刻みます。 子どもに繋いでいけるよう、子どもにいろんな本を買わせていただくのに役立てようと思います。