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ロンドンで展示やってみた話


喧騒にまみれたクロージングパーティーも終わった次の日。なんか、すごいセンチメンタルになったから書き残しておくことにする。

hARTslane gallery @ ロンドン

展示をしていたギャラリーの前で撮った写真。ここ1週間、いや2週間ぐらいずっとこの展示のおかげでバタバタしていた。自分の作品もつくらなくてはいけない中で、はじめての挑戦だった。忙しかった。不安だった。

キュレーション・展示プラン・コンセプトを考えるとなると、自分の意見や感想を伝え、話し合いを回していく立場に立つため、必然的に話し合いの中心に立ち、その分英語を話す機会も増える。それに伴い、自分以外がほとんどネイティブの状況下で、特に言語のバリアーをすごく顕著に感じていた。自分の言いたいことがうまく伝わらない、その人の作品の好きなところを伝えることが難しい。友達たちが自分の拙い英語を理解しようとしてくれるのを見て申し訳なくなる時もあった。

でも、一緒に展示作っていた友達たちは、「つまりこういうこと?」とか「ここは、こうでいいんだよね?」と丁寧に接してくれていた。感謝しかない。
時には、正面切って「よくわからない。もう一度言ってもらえる?」と聞き返してくれた。その子とは、結構衝突することもあったけれど、それはある種、相手が自分のことを対等に扱ってくれているからだと思う。

 写真は、展示の準備を終え、ギャラリーの前でタバコを蒸していた時のものだ。当日の空をながめているとセンチメンタルになっていた。クロージングパーティーも近づき、段々と陽が落ちていく空に風が吹いて、少し肌寒かった。空を見ていると、「あー自分は今イギリスにいて、展示を企画したのだ」となんだか改めて思い返してしまった。
 中学生の時に、関心もなく始め、だらだら続けていた野球チームの練習中のことを思い出した。真夏のむせかえるような暑さの中、レフトフィールドから芝生の先に伸びる空を眺めては、「この空はフランスと繋がっているのかと」と思っていた。(なぜフランスなのかは覚えていないが)ボールが来ているのにも関わらず、フランスの人々は今寝ているのか、とかニューヨークの人でオニオンサンドを頬張っている人のことなんかを想像していた。
―自分の立っている世界に窮屈さを感じながら。


片道切符(まあ日本に夏帰るけど)で日本を後にして、ロンドンに来てから7ヶ月がたった。あっという間で、憂鬱な冬も通り過ぎ春の芽が咲きはじめようとしている。ロンドンは相変わらず曇天だが、もはやそれも愛おしい。高校を卒業してから、たくさんの知り合いを日本で作りそれから飛び出してきて、制作・大学のコース選抜などのカオスな日常の中を通り過ぎる中で、ずっと拭いきれない不安があった。自分は、この数ヶ月で何を得ているのだろうか、成長することができているのだろうか、経済的なリスクを冒している以上、吸収できるものは吸収しようする焦りみたいなものがずっとあった。それはもしかすると自分のことに加えて、日本のことを考えているという若気の無鉄砲さからくる野心なのかもしれないが。

 しかし、こうして一つのことを成し遂げてみて、いざ後ろを振り返ってみると、実際に自分が思っていたよりも遠くにいることを実感した。卒業してからイギリスにくるまでの夏の間、展示を企画して見たい思いでうやむやしていた。何も知らない状態だったのが、展示を企画し、プレスリリースを描き、インストールの仕方を少し覚え、いろんなところに散りばめていった足跡が少しづつ近づいていき、ようやく自分の歩いている場所がわかったような気がした。もちろん今回の展示は、制限の中で行ったためキュレーションとして呼ぶのすら怪しい部分もあるなど、もっと改善できると思う。 
 でもそれ以上に、自分の成し遂げられたこと、今まで頭の中に残っていたへジーな焦げ臭さと一緒に焦りがゆっくりと解けていって、自分のやりたいことが見えてきたような貴重な体験だったと思う。



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