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【連載小説】奴隷と女神 #38

8月に入ると、今年は同期3人が同じ時期に夏休みを取るのが初めて難しくなってしまったことがわかった。
私や環は問題ないのだが、志帆が関わっている開発プロジェクトが佳境になり、当初予定申請していた日での取得が難しくなってしまったとのことだ。

「夏休み取れるの、9月か10月になるかも」
「それってもう夏休みじゃないね」
「ごめーん、2人で行ってきてくれていいよ」
「2人でって言っても…ねぇ。志帆がいないと」
「そうだよ。私は待ってもいいけど…仕方ないなら今年はそれぞれ取るって感じかね」
「それもなんか悪いなぁ〜」
「まぁ今年は仕方ないよ。年末年始とか、行けるタイミングでまたどっか行こ!」

ちょうど昼休みが終わり、それぞれのフロアに戻ろうとした時。
志帆が先に上に上がってしまうと、何となくのんびり歩いていた環が言った。

「この前、キムさんに相談されちゃったのよ」

ドキッとする。

「えっ、な、何を?」
「とぼけないで。告白されたでしょう?」

まずい事になったな、と思った。キムさんの告白を『好きな人がいる』で断ったからだ。

「キムさん、なんだって環に相談なんかしたの」
「この前一緒に飲みに行ったツテだよね、たぶん。あの日告白したんだけどフラれたって。岸川さん、松澤さんがどんな人を好きなのか知らないですか?って。僕はどうしても勝ち目がないのかって」

嫌な予感は的中した。

「私が知りたいわよ。誰? 誰の勝ち目もない程好きな人って」
「それは…告白を断るための嘘で…」
「嘘なの? キムさんのこと、そんなにアウト?」
「アウトとかそう言うんじゃなくって、キムさんはすごく真面目で誠実だから、中途半端な断り方じゃダメだと思ったのよ」
「全く付き合う気ないの? 韓国の男性ってすごく人気あるじゃない。小桃李が今言ったように真面目で誠実な人、多い傾向にあるから」
「うん…でもそういうことじゃないの。今は本当に欲しくなくて、そういう人」
「…」

昼休みの時間も過ぎていたので、時間を理由に中途半端なまま自席に戻った。

隣の席ではキムさんが何食わぬ顔で作業している。

* * *

夜は眠る前に響介さんから電話が掛かってきた。
毎晩ではなかったけれど、以前に比べたら声を聞ける機会が増えて嬉しかった。

そしてほぼ毎回、お互いの身体に触れたい声を交換する。

会えない分だけ、余計に激しい気がした。
初めのうちはとても満たされたけれど、やはり段々と直接抱き合えないもどかしさが募る。

お互い昇りつめた後に呼吸が落ち着いてくると、響介さんは訊いた。

『…小桃李は夏休み、もう取ったの? 』
「ううん、まだです。志帆が急に予定してた日で取れなくなっちゃって、どうしようかってちょうど今日話してたんです。響介さんは?」
『僕もまだ。ゆっくり出来るかわからないけど、来週辺り取ろうかなって思ってる』
「来週…」
『一人きりの夏休みももうないだろうから、あまり人がいないところに行って、一日中本でも読んでようかなって。前に小桃李が紹介してくれた韓国文学、Kindleで見つけたから』
「もうないって…」
『ケリがついていれば、来年は小桃李がいるだろう?』

ギュッと目を閉じる。そうよ、次の夏は、私たち一緒にいるのよ。

「はい…」
『2人でどこに行こうかな。楽しみだな。どこへでも行ける気がするよ』
「はい。すごく楽しみです」
『そういえば誕生日は11月だったよね。後3ヶ月』
「憶えていてくれたんですか?」
『憶えてるよ。会えないとは思うけど…贈りたいものがあるんだ』
「私に? 何だろう?」
『どうやって渡そうかな…』

響介さんはポツリと言った。そのまま互いにしばらく黙り込む。

『…ごめん、眠くなってきた』
「はい…」
『またかける。おやすみ』
「おやすみなさい。良い夢を」

スマホを側において、いつまでも余韻を味わった。
なかなか寝付けない。

世界が私と響介さんだけになってしまえばいいのに。
もしくは世界の果てに追いやられたっていいのに。

キムさんのこと、環のこと。重たくのしかかる。
放っておいて。
誰も入ってこないで。私達の間に、誰も。

お願いだから。




#39へつづく

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