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【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Moment's Notice #1

これまでのお話


Gymnasiumギムナジウム(高校)での授業開始に備え、梨沙は遼太郎に連れられベルリン市内で一軒家を構えているホストファミリーのSchulzシュルツ家に移った。学校の提携先として予め決められていた家だ。

Schulz家はこれまでもアジア人は何人か受け入れた事があったが、日本人は初めてとの事で、家族も興味津々のようだった。

「リーザ(梨沙のドイツ語発音)、よく来てくれたわね。ここにいるあいだは私があなたの母親代わり、この子はお姉さん代わりよ。遠慮なく何でも言ってちょうだいね」

出迎えたFrau Schulzはそういって自分のことをMutterムッター(お母さん)と呼ぶように言った。Mutterは遼太郎より少し年上のように見えた。

お姉さん代わりと紹介された娘のEmmaエマはブロンドの短い髪がボーイッシュな印象で、凛々しい眉をしている。父親のHerr Schulzは仕事で夕方戻るという。

実際には3人の子供がいると言い、長女と既に結婚して家を出ており、長男は地方都市で働いているという。
家に残っているEmmaは次女で、梨沙の2つ上の18歳だった。

ホストファミリーの家族構成はについては、女子学生の留学先はなるべく若い男性がいない家に割り当てるなど配慮がされているようだったが、梨沙の場合は女の子でも人見知りをする可能性があったことが、遼太郎にとっての最も懸念事項だった。

MutterもEmmaも人懐っこい笑顔で迎えてくれたが、梨沙は案の定人見知りを発動し、遼太郎の背後に隠れモジモジしながら不安そうに見上げるばかりだった。
遼太郎は “大丈夫” と瞳で頷き、家族にドイツ語で他国との文化の違い、少々厄介な梨沙の性格などを伝えた。

Mutterはたいてい留学生の家族とは英語で挨拶を交わしてきたが、ここまでドイツ語を流暢に話してくれる人がいるとは、と遼太郎のドイツ語を褒め、さらに「Kein Problem!(問題ない)」と力強く言った。
梨沙もようやく

「Hallo」※ドイツ語の挨拶。英語のHelloとは異なる。

と遼太郎の背後からはにかんで短く挨拶をすると、Emmaがにこやかに右手を差し出した。
梨沙もぎこちないながらも握手を交わしていたので、遼太郎はホッと胸を撫で下ろした。

梨沙がEmmaに連れられて2階の部屋に上がって行くと、遼太郎はMutterに向き合った。

「Frau Schulz, もう一つ、お伝えしておきたいことがあります。事前に軽くお話させて頂いておりましたが」

梨沙の気質についてだ。衝動的に行動を起こすことがあり、何より先日の自傷行為の件があった。しかしMutterは案外平気な顔をして聞いていた。

「定期的にカウンセリングに通わせます。これは頓服や睡眠薬です。あなたの方で預かってください。頓服は本人も数錠持ち歩かせます。もし何かあれば時差は気になさらず至急連絡をください。すぐに迎えに上がって、帰国させますから」
「承知しました。でも…実は私の一番上の娘も、自傷癖があったのよ」
「えっ?」
「今は結婚して子供も生まれて平穏に暮らしているけれど。中学生の頃は酷かったわね。あの子の父親は別れた前の夫だから、環境が変わってナーバスになったんだと思うの」

遼太郎は不思議な縁を感じていた。

「そうだったんですか…」
「Emmaは今の夫の娘でね。当時まだ小さくて、お姉ちゃんになかなか受け入れられずに苦労したこともあるんだけど…。そういう意味で私も含めて免疫・・はあるから、こちらのことはあまり気にしないでちょうだい。しっかり面倒見させてもらうわ。寂しい思いはさせないようにするから。部屋のドアに鍵はついていないし、広い部屋に可動式の仕切りを作って、プライベート空間は持ちながら実質Emmaと同じ部屋なの。そうだ、あなたも見て行ってちょうだい。安心するでしょ」

そう言って2階へ行くよう促した。

階段を昇ると、2階は天窓もついた明るい部屋で、可動式の壁はオープンにされていた。閉じても完全に隔てるわけではないようだ。どちらかというと、広い部屋に留学生用にプラーベートスペースを設けたような感じだ。

「パパ」

遼太郎が上がってきたことに気づくと、梨沙は駆け寄りしがみついた。子供のようだと思ったのか、Emmaがクスッと笑った。

「広くて明るい部屋だな。ベッドはちゃんとカーテンがついているのか」
「リーザが夜は寝つきにくいって言うから、今つけてあげたのよ。かわいいでしょ」

Emmaがこんなこと何でもないよ、といった様子で言う。

「それは親切に…Vielen Dank(どうもありがとう)」
「リーザもパパもすごくドイツ語が上手ね。あとリーザがしている腕時計、すごく素敵ねって言ったら "パパからもらった" って」

そう言ってMarieは快活に笑った。

階下へ下りてテーブルに着きお茶をもらっている時に、遼太郎は日本語でヒソヒソと梨沙に話し掛けた。

「どうだ? やっていけそうか?」
「…まだわからない」
「まぁ…そうだな。でもきっと大丈夫だよ。彼らも日本にはとても興味があって、日本人を受け入れられて嬉しいって話していたじゃないか」
「…」

遼太郎に迷惑をかけたくないと意気込んで来たものの、いざとなると怖気づく。どんどん心細くなる。この後もう、遼太郎は帰国してしまうのだ。
今にも泣き出しそうな顔をしている梨沙の頭を抱え、耳元で遼太郎は言った。

「梨沙、頓服飲んでおけ」
「今?」
「そうだ」

水をもらい、言われた通り梨沙は頓服を服用した。

「辛かったらいつでも連絡してきていいから。事情は軽く話してあるけど、Schulzさんたちには迷惑かけるなよ」
「うん…」

梨沙は左手の腕時計をそっと撫でた。

やがて運ばれてきたティーカップに口を付けると、懐かしいMinztee(ミントティー)だった。梨沙はMutterに「Haben sie Honig?(ハチミツはありますか?)」と尋ねた。

夕方になると一家の主、Herr Schulzが仕事を終え帰宅した。大柄で恰幅がよく口ひげを蓄えた、絵に書いたようなゲルマン顔の人の良さそうなおじさん、といった感じた。怯えるように見つめる梨沙に、優しく微笑みかけた。

挨拶を済ませると、遼太郎はShulz家を後にすることにした。

「じゃあ梨沙、元気で」
「…」

日の暮れかかった暗い道を行く遼太郎の背中が見えなくなるまで、梨沙は玄関の外で見送った。

「家族と離れるのはたしかに寂しいけれど、その分この1年間は新しいことたくさん経験できるわよ。楽しくやっていきましょうね」

Emmaがそう声を掛けてくれた。頓服が効いているのだろう。梨沙は大人しかった。けれど、黙って頷くだけで言葉は発しなかった。

「リーザ、今日は疲れただろうから、早めに休むといいよ」

Mutterはそう言い、Emmaに目配せした。様子を見守れ、という事だ。Emmaは頷いた。

「リーザ、シャワーどうする?」

梨沙は黙って首を横に振ったので、Emmaは梨沙の手を引いて2階へ上がった。

ナイトウェアに着替えている最中に、梨沙は泣き出した。

「リーザ、寂しいの? 無理もないよね。早く慣れると良いね」

それでも梨沙は黙ってベッドに潜り込んだ。腕時計をはめたまま、文字盤にキスをする。
やがて薬の影響か睡魔が襲い、すぐに眠りについた。

翌日以降もまだ慣れないせいか、梨沙は学校が始まるまでは食事が済むと真っ先に部屋に向かい、タブレットで何かを描いていた。そうして集中していれば寂しさを紛らわせた。眠る前には不安が強くなるので、睡眠薬を飲んで寝るようにしていた。

一生懸命何かを描いている梨沙にEmmaが声をかける。

「リーザって左利きなのね。時計はめてるけど邪魔にならない?」
「あ…こっちに付けている方がいつも視界に入るから…」
「時間をいつも気にするタイプ?」

そうじゃないけど…と言いたかったが、まだそこまで突っ込んだ話をしたくなかった。Emmaは続ける。

「で、リーザはいつも何を描いているの?」

梨沙は黙って画面を見せた。ベルリンの街並みと思しき風景が細かい線で描かれ、独特の感性で色が重ねられている。

「えぇぇ…リーザ、絵が上手なのね!」

褒められて悪い気のしない梨沙ははにかんだ。

「ね、他にもある? 良かったら見せて」

梨沙は素直にタブレットを渡し、Emmaは画像をスワイプしていった。
芸術的・観念的な絵もあれば、先ほどのような非常に細かい線で描かれる繊細な絵もあった。

やがてEmmaはある1枚で指を止める。

「あ、これ…」

梨沙はその絵を覗き込んで「あ」と声を挙げた。

Emmaが目に留めたのは、先月行ったボーデ美術館のムゼウムカフェで描いた遼太郎の絵だった。
梨沙は恥ずかしくなり、タブレットを取り上げた。

「その人…リーザのパパよね? すごい。リーザって写真みたいな絵も描けるのね!!」

真っ赤になった梨沙はタブレットを胸に抱き締め黙り込んだ。

「隠さなくてもいいのに。すごく上手だし素敵よ! ね、ママの絵はないの?」
「…ない」

ぶっきらぼうに梨沙は答えた。

「…ママは日本にいるからアレか…。でもリーザ、本当にすごいわ! 絶対アーティストになれるわよ!」

梨沙は絵を褒めちぎられたことが嬉しかったが、どう表して良いかわからずに曖昧な表情のままタブレットを抱える腕に力を込めた。





#2へつづく


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