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【連載小説】あおい みどり #13


このお話はフィクションであり、病状・医師やカウンセラーの対応については物語の進行上、事実と異なる場合があります。予めご了承ください。

~ 翠


慌てて身体を離した。腰が抜けて立ち上がれない。
警報音は鳴り響いている。

「あ…蒼が…先生…」
「…翠…さん?」

バタバタバタと廊下を駆ける足音がしたかと思うと、診察室のドアが開き数名のスタッフが駆け寄って来た。

「南條先生、大丈夫ですか!?」
「大丈夫です」

南條は、倒れた時に打ち付けたのか右肘を擦りながら起き上がり、はっきりとそう言ってスタッフを制した。

「もう大丈夫なので、下がってください」
「先生、しかし…」
「すみません。お騒がせしました」

怪訝な顔で私を見、腑に落ちないようなスタッフらを部屋の外に追い出すと南條は居住まいを直そうとしたが、胸のボタンが2つほど弾け、はだけてしまっている。仕方がなし気に引き出しからネクタイを取り出すとそれを緩く締め、私の腕を引きながら抱き起こした。
掴まれた腕からジワっと身体が熱くなるのを感じる。しかしそれも瞬時に冷めていく。

「先生…蒼が失礼しました。奴に代わって謝ります」

私は声を震わせながら、身体を90度に曲げて謝った。

「先生に…なんてことを…もう、蒼はいなくなった方がいい。先生、蒼を消してください!」
「翠さん、落ち着いて。とりあえず座りましょう」

そう言われてもガタガタと震えたまま突っ立っている私の背を南條はそっと触れ、座るように促した。

「今しがた起こった出来事、翠さんは全て見聞きしていましたか?」

私は震えながら頷く。

「咄嗟のことで…何が起こったのかわからなくて…蒼が南條先生の首に手を掛けて…もうわけがわからなくなって…」
「今、蒼さんは?」
「…音信不通な感じです…どこに行ったかわからない」

南條はため息を付いた。

「先生、本当にごめんなさい。蒼なんかやっぱり消えた方がいい。共存なんて無理です! そうでないと…」
「僕は本当に大丈夫ですから。蒼さんは確かに僕の首に手をあてましたが、力は一切入れていません。それより…」

ペンを執ることはなく、南條の手は机の上で組まれている。

「僕のカウンセリングは失敗だったと思っています。すぐに中止し、別のカウンセラーをつけてもらうようにしようと思います。よろしいですか?」
「…それは…嫌です」
「翠さん」
「私は先生のこと、そんな風な目で見てない。蒼が言ったのは嘘です。自分がそうだから私もって、こじつけているだけです。私は真面目に先生の元で頑張ってきたんです。医者と患者、カウンセラーとクライアントだって相性はあるでしょう? 私、主治医は女だけど全然合わないし嫌なんです。でも先生は…苦手だと思っていた男性なのにそんなことなかったし、先生に話すと心が軽くなったし、ワークも一生懸命頑張ってきた、その証拠に私、少しづつ善くなっていたでしょう?」

南條は小さく頷いた。

「翠さんの主治医は、翠さんに男性に対する抵抗感があるために、カウンセラーに僕を抜擢しています。僕はあまり男らしくないですからね。そう言った意味では今翠さんがおっしゃったように、効果はあったのかもしれません」
「南條先生の元で続けさせてください。今別の人になったら…また元に戻っちゃうかもしれない。南條先生じゃなかったら、蒼と葛藤することになったら…」

南條は顔の前で手を組み、ギュッと目を閉じてしばし考え込んだ。その間、私の手も身体もブルブルと震えていた。今この瞬間に南條との繋がりが切れるかもしれない、ということに対する恐怖で。

しばらくして手を解くと、言った。

「確かに今すぐ中止するのは、よろしくないかもしれません」

私は椅子から崩れそうになるほど安堵した。

「それに僕は蒼さんにも、少し酷い言い方をしてしまった」
「いいんですよ…アイツのことなんか」
「いえ…」

南條は窓の外に目をやった。その表情はどこか切なげだ。


***


「蒼、起きてる? 話せる?」

家に帰り呼びかけてみるが、反応は鈍い。無視しているのではなく、隠れているような感じだ。

「聞こえてたら答えて。今日、先生の首を締めようとした?」
『…俺…そんなつもりは…』
「とぼけないでよ。警報が鳴ったでしょ? 傷つくこと言われてカッとなって、先生に襲いかかったんでしょ?」
『でも…殺そうとしたわけじゃない。俺、アイツの喉仏…見るたびいつも妙に興奮してた。だから触れたくなった…だけのはずなんだ…』
「どっちにしたって最低のことしたのよ!」
『抑えきれなくて…』
「あんたが危険人物なんて!」

蒼は身体を小さく縮こませている。

『俺…次にどんな顔をして先生と会えばいいんだ…』
「まだ会う気でいるの? 先生、初めに言ってたよね。"危害を与えないことを条件に、他人格を共存させていきたい" って。もうそこのルールから外れてるのよ!」
『おい…そう突き放すなよ。お前だって嘘ついただろ、今日』
「嘘って何よ!」
『先生のカウンセリングを繋ぎ止めようと必死こいてただろ』
「でも、お陰で無事繋ぎ止められたでしょ。あそこで受け入れていたら私たち・・・おしまいだったのよ」
『まぁ…確かにな…』

私たち・・・ー。
私たち、身体は1つ、心は2つ。
好きになった人は、同じ1人の人。

同じ人を好きなのに、あまりにもベクトルが違いすぎる。
だからこそ…蒼に消えてもらえばいいんだ。統合なのか消滅なのか、それも治療だって。

けれど…。

『お2人が共存していくことが、僕の理想です』

南條先生、あなたの理想、叶うのかな。
これから私たち、どうなるんだろう。


***


翌日は流石に私も蒼も気持ちがバタついていたので、会社を休んだ。腫れ物を触るような母の態度が返って癪に触る。

だから翌々日は渋々会社に行った。家にいるのも苦痛。

私が自分の身体で出社するのは大体1ヶ月ぶりだ。
蒼は暫くの間、失恋のショックで出て来られそうにない。私のこと助けてくれる存在のはずなのに、とんだとばっちりだ。

周囲の目は気になるけれど、乗り越えるしかない。南條が半年近く施してくれたいくつかの "気持ちのシフトチェンジ方法" があるから、大丈夫と言い聞かせた。

「おはようございます…」

おずおずと自席に着く。すっきり片付いているデスク周り。蒼のお陰ではあるが、これでは何から始めて良いのかわからない。

「おはよう」

挨拶の際、上司はこちらを見て "おや?" というような顔をしている。なるべく目を合わさないようにPCの画面を覗き込むふりをする。

「里中さん、以前出してくれた提案書、あれでGOサイン出たから、進めてくれる?」

どこか探るような目で私を見ながら上司は言った。仕事中の意識はこれまで意図的にオフにしていたから、咄嗟に何のことか分からず混乱したが「はい」とだけ答えておいた。

「今日は何だか…以前の里中さんが戻ってきたような感じ…だね…」

上司が探り探りの顔でそう言ってくる。私は「大仕事の緊張もようやく幾分ほぐれましたので」と誤魔化すと、それ以上の会話はなくなったのでホッとした。

蒼が出したという提案書は、またもテクノロジー系のセミナーの企画だった。

「これ…リーダーはまた私ですか」

恐る恐る尋ねると上司は "当たり前だろう" というような顔をして「そのつもりだけど」と答えた。
一気に憂鬱になる。もう懲り懲りだし、しばらく何もしたくないのに。
実際しばらくの間、私は何もしていなかったわけだが。

帰宅後のバスルームで、蒼に声を掛けてみる。

「ねぇ蒼」

寝てはいない。起きているけれど、出てきたくないという雰囲気だ。

「企画書が通ったって言ってるんだけど」

それでも蒼は黙っている。

「ねぇ、共存していくんでしょ? 助け合っていくんでしょ」
『…お前、昨日と言ってること真逆なんだけど』
「すぐに消えてなくなるわけじゃないから。それまでの間はせめて、よ」
『そんな言い方で助け合いなんか出来るか。それに共存は南條ありきの話だから…俺はもうどうでもいい』
「もう、カウンセリングは続いていくんだよ? 本気で他の医者の所に行って、あんた消されてもいいの?」

すると蒼は黙り込んでしまう。

『俺が消えれば厄介はなくなる、まーそうだよな』
「…冗談だってば…」
『いや。そう考えるとどのみち、俺は南條に合わせる顔ないし、担当医が代わっても大差ないのかもしれないな』
「担当は変えない」

私はきっぱり言い切った。

「もう…こうなったら蒼は先生に謝るべき」
『…』
「先生はお医者なんだし、分かりきってるはず。そういうことも過去にあっただろうし。割り切ってる所もあるかもしれない。だからこそ謝って。そうしたらまた私たち一歩踏み出せるんじゃない?」
『お前、マジで都合良いこと言うのな。会社で困るからってよ』
「私たちがうまく繋がるのは南條先生のお陰なのよ!」

私たち・・・ー。
私たち、身体は1つ、心は2つ。
好きになった人は、同じ1人の人。

蒼は黙る。

「そうよ。私も先生が好きよ。私は隠すけど。先生の前では絶対に隠すけど。そもそも蒼はどんなに先生を好きになっても、先生に同性愛感情がない限り無理だし、それ以前に身体は私なのだから、どうしたって蒼が望む成就はない」
『だとしても、お前が言った言葉、そのまま返すよ。アイツは医者だぞ、プロだぞ。どんなに隠したってすぐバレるからな』
「バレたら…」

バレたら、他の人のところに飛ばされる。

「ううん、そうならないように努めるんだから。ね、だからこそ、新しい企画のこと、何とか助けてよね」





#14へつづく


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