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"ない"ことって、本当はすごく豊かだ カンボジアの暮らし方2
町の中心に、大きな市場があった。そこに行けば、何でも売っている。
少し薄暗いコンクリート造りの建物は細い通路で区切られていて、ありとあらゆるお店があった。
携帯電話、化粧品、金のアクセサリー、乾物、調味料、漬け物、お菓子、布、服。外側には米、肉、バナナ、卵、外に出るとトタン屋根の下で野菜や果物や魚を売っている。メインの建物の脇にも、金物、食器、文房具、おもちゃ、工具、などなど、たくさんの店が軒を連ねていた。
何でもある。
でも、ない。
ふわふわのタオルも、コットンやリネンのシーツも。料理がおいしく見えるお皿も、100%安心して買えるお肉や魚も、新鮮な牛乳も、噛みしめると小麦の味がするパンも。
住み始めた当時は、外食もほぼローカルレストランだけだった。(おいしくて大好きだけど、油やうま味調味料が苦手な私は毎日食べたらお腹をこわした。)
なんと、そんなカンボジアが憧れのひとり暮らしデビューだった私は、毎日過ごす家を快適にしたくて、首都のプノンペンやアンコールワットのあるシェムリアップで、キルトのクッションとかクメール文字の模様の器とか、素敵なものを見つけては買っていた。これだ、と思う好みのものを見つけるのがとても楽しかった。
食べ物も然り。
都会のスーパーに行くときにはいつも、なめらかなお豆腐やねぎ、カレールー、味噌、パスタ、インスタントラーメンなどなど、食材を買い込んで持ち帰った。なしとかごぼうとか、普段見ないものをたまに見つけるとテンション爆上がり。それだけで幸せな気持ちになった。
おいしいパンにはなかなか巡り会えなかったので、クックパッドで調べてベーグルを焼いてみることにした。
小麦粉、ドライイースト、豆乳。目分量でちょうどいい量がわかるくらい、何度も作った。材料を混ぜて発酵させて、形を作ってもう一度発酵させて、はちみつを入れたお湯でゆで、トースターで焼く。外がかりっと、中はもちっとでとてもおいしい。コンビニで売っている缶の甘い豆乳がいい仕事をしてくれるのだ。
焼きたてもおいしいし、次の日にトースターで焼き直したときの、表面がさらにカリッと甘くなる、あの味。
今でこそ、プノンペンには大きなイオンモールがあり、日本クオリティのものがいろいろ買える。私がもし今カンボジアにいたら、洗剤とか調味料とかを買いたい。酵母で作ったパンを売っているパン屋さんもできた。スターバックスだってある。
私の住んでいた町もどんどん変わっていった。ホテルのレストランでカフェラテが飲めるようになり、パスタやハンバーガーが食べられるお店ができ、今ではおしゃれなカフェもある。
だけど、当時の、あまり選択肢のなかった頃に住むことができてよかった、と本気で思っている。
あるもので、何が作れるか。例えばベーグルみたいに、こんなものも作れちゃう!と発見して、作って、食べて、おいしかったときの喜び。材料がいつでも手に入る日本では、味わえない感覚だ。
コンビニでコアラのマーチを見つけたときの感動も。
食べ物に限らず、本でも服でも何でも、選択肢が少ないと本当に欲しいものが見えてくる。ものが溢れていると、何でも選べるようでいて、実は本当に欲しいものが見えなくなるのだ。田舎の、特別なものは何もない町に住み、当時はプノンペンへ行っても欲しいものが簡単に見つかるわけではなく、ない中でよりよい暮らしをするにはどうしたらよいか考えて過ごした日々は、不便なようでとても幸せな毎日だった。その不便さを味わうためだけにもう一度海外に住みたい、とすら思えるほどに。
当時買って家で使っていたお気に入りのものたちは、持って帰ってきて今でも大切に使っている。日本で、街にあふれているおしゃれなものたちと比べてみても、やっぱりとっても素敵で、愛おしい。
※この記事では"ないもの"にフォーカスして書きましたが、大きなカゴとか、ゴロゴロするのに最適なゴザとか、優しい甘さのヤシ砂糖とか、おいしいおいしい南国の果物とか、そこにしかない魅力的なものもたっくさんありました!
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