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【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Childhood #10
絵画クラブは一応、絵を描くことが好きな4年生から6年生が集まっている。梨沙と同じクラスの子も何人かいたが、それでも通常クラスにいる時よりは好きな絵に没頭出来るから、気が楽だった。
梨沙の絵は独特の観点があった。他の児童たちは大抵見えたものをそのままに描こうとするが、梨沙は違った。独自のセンス、そして共感覚がゆえの色彩である。
児童たちが理解に苦しむことも多いが、梨沙の描写は非常に細かい時もあり、そこは皆の舌を巻いた。
「え、梨沙ちゃんすごい」
「絶対美大生になれるよ」
そう褒める6年生の児童がいたが、梨沙には "ビダイセイ" が何を意味するのかわからなかった。
それでも同じクラスの児童たちからは『理解不能』のレッテルを貼られる。
けれど教師の堀はそういう児童を叱責し、梨沙にも皆にも自由に描きなさいと言ってかばってくれた。それはまるでドイツの学校の先生のようで担任とは大違いだと思い、梨沙はクラブの時間は心安らぐ時を過ごすことができた。
結局梨沙は小学校を卒業するまで絵画クラブに所属し、図書室で声を掛けてくれた堀には、梨沙がいつまで経っても感謝を忘れない一人となった。
***
一方家では、電車通学のために夕方遅くに疲れたような浮かない顔をして帰ってくる梨沙を夏希は心配していた。
帰国してから遼太郎は起業する準備を始めたため帰りが遅かったが、梨沙はパパが帰るまで夕飯を食べない、と言い出した。遅くなるからと夏希に嗜められても言うことを聞かない。そうして遼太郎が帰るまで部屋に籠もってしまうのである。
そもそも梨沙は好き嫌いが激しく、きちんと食事を摂ることをあまりしなかった。
それも理由に「パパと一緒だったらちゃんと食べる」と言うのだ。今までしてこなかったのにどうして急に、と夏希は訝しんだ。
週に1度の楽器レッスン以外は特に予定のない蓮は、お腹を空かせて待っているので、仕方なく夏希は蓮と夕飯を摂り、梨沙は遼太郎と摂った。
「夜遅く食べると太るぞ」
遼太郎にそうからかわれても、梨沙は「いいの!」の一点張りだ。
自分で言ったことだから、苦手な食材もしかめっ面をして何とか口に入れた。
いいんだか悪いんだか、と複雑な心境の夏希。
「ほぉ、えらいね。魚も食べられるようになったんだね」
しかしその顔はとても美味しそうとはいえない、苦悶の表情だったが。
「パパと一緒に晩ご飯食べられるなら、残さずに食べるって約束したのよ」
「でもママはいじわるだから、わざと嫌いなものたくさん入れてくるんだよ!」
「梨沙、それはいじわるじゃないよ」
魚なんてドイツではあまり食べる機会もなかったし、元々大の魚介嫌いだった。
梨沙は涙目になって、口を動かすのも嫌なようだ。
「泣くなよ。でもそうまでしてちゃんと食べようとしているのは本当にえらいぞ」
そう言って遼太郎が梨沙の頭を撫でて自分は魚を旨そうに食べる。それを見た梨沙は涙を止め、口を動かした。
*
「梨沙、パパが帰ってくるまで部屋で何してるの?」
食後に夏希が尋ねると、梨沙はキッと睨みつける。
「絵を描いてるの。いいでしょう別に」
「ダメだなんて言ってないけど…電車通学で疲れているんじゃない? 友達と遊んだりはしてるの?」
ドイツにいた頃は部屋に籠もる事はあまりなく、むしろ積極的に友だちと会っている様子を目の当たりにしていたから、余計に気掛かりだった。
「日本人の子、みんな話になんないから。だったら一人で好きなことしてる方がマシだから!」
怒った様子で梨沙は部屋に行ってしまった。
夏希は「梨沙は学校で友達が出来ないのではないか」と遼太郎に言った。帰国子女にはよくあることらしいと、ネットで読みかじった内容を話した。
「環境に馴染むまでは少し時間もかかるだろう。特に梨沙の場合は。友達は無理やり作れるものでもない」
そんな返しに夏希はもどかしく思った。しかし遼太郎も決して軽く受け流しているわけではない。
遼太郎はすぐに梨沙の部屋に行った。机に向かっているが、何をしているというわけでもない。机の角に尻を載せ、梨沙に訊く。
「日本人の子はみんな話にならないって、どういうこと?」
すると途端に梨沙は俯いてしまう。
「私、ちゃんと日本語しゃべってるのに、何言ってるかわからないって言う。嘘なんだよ、みんなわかっててわざとそう言うの。それにドイツで習ってきたこと、全部全部おかしいって言うの」
「友達がそういうのか?」
「友達はいない」
「いない?」
薄く開いたドア越しから、心配で様子を見に来ていた夏希はショック受けた。やはり恐れていたことが起こってしまった、と。
しかしそれは遼太郎もある程度は想定内だ。
「それで梨沙はどうしてるんだ?」
「うるさいからそういう人たちと喋りたくない」
「梨沙も壁を作っていたら良くなるものもならないだろう」
「いいの! 私ベルリンに戻る! ここが嫌い! みんなのことが嫌い!」
そう言って梨沙は机に突っ伏して泣き出してしまった。
遼太郎は梨沙を抱き起こした。
「梨沙、無理に自分を変えなくていい。いずれお前がドイツに戻るのならそれは結構。今お前は日本人として日本で暮らす試練を受けていると思え。学べるものは学ぶ。周りが間違っていると思うなら自分を曲げなくていい。まだみんな子供だからな、言いたいことは言うだろう。けれどそのうちわかってくれる人が絶対に出てくる。梨沙にとって大事なのは壁を作らないことだ。変人扱いされてもいいからとことん正面から向き合え。お前から学ぶ周囲の人間だってたくさん出てくるはずだからな。ベルリンで先生が話していたじゃないか。"リーザは周囲に大きな影響力を与える存在になる" って」
遼太郎の言葉は梨沙にとっては酷なのではないかと、夏希は思った。小学校はあと2年あるのだ。そんな試練に耐えられるのだろうか?
そもそも子供は残酷だ。ましてや日本の小学校なんて同調圧力の根底が形成される時期だ。
"変人" の梨沙が受け入れられるまで長くかかるだろうし、そもそも受け入れられる保証なんてない。
梨沙が受けているのは "いじめ" なのだ。
インターナショナルスクールに行かせるべきだったのだろうか。
いえ、そもそもベルリンで日本人学校に行かせておけば良かったのよ…。
遼太郎の梨沙に対する態度は、甘やかしと厳しさが極端すぎる、と夏希は改めて思った。
けれど梨沙は、父の言うことは大人しく聞く。
「うん。パパに "お前は純粋な日本人だから" って前に言われたから、日本の学校を選んだ」
「そうか…その選択は間違っていたと思うか?」
「…わからない。パパは日本の会社とドイツの会社、どっちが楽しい?」
「俺はどっちも楽しいよ」
「どうして?」
「それぞれに良いところはあるからな。逆に言えばそれぞれに良くないところもある。それを楽しむんだよ」
梨沙はまだ『良くないところを楽しむ』術は持っていない。
黙って遼太郎に抱きついた。
「…ベルリンに戻る時はパパも一緒に来て」
「その時になってみないと何とも言えないな。梨沙は一人でも十分行きていけるかもしれないし」
その言葉には夏希もさすがに「ちょっと」と口を挟んだ。
「一人で…って、調子に乗ったらどうするの?」
夏希のトラウマ。当然遼太郎は承知だ。けれど。
家のしがらみにいつまでも囚われてはいけない。
遼太郎が何年も何年も苦しんできたことだ。
守りに入っては、打開できない。
「梨沙、とにかく自分から壁を作るな。言いたいやつには言わせておけばいい。絶対にお前のことをわかってくれる人はいるから。お前はお前のままでいろ。諦めるな」
梨沙は涙を拭いて唇を噛み締めた。
#11へつづく
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