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トイレと母と痛み

気づいたら約2か月、トイレ掃除が続いていた。

この記事を書いた日からほぼ毎日欠かさずトイレ掃除をおこなっている。気持ちがいいからとか、始めたら運が周ってきてやめられなくなったとか、そんなことは何もない。けれどもなぜか続いている。

2か月近く続いたなら習慣といってもいいのだろうか?
3週間続いたら習慣になるなんてことも言われているが、気持ち的にはまだな気がする。習慣のイメージは、何も考えず自然とそれを行いはじめることなのだが、毎朝トイレをみて時計を見てから「やろうかな」と考えているから少し違う気がしている。

この「やろうかな」の後にめんどくさいが来ることももちろんあるが、それでもサボらず続けているのはやっぱり母を思い出すから。

ブータンに来て、家族や親戚と過ごす時間を大切に当たり前に思っている人々の姿をみてから家族が恋しくなる。私は両親兄弟と仲は悪くないが、本当に連絡をとらない。事務連絡と緊急時の生存確認を除けば年に2回ほどしか電話をしていなかった。LINEも3か月に1度くらい。もっと少なかったかなあ。日本で一人暮らしをしていた当時はそれでよかったし、むしろ世話を焼きすぎない距離感で見守ってくれていることをありがたく思っていた。

ただ海外に来てもその連絡頻度は変わらなかった。私が飛び立ってから約5か月が過ぎようとしているが、電話は1度もあっちからない。LINEでの生存確認は以前より増えたが、それでも5か月で3回程度。
最近気づいた。私はそれが寂しい。連絡をとらなくても親からの愛情に気づけてはいるのだが、感じれていないのかもしれない。それをトイレを掃除しながら両親を思い出すことで、昇華しているのかも。

最近、タロットを利用したカウンセリングを受けた。出たカードから自分を掘り下げて質問をしてもらい、自分のことを振り返っていく。すると必ず、両親の話をしようとするときに涙が出る。カウンセリングを受ける前から分かっていたのだが、私の中で親の話は琴線に触れる。感謝していること、幸せだったことを言おうとしても涙が出る。ただそれがなぜだかわからなかった。それが今回のカウンセリングでなんとなく理解できた気がしている。自分の人生の信念「本音で生きる」が親に一番できていないから、それが私を苦しくさせている。まずはそこから、と思い自分から母に電話してみた。友達と会食中で、サクッと切られた。負けじと次の日も電話してみた。こっちのことを矢継ぎ早に質問してきて、話すことがなくなったあたりで体に気をつけてと電話を終わらせる雰囲気にもっていかれる。

あ、これだ。わたし話を聞いてもらえてなかったんだ。だから自分のことを話さなくなっていったんだ。聞いてもらえないことが悲しくて、聞いてもらえないんじゃなくて話していないだけ、って思いたくて本音を隠すほうに行動してきたんだ。そう思った。
気づいたから、だから、次はその話を母にしてみよう。自分が次のステップに進むために。とても幸せなことに、母は私のことを信頼して、評価して、愛してくれている。それでもこうやってこじれることがあるのだから、何かを学ぶため・成長するために親を選んで生まれてきたなんて、よく言う話もありえるんじゃないかなーと腑におちる。

友達にも、恋人にも、相手の話を聞くことを大事にしていた。知らず知らず、自分がされたいことをやっていた。けれども自分が話したいという気持ちを素直に聞いてあげれたことは少ない。もっと話そう。自分のために。

私の習慣になりきれないトイレ掃除には母への痛みが隠れていた。


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