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【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Childhood #9

梨沙が10歳、蓮が8歳の春に家族は日本に戻ることになった。梨沙小学5年生、蓮小学校3年生に編入する年だ。

以前の都内の住まいは春彦(元々マンションは夏希と春彦の共同所有)に譲り渡したため、一家は新しい家を探さなくてはならなかった。

梨沙の感覚敏感と蓮の習い事の関係で部屋数を増やしつつ、遼太郎の弟・隆次の近所にしたかったことから以前と同じ区内で探し、やや苦労したが何とかマンションを探し当てた。

そして、問題は帰国子女がどの学校に編入するか。
普通の公立小学校か、インターナショナルスクールか。

夏希は特にすることのなかったドイツですっかりネットからの情報収集が習慣となり、ドイツの学校に通った2人がいきなり日本の学校に行ったら絶対にいじめられる、と考えていた。そういう記事が多かったからだ。
特に梨沙は…帰りたくないとずっと駄々をこねていた。

結局本人たちの意志を確認し、梨沙は帰国子女の受け入れをしている私立の小学校へ、蓮も大好きな電車で通学したいといい、結局同じ小学校へ編入することになった。
蓮はともかくとして梨沙がインターナショナルスクールを選ばなかったのは、遼太郎も意外に思った。日本人の環境は窮屈だ、と話していたことがあったからだ。

梨沙にしてみれば以前遼太郎に言われた「日本人として生きていく」という言葉が引っかかっていたため、選んだ。

そんな転校先で梨沙は、やはり浮いた存在となってしまう。

帰国子女を受け入れているとはいえ、大半がアメリカや中国、シンガポールなどであって、ドイツを始めヨーロッパから来ている子はあまりいなかった。それに帰国子女もクラスに1~2名といったところだ。

最初の頃こそドイツから帰ってきたことで珍しがられ、クラスメイトが寄ってたかって集まってきたが、そもそも梨沙は集団の賑やかしさが苦手だったし、梨沙の物怖じしない・強気な言動がすぐにクラスメイトたちの反感を買ってしまった。

例えばある女の子が「今日のこのお洋服、かわいいでしょう?」とみんなに訊いたとする。
みんなは口々に「かわいい」とか「似合ってる」と言うのに、梨沙は一人だけ

「服自体はかわいいけど、その色は○○ちゃんには似合わない」

ときっぱりと言い、周囲を凍りつかせた。 

ドイツでは言いたいことをはっきり言いなさい、と教わってきたから梨沙にとっては何らおかしなことはないというのに。

また多くの海外では授業は参加型が多く、積極的に手を上げて発言することが重要視される。
そんな調子で授業を受けているとクラスメイトからは『目立ちたがり屋』と呼ばれるようになる。
そう、『目立ちたがり屋』で『協調性がない』と。

そして手を挙げる時は "Ich(私)" と言いながら人差し指を立てるドイツ式が抜けなかった。
ドイツでは手を真っ直ぐ挙げることを "ヒトラーを彷彿させる" として、絶対にやらないよう教え込むからだ。
その人差し指を挙げる挙手もクラスメイトは揶揄した。

『なにそれ、"あたしがいちば~ん" とでも言うつもり?』

教師はもちろん、梨沙が帰国子女であることを知っている。だから先生はみんなに『そんな言い方はやめなさい』と言いつつも、梨沙に

「ここでは手を挙げる時はすべての指を真っ直ぐ伸ばすのよ」
「もっとお友達に優しい言い方をしなさい」
「みんなでやらなきゃいけないことは、みんなでするのよ」

と言う。梨沙は戸惑うばかりだった。

更にクラスメイトは梨沙の日本語の会話にそれほど問題がないのに、時折カタカナ英語がドイツ訛りになったりすると「こいつは日本語ができない」というレッテルまで貼り、梨沙が何を言っても「何言ってるか、わーかりませーん!」と囃し立てた。

こうして梨沙は段々と孤立していった。

梨沙は授業中は耐え忍ぶものの、休み時間は教室を飛び出して図書室に籠もって絵を描いてばかりいるようになった。

***

そんなある日の昼休みの図書室で、たまたまとある教師が隅で絵を描いている梨沙を見かけた。
そっと覗き込んでみて息を呑み、思わず声を掛けた。

「あなた…何年生?」

梨沙は一瞬教師の顔を見、またすぐ手元に目線を戻して「5年生」と答えた。

「なにかクラブは入っている?」

梨沙は首を横に振った。

「入ってないの?」
「決めなさいって言われていたけど、忘れてた」
「ねぇあなた。あなたの絵、すごく上手ね。私、絵画クラブの先生をやっているのよ。良かったら絵画クラブに入りましょうよ」

梨沙はもう一度教師の顔を見上げた。しかし黙っている。

「ね、それは何を描いているの?」
「熊」
「熊? どうして熊なの?」

とはいえ、小学生が描く可愛らしい熊ではない。言われて見ればなるほど熊だが、独創的すぎた。

改めて手元を見ると、梨沙が所有しているペンケースは大きなもので、カラーペンから色鉛筆、簡易的な万年筆、ハサミや糊なども入っており、ちょっとした道具箱のようだった。

「ベルリンにはあちこちにいたから」
「ベルリン?」

梨沙はまた手元に目線を落とした。教師は大きな筆箱の合点がいった。この子は帰国子女なのだ、と。

そしてどうやら多くの帰国子女が味わう、日本に戻ってきて環境に馴染めず、孤立しているのだろう、ということも察した。この小学校に編入してきた "先輩たち" も少なからず苦労している子ばかりだったから。

「お名前は何ていうの? クラスは?」
「野島梨沙。5年雪組」

教師は梨沙にニッコリと微笑みかけ「絵が完成したら是非見せに来て」と言い図書室を後にした。

***

絵画クラブの顧問教師、堀はすぐに5年雪組の担任教師の元へ向かった。まだ若い教師だ。

「西澤先生、あなたのクラスに野島梨沙さんって子がいるわね?」

そう声をかけらられた若手教師・西澤は、ベテラン教師の堀に声を掛けられ、しかも野島梨沙の名前を出されて弾かれるように立ち上がった。

「は、はい。おります。彼女がどうか…しましたか?」
「彼女はもしかして以前話題に上がっていたドイツからの帰国子女の子かしら」
「はい、そうですが…」
「ちょっとさっき図書室で見かけて、一人で絵を描いていたのよね」

さりげなく、昼休みに一人でいること告げる。

「絵、ですか」
「びっくりしちゃったわ。小学生の感性ではない感じで。上手っていうのが恥ずかしく感じるくらい、すごい絵を描いているのよ。あなた知ってた?」

西澤は目線をぐるっと漂わせたが、図画工作の時間で絵を描くような機会がたまたま、まだなかった。

「すみません、ちょっと気づきませんでした」
「クラブ活動もちゃんと参加していないみたいなんだけど…彼女をぜひ絵画クラブに参加してもらえないかしら、と思って」
「はい…、伝えてみます…」

こうして梨沙は水曜の6時限目に、堀が担当する絵画クラブへ参加するようになった。




#10へつづく

※ドイツからの帰国子女としてのエピソードは、りーさんへの取材を元に書きました。梨沙のモデルということとはまた違いますのでご了承ください。
りーさん、ご協力ありがとうございました。

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