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8月の甘い夜 #3

早くも奥さんお手製のレモンサワーをお代わりした。
アルコール少な目とはいえ、ほぼ初対面の会社のプチお偉いさんの家なのだから、粗相だけはダメだぞ、と心に言い聞かせる。

「飯嶌は苦手なもの何かあるか?」
「いえ、なんでも良く食べます」

2人はまた笑った。

「若いっていいな」
「お2人だってまだお若いですよね!?」
「飯嶌は朔太郎の同期だと5年目か。育ち盛りだな」
「そういえば私が退職したのは6年目だったわね」
「あ、飯嶌。お前は辞めるなよ。これからだからな」

そう言ってまた2人は笑う。
笑顔の多い家庭って、こういうことかな、と思う。

「あの、お2人は結婚されてどれくらい経つんですか?」
「2年半かな。年末で丸3年ね」
「ケンカとか全然しないんですか?」
「するわよー。どうでもいいことばかりだけど」

奥さんがよく話してくれる。野島次長は肩をすくめて困ったような笑顔を浮かべている。

「飯嶌は彼女とかいるのか?」

野島次長が訊いてきた。

「はい…最近やっと出来ました」
「あら。飯嶌くん、モデルさんみたいにキレイな顔してるから、引くてあまたなんじゃない? 理想が高かったんじゃないの~?」
「いえ! そんなこと全然ないです。僕、同期にも言われてるんです。黙ってりゃいい男なのにとか、残念なイケメンとか」

2人は大笑いした。「酷い! さすが同期って遠慮がないわね」
「なんだ。異性が苦手とかか?」
「苦手なんじゃないんですけど…相手は話しててもつまらないんだと思います」
「営業職なのに」
「法人相手だとそんなに営業トーク頑張らなくてもいいって言うか」

野島次長は呆れたようにため息をついた。
「じゃあうちの部へ来るか?」
「えぇぇっ!? 無理です!」

即答すると、プッと奥さんが吹き出した。

「遼太郎さん、あまりいじめたらダメよ」
「いじめてないだろう」
「今は口より手を動かして。みんなお腹空いちゃう」

野島次長は口をへの字にした。奥さん強い。

やがてテーブルにご馳走が並んだ。
子供っぽい言い方だが、それ以外の表現が見つからない。

お鍋ごとドカンと出てきて、色んなものが入っているのはサラダだと説明してくれた。

野菜の他にきのこ、ポテト、チーズ、ベーコン、砂肝、ポーチドエッグ、クルトン代わりにちぎったバゲット…こんなサラダ見たことないと思ったら、2人がパリに旅行した時に入ったビストロでこんなサラダが出てきて、とっても美味しかったから真似をしたんだとか。

他には夏野菜がたくさん入ったミネストローネ、バジルソースのカッペリーニ、ラムチョップ。串焼きになっているのは何かと思ったら、フルーツだった。お砂糖をちょっと振りかけてバーナーで炙った、とのこと。

「うわわ、マジすっげーな…」
「お口に合うといいんだけど。飲み物どうする? 私はアルコール今はダメだけど…遼太郎さんはワイン、開ける?」
「飯嶌次第だな。さすがに1人で1本はな」
「あ、僕は…あ、あの、大切なワインをいただくのは恐れ多いですが、次長が召し上がるのならお供させていただきます」

野島次長はまた笑う。「そういうところは営業マンっぽい言い草だな。お前ホント面白いな」
「面白くなんか…ないです」

僕の前にもワイングラスが置かれ、キレイなルビー色が注がれた。
「じゃ、乾杯の挨拶は飯嶌に頼む」
「えぇっ!? 僕がですか? 奥様の誕生日、ですよね?」

そうだよ、と野島次長は済ました顔をし、ソファにいた猫を拾い上げて、自分の胸の前で抱きかかえた。
奥さんはニコニコしている。
仕方なく僕は立ち上がり…そこで座ったままでいいと制された。

「あ、では奥様…、お誕生日おめでとう、ござい、ます…」

探り探り、上目遣いで言うと、グラスが重なった。
「乾杯!」

猫も『ニャー』と声をあげた。猫用のご馳走のお皿もあって、次長が猫をおろして、お皿を床に置いた。

ワインも料理も最高に美味しかった。
鍋にモリモリのサラダをお皿に取り分け、何ならそこに串焼きフルーツも混ぜてしまったけれど、それが最高に美味しかった。

「うわーなんだここは。フレンチレストランか!」

僕が天を仰いで言うと、2人はまた笑った。

「男2人いることを想定してた量だから、飯嶌くん来てくれて良かったわ」
「むしろすみません、全然部外者なのに。どれもめちゃくちゃ美味しいです!」
「ケーキもあるからね」
「いただきます!」

その時の僕は最高の笑顔だったらしい。あとで野島次長に言われた。

「そういえばプレゼントとか、渡さないんですか? 次長」
「飯嶌が帰ってから渡すよ」

野島次長は少し照れくさそうに言った。

「うわ、ずるいな。僕、乾杯の挨拶したんすよ。どんなプレゼント選ぶのか参考にしたいし、知りたいなぁ」
「お前、もう酔ってきたのか」

苦笑いする野島次長は “仕方ない” と席を立った。
猫が次長の後をついて行った。

「いい仕事してくれたわね、飯嶌くん」
奥さんはにこやかに言った。

「いつもどんな物をもらったりするんですか?」
「そうね…初めて貰ったものは、このピアスよ」

そう言って奥さんは髪をかき上げた。

耳たぶでゆらりと揺れた赤い石。

僕は少しドキリとする。
かわいい感じの人がこんな風な色気を感じさせると、ドキドキするだろう、誰だって。

「初めてってことは…結婚前ですか?」
「うん。6年前になるのかな」
「今でも着けてるんですか?」
「特別な日はね」

僕は素直に感動した。
6年も前に贈ったものをこんな風に大切に持って、しかもいざと言うときに着けてくれるなんて。
僕だったら今すぐ抱きしめてしまうだろう…経験はないが。

そこへ野島次長が戻ってきた。猫も一緒についてきた。
めっちゃ次長に懐いてる。

「昔話の方が飯嶌の役に立つんじゃないのか? 結婚してからは、ときめくようなもの、あげてないもんな」
「そんなことないよ」

2人の目が合って、お互いが柔らかに微笑む。
うわわわ。なんだよ。ラブラブ過ぎだろ。

野島次長が差し出したのは、小さな箱だった。
Dior とある。
奥さんが箱を開けると、ルージュだった。

「あ、いい色。似合うかな?」
手元のスマホを鏡代わりにして、サッとその唇に引いた。
「えへ、食べてる最中だけど。どう?」
「いいんじゃない?」

奥さんは僕の方も見て “どうかな” と訊いた。

赤ではない。ピンクでもない。オレンジでもない。何色なんだ。
僕はその辺、とんと疎い。
ただ「口紅」のイメージするケバケバしさはなく、自然に馴染んで奥さんの明るい表情を引き立てたように見えた。

「いや、もう最高です」
僕の言葉に2人とも吹き出した。

「あの、次長はこれをご自分で買いに行くんですか?」
「そうだよ」

当然だろ、と言う顔をする。

「化粧品売り場に行くの、恥ずかしくないですか? なんていうか、化粧品ってよくわからないし…匂いもすごいし…店員さんの圧が怖いなぁって」
「まぁな。でも恥ずかしくはないよ。好きな人を綺麗にしてくれるアイテムなんだから。俺もセンスはないから、店員さんとか、同僚とかにも相談するよ」

僕は呆気にとられた。

まだ結婚して2年か3年かもしれないけど、奥さんのことをこんな僕の前でも “好きな人” って言えちゃうのか…、と。

「この人、恥ずかしげもなくそういうこと言っちゃうから、ちょっとビックリするでしょう」
僕の心を見透かしたかのように奥さんが言った。

「飯嶌も彼女にあげるプレゼントで悩んでるんだったっけか」
「あ、まぁ、そうですね…」
「そういえば付き合い始めたばかりって言ってたわよね。どんな馴れ初めなの? 訊いても?」
「あー、はい。さっきのスーパーで働いてて、そこで知り合ったんです」
「えぇ? じゃあ私も見かけたことある人かもね! もしかしてさっきもいらしたの?」
「あると思います…遅い時間はレジとかやってました。社員なので、色んな持ち場を掛け持つみたいですけど。今週来週は研修で、別店舗に行ってるんです」

そっか、残念、と奥さんが言った。

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つづく

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ここで登場した鍋のサラダにフルーツの串焼きは、以前私がパリでお気に入りの店だった「L'estaminet」という店で食べたものです。
数年前にオーナーが変わったようで、サラダレスタミネは姿を変えてしまいました。

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左上がサラダレスタミネ。右はタルタルステーキ

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フルーツの串焼き

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