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【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Moment's Notice #3

Emmaは首筋や手首足首に蝶や鳥、ハートなどのモチーフで小さなタトゥーを入れており、アーティストとしての梨沙の感性を刺激した。

「Emma、それ、もしかして…」
「これ? Tatooよ。日本ではやらないの?」
「…あんまりやってる人、見たことない」
「そうなんだ。こっちではみんなやってるよ。ファッションみたいなものね」
「それ、剥がれたり消えたりする?」
「消えないわよ。彫って、そこにインクを入れるんだから」
「彫る? 身体に? シールじゃないの?」
「そうよ。最初はちょっと痛いけど…でも全然平気よ」

彫ると聞いて慄いたが、肌にあんな素敵なモチーフがあったらカッコいいなと思った。

「私もやってみたい。どうしたらいい?」

するとEmmaは、知っているタトゥーアーティストがいるから連れて行ってあげる、という。
当然日本ではまだまだ偏見もあるが、梨沙はそこまで深く考えなかった。一瞬だけ父の顔が過ったが、きっと許してくれると思った。

「モチーフは自分で決められるの?」
「もちろんよ。リーザ、自分でデザインする?」
「うん」

Emmaが背中側の肩に蝶を入れていることから、梨沙は左の鎖骨の下…、遼太郎のあの『怪我』と同じ位置に、羽ばたく小さな青い蝶を入れようと決めた。

サッとスケッチし、こんな感じ、とEmmaに見せると

「綺麗ね! すごくCoolだわ」

そう言われ得意げに笑みを浮かべると、さっそくMitte地区にあるタトゥースタジオの予約を次の日曜日に入れてもらった。

***

洗練されたヘアサロンのように清潔でシックな店内。施術待ちの人もマダムだったり若い男の人だったり、様々だった。

Emmaの知り合いのタトゥーアーティストは長い髪を後ろで一つに束ねた男性で、体格は良いがどこか中性的な雰囲気を漂わせていた。
そのためか梨沙もそれほど警戒心を抱かなかった。

予め用意をしておいた、自分で描いた青い蝶の下絵を見せ

「Ich möchte so ein blaues Schmetterlingtatoo auf meiner linkes Schlüsselbein.(左鎖骨の所ににこんな風に青い蝶のタトゥーを入れたい)」

と伝えると、梨沙の流暢なドイツ語にタトゥーアーティストは「Oh, sehr schön! Natürlich(すごく綺麗だね。もちろんだよ)」と微笑んだ。

更に「線はほぼ黒に近い色になると思うけど、下絵通りに青い鱗粉の部分はその通りの色で入れて欲しい」と伝えるとタトゥーアーティストは「OK. Kein Problem.(問題ない)」と頷いた。

「鎖骨の下にいれたいんだね。脂肪の薄い部分は彫っている間痛みが強いけど我慢して」

タトゥーアーティストがそう注意し肌を消毒した後、針が梨沙の白い肌を突き刺した。

「痛い!!」

思わず梨沙は叫ぶ。マシンから複数の細かい針が絶え間なく梨沙の肌を滑りながら傷つけていく。信じられないほど痛く、勝手に涙が滲んでしまう。

「無理? 休憩する?」

そう訊かれたが、梨沙は続けて、と言った。そうして唇を噛み締め、1時間弱耐えた。

「Das ist voll schön!! (すごくきれい!)」

彫った周りの皮膚はまだ赤く腫れ上がっているが、出来上がりを見てEmmaは褒めてくれた。

「しばらく肌を清潔に。保湿もしっかりすること。あと紫外線には当てないで」

タトゥーアーティストからアフターケアの説明を受ける間も梨沙は鏡を見ながら、赤く腫れ上がったその中に、青く美しい蝶が羽ばたくタトゥーを見て、耐えきったという達成感とその美しさ、そして父と同じ場所に『シンボル』が出来た満足感に口角を上げた。

父に見せたら、何て言うだろう。怒られるかな。でも他人に迷惑かけない範囲で好きなことしていいって言ってたし…。
今夜の電話で見せてみようと思った。

けれど家に帰るとEmmaがMutterに怒られてしまう。

「留学生になんてことさせるの!」
「だって、こっちではみんな普通に入れてるから、普通のことだと思って…。日本ではあまり見かけないって言ってたから、いい記念にもなるかと思って…」

梨沙はTatooを入れたのは自分なのにEmmaが怒られるのは耐えられなかった。

「Mutter、Tatooを入れたいからお店に連れて行ってとお願いしたのは私なの」

Mutterは困った表情でため息をつき、梨沙を窘めた。

「リーザ、あなたは勉強をしに来ているのよ。それに自分の体に傷つけること、ご両親は承諾したの?」
「ううん、何も言ってない。ごめんなさい…」

この一件があったため、父にも見せづらくなってしまった。電話をかけたものの、浮かない顔をする梨沙を遼太郎は不審に思った。

『今日はずいぶん暗い顔してるな。なんかあったのか?』
「なんでもない…」
『お前は嘘をつくのが下手だな。何があったか言ってみろ』

結局正直にTatooを入れたことを話すと、遼太郎は怒るよりも呆れてしまった。

『どこに入れたんだ』

梨沙はシャツをずらし、左鎖骨の下を見せた。その位置に遼太郎は言葉を詰まらせた。

『…どうしてそこに入れた?』
「…パパの…」
『…だろうな』

遼太郎は居心地の悪い胸の痛みを覚える。

『満足してるのか』
「うん…でもEmmaがMutterに怒られて…」
『ことの重大さに気づいたんだな』
「…」
『その蝶…もしかして梨沙が描いたのか』
「うん」
『どうして蝶にしたんだ?』
「…どうしてだろう…。羽があったら自由に飛んでいけるからかな」

パパのもとにも、いつでも。
それは言わなかったが。

それまで困り果てた顔をしていた遼太郎だったが、その言葉に諦めたようにフッと笑った。

『お前の存在そのものが自由の象徴だよ』
「…どういう意味?」

遼太郎はため息をついて『まぁいい。しばらくママには内緒にしておく』と言った。

『戻ってきてから相当困ることになるぞ。水泳の授業とか身体検査で学校からお咎め食らうだろうし、温泉に入るのも制約があるからな。…まぁでも今は隠す方法もあるから…隠すべき時はきれいに隠して、あとは楽しむんだな。もう入れてしまったんだから』

やはり許してくれた。梨沙は改めて "パパは流石だ" と思った。

翌朝Mutterから、家族になんと言われたか訊かれた時に「入れてしまったものは仕方ないから楽しめと言われた」と告げると、さも驚いた顔をして肩を竦めた。
Tatooを見せびらかしたい気持ちもあったが、10月に入れば急激に冷え込む。薄着はもう出来ない。

梨沙はEmmaと今度夜遊びに行こうと約束していて、その時に革ジャンの下は黒いタンクトップ姿にして、どこかでさりげなく肩を出そうと思った。

***

週末。
約束通り、MitteにあるクラブにEmmaと出かけた。もちろん、Mutterたちに怒られるので、早目の時間に、である。
はじめはKreuzbergクロイツベルクに行こうと言われたが、苦い思い出があるため他の場所にして欲しいとお願いした。MitteもKreuzbergも学生に人気があり、活気のあるエリアである。

ドイツでは飲酒が可能な年齢が入り組んでおり、お酒のアルコール度数によって「16歳以上」だったり「18歳上」だったりする。ちなみに親や親権者が同席の下で許可があれば14歳以上であればビールやワインが飲める。遼太郎といた頃は飲酒は当然、させてもらえていないが。

そんなこんなで、バーカウンターの近くで喋っている時だった。
男性2人組が声を掛けてくる。Emmaは慣れているのかにこやかに対応したが、男性の距離が余りにも近いので梨沙は咄嗟にEmmaの後ろに逃げ込んだ。

その様子を見て、男性の一人が言った。

「君たちもしかしてカップル?」

ガーリーな梨沙と短い髪がボーイッシュなEmmaだから余計にそう映ったのだろう。Emmaと梨沙は顔を見合わせてから「Nein」と答えた。男性らは肩をすくめる。

「彼女は留学生で、まだこういう所に慣れてないから」

Emmaが説明すると、男性たちは踊ろうか、という。
Emmaがどうする? と目を向けると梨沙は首を横に振った。

「いいよ、行って来て。私はここにいるから」

そうしてEmmaはフロアへ躍り出ていき、残った一人と梨沙になった。気まずい。

「どこからの留学生?」
「…日本」
「Oh, Super! 俺、日本に行ってみたいと思ってるんだ」
「そう」

素っ気ない梨沙の返しに彼は肩を竦める。

「ダンスは苦手?」
「踊れないし、踊りたいとも今は思わない」

ニコリともせず淡々と話す梨沙だったが、左肩のTatooが彼の目に入った。

「きれいなTatooしてるじゃない、いいね」

そうして梨沙に触れようとしたため、サッとジャケットで胸元を隠し「見ないで、触らないで!」と叫んだ。
彼は驚き、舌打ちしてどこかへ行ってしまった。

遼太郎にだってまだ触れられていないのに、他の男性の目に触れることが汚らわしく思えたのだ。見せびらかしたいのに、男性がそれを元に近寄ってくると途端に嫌な思いになる。
梨沙の矛盾した気持ちは難しい。

Emmaがダンスから戻ってくると「今日はあまり楽しくない」と梨沙はいい、2人は帰ることにした。





#4へつづく


参考文献


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