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【連載小説】あおい みどり #12

このお話はフィクションであり、病状・医師やカウンセラーの対応については物語の進行上、事実と異なる場合があります。予めご了承ください。

~ 蒼

翠はビジホのベッドで寝ていた。
南條医師を部屋に呼んだはずだが彼の姿はない。部屋で2人が語らった形跡も特にない。

翠のやつ、朝になっても起きる気配がない。無断欠勤するつもりか。
まぁそれならそれで勝手にしろ、と言いたいところだが、俺って根が真面目なのよね。
交代を試みたら、出来た。起きて簡単に身支度して、ビジホから会社に向かった。

「おい翠、起きたか? もう起きてるだろ?」

職場のデスクにつき、パソコンに向かって独り言を言っているフリをして話し掛けてみる。

『…』
「昨夜、南條とどうしたんだよ」
『どうもしない。ちょっと話しただけ』
「部屋に呼んだんだろ? 何もないわけないだろ?」
『本っ当に…どうして蒼はそんなに下世話なの? 南條先生がそんなことするわけないでしょう? 部屋の外で話したの!』
「で、何もせず帰ったのかよ」
『そうよ』
「バッカじゃないの?」
『バカはどっちよ!』

なに純愛抜かしてんだよ。今どき中坊だってもっとマセてるだろうが!

突然横から咳払いが聞こえる。課長の席からだ。
俺はトイレに行くふりをして席を立った。


「で、次のカウンセリング日、どうすんの」
『どうすんのって…』
「お前で行くのか、俺で行くのか、どっちかってことだよ」
『…』
「なぁ、昨日みたいな無理やり強制交代でかつ閉じ込めるようなことは嫌なんだよ、それはお互いな。南條先生にも言われてるだろ。"2人仲良く" って」
『蒼が変なこと言わないんだったら、あんたでもいいけど』
「変なことって何」
『じゃあ…私として行くわ』

その言葉に冷や汗が流れる。

「あ、いやその…俺もまだその…翠の母ちゃんのこともあるし、それで南條と話したいから、可能なら途中で交代してほしいけど」
『じゃあ、蒼として行けば? つべこべいうから答えてやったのに』

全く、本当に生意気だな、翠は。かわいくね。
でも案外あっさり引き下がってくれてホッとした。
翠は明らかに南條に対して強い感情を抱き始めているからだ。

でも本当にウカウカしていられないかもしれない。
俺は一つ、腹に決めた。


***


カウンセリングの日。

クリニックの駐輪場に停めてある南條の自転車。
ピーコックブルーのフレームにベージュで『Bruno』と書かれている。

ピーコックブルーブルー…よく見れば青と緑の中間色だ。
これ…偶然なのか…?

俺は硬い革のサドルを、そっと撫でるように触れた。愛しさが込み上げてくる。

『蒼、あんた何やってるの? それ、変態行為なんだけど』
「シーッ、翠は黙ってろ」

そして診察室に向かった。

「蒼さん、こんにちは」

常に一瞬で俺か翠か判断がつくのはさすがだ。

「秋になったのでお茶を変えてみました。金木犀が香るお茶です」

ホットティーの入ったカップを指し出しながら南條は言った。

「翠さんはその後、どうですか?」

そう、カウンセリングの対象はあくまでも翠だ。ゴクリと茶を一口飲んで、びっくりする。すごい香りだ。でもこれもクセになりそうだ。

「相変わらず生意気です」
「元気そうなら何よりです。交代することはあるのですか?」
「ありますよ。先生もこの前翠に会ったでしょ、久々に、ホテルで」

南條医師は微かに眉間に皺を寄せた。

「あの時の翠さんはだいぶ錯乱していたようですが、蒼さんは見えていたんですか」
「いや、俺は翠が先生を呼び出して、部屋に来ることになったことまではわかってるんだけど、2人がどうしていたのか全然知らないんだよ。今まで翠の記憶は後からでも再生出来たのに、あの時は俺が意識失ったっていうか、それとも翠が意図的に遮断したのか…」

そこまで言って俺はハッとした。

そうだ。翠は意図的に・・・・交代が出来たじゃないか。であれば記憶に関しても意図的な・・・・操作が可能かもしれないってことじゃないのか?

「先生、翠は自分の意思で交代出来るようになってるかもしれない」
「確かに、少しずつ回復していると思います。お母さんの件が大きいかもしれません」
「回復?俺にとっては不都合かもしれない。だって翠のやつ、俺を閉じ込めたんだぜ?」
「閉じ込める…? あぁ、そういえば…あの時翠さんは "蒼が言うことを聞いてくれない" と言って酷い頭痛を訴えていましたね。いつもの喧嘩、という風に翠さんは言っていましたが…本当はもっと厄介なことでもあったのでは?」
「厄介? あぁ、そうだな…めちゃくちゃ厄介なことになってるよ」

俺は肝を据えた。言ってやる。翠を出し抜いてやる。

「先生。実は俺、先生のことが好きなんだ」

我ながら中学生でもそんな告白しないだろう、とバカバカしくも思ったが、それを聞いた南條医師の目はまん丸に見開かれた。
が、すぐに次の瞬間、威嚇するように目を細めた。

それだよ。
俺はあんたのそういうところにやられちまったんだよ。

「先生のこと、初めて見たときから魅力的な人だなって思ってた。俺が世に出てきて初めて…なんつーかさ、動物の子供が生まれてすぐ見たものを母親と思って慕うって、それに近いような…」
「であれば、それは恋ではないです」

その切り返しに俺は面食らった。

「でも、見た目も…その…すごい好みで…」
「…」
「先生、俺が男だから、気持ち悪いって思ってる? 身体は女なのに心は男…いや、身体と別人格の奴から想われるなんて面倒くさいって、思ってる?」
「そんな風には思っていないですが」

南條は表情を緩めた。しかし普段見せるそれとは別の顔だ。

「蒼さんが抱いているのは、錯覚なんです。気付いてください。僕でなくても話を聴いてくれる人がいたら、きっと心開いているでしょう。その人を好きになったかもしれない。つまり僕である必要はないんです」
「勝手に決めつけるな! 俺はあんただから好きになった! それは間違いない!」
「いいえ。蒼さんが抱いている気持ちは錯覚に過ぎない。僕はカウンセラーとして向き合って来た。これは僕の仕事なんです。個人的な感情を込めてきたわけではない」

仕事。

その一言が、胸を突き刺す。

「もし仮に、蒼さんの気持ちを恋だというのであれば、それを専門的には "転移性恋愛" と呼び、カウンセリングに差し支える問題です」

声はいつも通り穏やかだが、その言葉は俺を突き放した。

「転移性…?」
「僕にとってクライエントと恋愛沙汰になるのは、仕事の破綻を意味します」
「それでも…誰かの話を聴いていたら、心が傾くことだってあるだろ? あんただって人間なんだし」

南條は唇を噛み締めた。

「近親相姦が人類のタブーであるのならば、精神科医はクライエントとの恋愛も同等のタブーです」
「…!」
「少なくとも僕は、そう肝に銘じているつもりです」
「それを言うなら、あんたと契約しているのは翠だ。俺じゃない!」
「僕にとっては蒼さんもクライエントの一人です」
「勝手なこと言うな! 俺は契約に同意した覚えはない。俺は無関係だ! だから問題ない!」
「蒼さん、それは恋ではないんですよ。似て非なるものなんです」


俺は…。
頭を殴られたような衝撃だった。

「どうして!?」
「…先程から言っているように、蒼さんは他の話を聴いてくれる人に、同様の感情を抱いたかもしれない。僕は精神科医として、臨床心理士として翠さん、そして蒼さんを始めとする苦しんでいる人たちに自分の出来ることを捧げるためにここにいます。恋愛感情を持つとカウンセリング本来の目的を達成しないのです」
「だから…結婚も…恋人も作らないっていうのか?」
「…そういうわけではないですが…」

黙る。
南條医師も、黙る。

「先生、あんたわかってるのか? 相当やばいオーラ出してるの、気付いてないのか? その態度のせいで泣いてきたやつ、いっぱいいるんじゃねぇの?」
「…」
「どうして黙る。そうなのか?」
「蒼さん、"転移" が発生すると、本来であればカウンセリングの中止、カウンセラーの変更が必要になってきます」
「…!」
「しかし先程蒼さんもおっしゃったように、僕の第一クライエントは翠さんです。翠さんの意思を伺わなくてはならない。次にカウンセリングにいらっしゃる日は翠さんとして来てもらうか、途中で翠さんに代わってください」

なんだよ…。
どうして俺は拒まれて、翠を出せなんて言うんだよ…。

ぶるっと、身体の中心で何かが湧き上がる。

次の瞬間、俺は南條医師を胸ぐらを掴んで押し倒し、その上に馬乗りになっていた。彼のシャツのボタンは引きちぎれ、噛みつきたいと思っていた喉仏に俺は触れていた。

「蒼さん…」
「先生…好きになることの何が悪い」

俺は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。

「悪いとは言っていません」

南條医師の顔は強張っていた。

「でも、俺の気持ちを "妄想" だとか言いやがって…。そんなこと言ったらこの世の好きな感情は全部妄想ってことじゃないか」
「ある意味、そうだと思います」
「ふざけるな! 翠だって先生のこと、好きで好きでたまらないんだよ! 翠の意思なんか訊いたって無駄だよ!」

その時、室内にけたたましい警報音が鳴り響いた。






#13へつづく


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