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【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Moment's Notice #2

9月になり、いよいよGymnasiumギムナジウムでの高校生活が始まった。

最初に簡単なクラス分けテストが行われ、割り振られたクラスには他国の留学生が他に2人いた。ポーランド人の女の子とトルコ人の男の子。

トルコ人と聞いてYasminは元気かな、と思い出す。
語学学校在校中は本当に良くしてくれた。本当のお姉さんみたいだった。連絡先を交換したが、まだ連絡はしていない。

ポーランド人のJulia(ユリア)は母親がドイツ人とのことだったが、国籍は父方のポーランドだという。そう聞いて梨沙は言った。

「私も昔パパに連れられて、ポーランドに行ったことがある」

父親が絡むと梨沙の人見知りは解消されるようだった。Juliaは嬉しそうに微笑んだ。

「本当? 嬉しい。私はドイツに比較的近いPoznańポズナンという街に住んでいるの。行った?」
「う〜ん、確かWrocławヴロツワフって街だったと思う」
「Wrocławか。良いところよね。国内でも人気の観光地だし。元々ドイツ領だったしね」

そうだ。父からもそんな話を聞いた記憶がある。若い人には人気の観光地だけれど、年配の人の中には複雑な思いを抱く人もいるだろうと。街なかにドイツ語表記がところどころあったのを微かに思い出した。

梨沙は率直に、ポーランド人として戦争で大きな影響を受けたドイツで学ぶことについて尋ねた。

「仕事はドイツの方がお給料が良いと聞くし、実際私のポーランド人の知り合いもドイツで働いている。戦争のことはあまり気にしていない。昔の話だし」

とはいえ、歴史の授業では教科書に載っているヒトラーの写真には、誰もが落書きをしたり、顔を真っ黒に塗りつぶしていたという。

「ポーランド人でなくても、彼は憎しみの対象でしょ」

あっけらかんとJuliaは言った。時の流れと、戦争を知らない世代でも根付く怨念とのギャップを感じた。

トルコ人はRuslanルスランと名乗った。梨沙は男性に対して当初、かなりの人見知りと警戒感を示すが、彼はなんと、あのYasminと知り合いだという。

「トルコ人コミュニティで一緒になったことがあって、知ってるんだ。Yasminってすごく優しい人だよね」

梨沙が大きく頷くと、今度3人で会おうか、と言ってくれた。イスラム教であることも梨沙の警戒心を緩めたのか、はにかんで「インシャ・アッラー」と言うと、Ruslanはたいそう驚いていた。以前叔母の香也子が教えてくれた、イスラムの挨拶だった。

ドイツでの在校経験があっても、そもそも授業のレベルが高く少々きつい部分もあったが、辞書を引いたりネットで調べたりしながら梨沙は一生懸命ついていった。

日本の学校と比べると朝が早く8時には授業が始まり、遅くとも15時には終わる。早い日は午前中で終わる。そういう時は家に帰ってランチを食べる。Emmaもたいてい帰ってきていて、一緒に食べた。

宿題は語学学校時代に比べるとそれほどたくさんは出なかったが、その代わり日々の授業内容は梨沙の苦手な数学や生物学、一部の授業は英語で受けることもあったので、それなりにオーバーヒート気味だった。

週に1回、授業後に留学生向けのドイツ語補講サークルが開かれるので、それにも参加した。

ランチや午後の授業の後は街を散策し、スケッチして歩いた。Emmaも時折一緒に来てくれたが、彼女も友人と遊び事もあるため、基本は一人で出歩いた。
他の留学生はたいてい同郷同士で固まって過ごすことが多いもので、他の学年には日本人もいたようだが、梨沙は気に留めなかった。

そしてどこにいようとも17時前に必ず遼太郎に電話をかけた。彼もまたその時間にかかってくるということがわかっているので、たいてい寝室で待機している。サマータイムでは日本はちょうど午前0時を迎えようという時間だ。

遼太郎の部屋は間接照明の淡い灯りのみ。そのため少々画面が暗いが、その優しい表情を梨沙は十分に感じられた。

「パパ、お風呂上がり?」

その日の遼太郎は濡れた頭にタオルを被せたままだった。

『うん、今日はさっき帰ってきたばかりなんだ』
「働きすぎだよ。早死しちゃう」
『大袈裟な。たまたまだよ。それより今日はどうだった?』
「生物学が嫌。私、ネズミの解剖なんてしたくない」
『ハハハ、そりゃ災難だな。家ではどうだ?』
「昨日ピクニックに行ったんだけど、最初Tempelhofテンペルホーフに行こうとしていて、そこは小さい頃住んでいた場所の近所だって話したら、じゃあ日本庭園があるからってGärten der Weltゲルテンデアベルトに行ったの。でもそこ、日本庭園じゃなくて中華庭園だったの。中華と日本式の違いを教えてあげたわ」

遼太郎は微笑ましく聞きながら、梨沙が思いの外活き活きとしているので、心底ホッとした。

『良かったな、寂しくなさそうで。頓服の世話にはならずに済んでるか?』

そう言われると梨沙は口ごもる。やはり時折、遼太郎がいないことの寂しさに耐えられず、たまに飲んでいることは話していない。

「…パパは次いつこっちに来られる?」
『帰国したばかりだからな。ちょっとわからないよ。まぁ…休暇を使うとしたら年末かな』
「社長なんでしょ? いつ休んだっていいじゃない。それか仕事、こっちで作れないの?」
『梨沙』

たしなめるように遼太郎が語調を強くすると、梨沙はしゅんとして「ごめんなさい」と言った。

「年末に来てね。絶対よ」
『まだ約束は出来ないけど…もし行くならママや蓮も連れて行くよ』

パパだけでいいのに、という言葉は呑み込んだ。言えばまた怒られる。梨沙の眉が下がると遼太郎は微笑んで『Bis morgen(また明日)』と言った。

Gute Nachtグーテナハトゥ(おやすみ). Träum gutトゥレウムグートゥ(良い夢を)」

梨沙は唇を付けた指先を画面に向けた。遠距離電話の時は毎回やる "投げキッス" である。その度に遼太郎は苦笑いをして切る。
しかし本当に極稀に、どういう心境なのか、ものすごく照れくさそうにしながらも返してくれることがある。梨沙の想いを受け入れるはずがないのに。

それが見られると睡眠薬がなくてもよく眠れるし、絶対に明日はいいことがあると信じられるのだが、今夜もなかった。

『Gute Nacht. Schlaf gutシュラフグートゥ(よく眠って)』

それでも優しい遼太郎の声は、梨沙の中で淡いオレンジ色を帯びて身体中に染み渡った。

子供の頃家族でベルリンに滞在していた時、時折家の中でもドイツ語が行き交うことがあった。その頃を思い出すと梨沙の心地が良くなるので、今でも眠る前はドイツ語で挨拶した。

夢見の悪い遼太郎、ぐっすり眠れない梨沙。それぞれを思いやる挨拶。





#3へつづく


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