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【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Moment’s Notice #23

そうして4日目の午前中には壁画は完成した。1日12時間近く費やす日もあったが、これだけの大作を完成するには相当なスピードだった。

出来上がった絵を見て、梨沙はへなへなと膝から崩れ床にぺたりと座り込んだ。
呆然と自分の絵を見上げる背後で、完成を聞きつけたイベントの主催者が梨沙の元を訪れ、感嘆の声を挙げた。

「これだけのものを正味3日で…? リーザ、君はなんて人なんだ!」

それでも梨沙は立ち上がることが出来なかった。


梨沙は隅の椅子に座り、まだぼんやりとその様子を眺めていた。燃え尽きた余韻が残っていた。

ふとスマホに目をやり、そういえば…と我に返る。

そういえば、遼太郎から連絡が来ていない。絵が完成した、と写真と共にメッセージを送るが、既読は付かなかった。梨沙の頭もだんだん覚醒していった。

部屋を出て電話をかけるが、呼び出し音が鳴らない。梨沙はそのまま母の夏希に電話を掛けた。

「パパが電話に出ないの。っていうか一昨日からメッセージの既読が付かない。どうしてるの?」

夏希は「あぁ…」とやや暗い声を出したが「仕事が忙しいみたいで。家にも帰ってないのよ。新しく構えたオフィスに泊まり込んでいるみたい」と答えた。

「連絡つかないと困るじゃない。ママは連絡付くの? 会社の連絡先知ってるの?」
「梨沙、忙しい時はあまり邪魔しちゃだめよ」
「…」

カチンと来た。邪魔している訳ではない。遼太郎から許可はもらっているし、自分だって気遣っているつもりだった。

「わかった。もういい」

そう言って梨沙は電話を切り、今度は叔父の隆次に掛けた。

「隆次叔父さん、パパと連絡取れない?」
『何だよ急に。どういうこと?』
「パパが電話に出ないの。電池切れてるのか呼び出しもしないし。ママに訊いたらお仕事が忙しいから邪魔しちゃだめだって教えてくれないの」

電話の向こうの隆次は束の間黙り込んだ。通話口を抑えて何かしているようだ。

『俺も兄ちゃんのスマホと家の電話以外は知らないよ。仕事先なんてかける用もないし』
「じゃあどうすればいいの!?」
『待つしかないだろ。そのうち掛かってくるよ。死んだわけじゃないんだから』
「縁起でもないこと言わないでよ!」
『別に死んだなんて言ってないだろ? それにお前、相変わらずジコチューなんだな。兄ちゃんの都合も考えろよな』

梨沙は再び「もういい」と言って電話を切った。家族なのにどうしてこんなに冷たいの、と思った。

まずい。このままではまた気持ちが昂ぶってしまう。
だめよ、パパ、助けて。

心の中で祈りながらスマホを握りしめる。

「リーザ、どうしたの?」

家に帰ると、梨沙の暗い表情を見てEmmaが声を掛けた。梨沙は部屋への階段を登りながら、震える声で言った。

「パパが…電話に出なくって」
「あら…どうしたのかしらね。忙しいのかな」
「そうだとは言ってたけど…」
「じゃあ、仕方ないわよ。そういう時もあるわ。待たなきゃいけない時も、ね」

Emmaは梨沙の肩に優しく手を置いた。その時、メッセージを着信した。遼太郎からだ。

電話に出られなくてごめん。ちょっと立て込んでいる。時間出来たらこっちから必ず掛ける。

梨沙は直ぐに『今話せる?』と返信したが、『今はだめだ』と返ってきた。

心配しないで、ほんのしばらくの間待ってて。

そばで見ていたEmmaにドイツ語に訳してやり取りの内容を伝えると「待つことも、人生大事よ」と再び言って、階下へ降りていった。

翌日。

壁画は話題を呼び、イベントを告知するSNSやホームページでも取り上げられ、わざわざ絵を見に来る客もいた。絵の前で写真や動画を取る人も多くいた。

梨沙はギャラリーに顔を出すも、遼太郎のことが気になり、昼過ぎにはもう家に戻った。

夜を待たずに遼太郎へメッセージを送っているが既読は付かない。再び夏希に電話をかける。

「パパ、まだ帰ってきてないの? あんまり忙しくしてたら倒れちゃう」

その言葉に夏希は一瞬言葉を呑んだが『大丈夫よ』と答えた。けれど電話の向こうでガサガサと音がしたかと思うと、いきなり

『お姉ちゃんのせいだからね』

という声が聞こえてきた。背後で夏希が『蓮、だめよ!』と声を挙げている。

『お父さん、倒れて入院中だよ。お仕事めちゃくちゃ忙しいのに、お姉ちゃんのことずっと気にしてて。この件もお姉ちゃんに心配掛けたら絶対にいけないから黙ってろって箝口令引かれてたんだけどね、やっぱり僕はお姉ちゃんが許せないよ』
「えっ…ちょっと待って…」

すぐさま、声は夏希に変わった。

『梨沙、心配しなくて大丈夫よ。ちょっと疲れが溜まっただけみたいだから』

しかしその背後で蓮が『大丈夫じゃないよ!』と叫んでいる。

「なに…パパ、どうなっちゃったの?」
『本当にそんなに深刻じゃないのよ。ただ少し身体を休ませないといけないって言われているから、入院しているだけ。そうでないと無理しちゃうから…』
「昨日はメッセージくれたのに」

ため息をついて夏希は言った。

『あれは…パパのスマホから私が送ったのよ』


梨沙は叫んだ。


それを聞きつけてEmmaとMutterが部屋に飛び込んでくる。

「リーザ、どうしたの!?」

パパがぁ!と梨沙は泣き叫ぶ。野島家から予め事情を聞いていたEmmaとMutterは比較的冷静だった。

「今すぐ日本に帰る! パパが大変なの! 帰りたい帰りたい帰らせてぇ!!!」

Mutterは梨沙を抱き締めると言った。

「リーザ、わかるわよ。怖いわよね。でも今は落ち着きましょう」

そしてEmmaに目配せした。頷いた彼女は一度部屋から出ていき、少ししてコップ一杯の水と、薬を持って戻ってきた。遼太郎がShulz家に託していった、鎮静剤だ。

「リーザ、今日はこれを飲んでおきましょう」

Mutterが差し出しても梨沙は支離滅裂に何かを叫んで拒む。Mutterは眉を下げたが、意を決してEmmaを再度促した。Emmaが梨沙の足首を摑み、Mutterは暴れる梨沙を抱きかかえながら耳元で叫んだ。

「リーザ、こうなることを、あなたのパパは一番恐れているのよ。あなたのパパは、あなたが何より平穏に過ごすことを望んでいるの。今のあなたの状態をパパが知ったら、善くなるものも益々悪くなってしまうわ。それでもいいの?」
「嫌だぁ!」
「だったらリーザ、これを飲んでちょうだい。今のあなたには必要よ。あなたのパパのために飲むのよ!」

すると梨沙はピタリと身体を止め、震える手で薬を受け取り、口に入れた。飲み込むと再び瞳から涙がボロボロと零れ落ちる。

「そうよ…いい子ね…。パパも安心するわよ」

小さな子供をあやすように、Mutterは梨沙の背中をさすり、身体を優しく揺すった。梨沙もされるがまま、腕の中で嗚咽を繰り返した。

やがて薬が効いて大人しくなると、Emmaが梨沙の頭を撫でながら「足首、痛かったでしょう、ごめんね」と言った。しかし梨沙はEmmaが自分の足首を抑えていた認識も感覚もなかった。

梨沙の瞼の裏に浮かんだのは、あの不死鳥フェニックスである。

「倒れるなんて…そんなことあるわけない…だって…」

瞳を閉じたまま流れる涙。

梨沙自身も数日間の作品制作の疲れが一気に押し寄せ、その晩に熱を出した。





#24へつづく


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