見出し画像

人生=(^.^)=終活について

おはようございます☀
今日も一日頑張って下さいね😊

今日は、私の終活について、お話し致します。

昨年の12月28日に、最愛の母が他界しました。
母の様子が、おかしいと気付いたのは、その一年前の12月の中旬でしたが、私と母が、住んで居る場所的な、問題もあり、緊急事態宣言の中、県を跨いで簡単に行かれない時期でもありました。
私は、仕事も毎日忙しく、合間に電話をして、様子を聞くぐらいしか手立てがなかったのです。
しかし、電話中でも、気分が悪いからと電話を切る有様で、社長に状況を説明して、毎月、20〜24日迄休みを貰い、母の元へ4日間だけ通いました。
母は、毎回、私は、この家で、一人で黙って死んで行くから心配しないで良いなんて言っていましたが、それは、孤独死になるからやめてほしいと、お願いして、電話が、出なくなった去年の夏に、慌てて、神奈川迄行き、倒れていた母を入院させて、一度沼津に戻り、子供達と相談して、退院と同時に、私が、母の元へ行って、最後まで介護をする事にしました。
何十年も一人暮らしだった母は、ずっと淋しさを抱えて生きてきたんだと、感じた瞬間でした。

食べたら吐くの繰り返しで、訪問看護をしてもらっていましたが、私は医師ではないので、母がどんなに苦しくても、何もしてあげられない悲しさがありました。
先生からもそろそろ、心の準備をしておいて下さいねっと言われ、母と目を見て最後のお別れをしました。
お母さん、私を産んでくれて有難う、とても感謝してるからね😭
最後の時に間に合わなかった時の事を考えて、母にお礼を言い、1週間経たない内に入院になり、最後を迎える結果になってしまいました。
私は、母と一緒にいれた数ヶ月、食事や、お風呂、常に吐いてしまう事で謝る母を介護していて、後悔は何もしてなく、逆に、自分が出来る事をやってあげられて、良かったと思っています。
だって母だって女性ですから、他人に面倒を見られて恥ずかしい思いをするくらいなら、娘の私に、面倒を見られた方が良かったんじゃないかと、今でも思っています。

ちゃんと母の両手を握りしめて、泣きながら、有難うが言えて幸せでした。
終活の事を本気で考え始めたのは、この時です。

自宅に戻り子供達に、お母さんがもし痴呆症になったら、施設に迷わず入れて欲しい、もし癌にまたなった時は、治療はしないで緩和ケアーで、逝かせて欲しいと、お願いしました。

現在家には、長男と次男しかいない為、少しお金はかかりますが、子供やお嫁さんの手を煩わせない様に、そんな選択をしてみました。
勿論、長男は、反対していましたが、人としてこの世に生を受けた時から今度は死に向かって歩いて行く訳ですから、自分の最後ぐらい自分で決めたいと思っています。

最後は子供達に見守られながら、手を握られて、逝けたら幸せです。


最後迄、ご覧頂き有難うございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?