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【連載コラボ小説】夢の終わり 旅の始まり #2

翌日。
ここ数日の曇天から打って変わって、秋の訪れを感じる高い空が広がった。
温泉宿を出て県道を進み、そのまま関越には乗らずにしばらく下道を走った。

近くに赤城山がある。
自分の地元にも山はあるが標高はあまり高くないし、あえて登るようなこともしない。
天気も回復したことだし、行ってみるか。時間もたくさんある。むしろ予定がない。

県道4号線が通称『イニシャルDコース』と呼ばれているらしく、そちらから上がってみることにした。
ちなみに『イニシャルD』は読んだことはない。

昨日の温泉での写真も父に送ったが、やはり既読スルー。
山頂からの眺めの写真を送っても、やっぱり既読スルーされるのかな…。

そうは思いながらも、晴れた空を上に望み、見晴らしの良い場所に出れば自然とカメラを向けてしまう。
そして送信。
時差もあるし、既読付かず。

「なんか一言、言ってくれたっていいじゃないか…」

モヤつく気持ちを抱えたところで腹がグーっと鳴った。昼はとうに過ぎていた。
ドライブスルーでも良かったが、町に降りて適当に彷徨ってみようと思った。

暫く走るとペパーミントグリーンの壁に三角屋根の洒落た建物が目に入った。
こういう喫茶店みたいな店の飯も旅だからこそいいかもな、と思い駐車場に車を停めた。

入口のドアを開けて驚いた。

グランドピアノが置かれている。主を待っているかのように、微かなスポットライトを浴びて鎮座している。

「いらっしゃいませ」

カウンターから声を掛けられハッと我に返り、カウンターの隅の席に着いた。メニューを手に取り何にしようか考えていると、水の入ったコップが置かれる。

チラリと振り返り、グランドピアノを見やる。
そしてまたメニューに目を戻す。

「あ、すみません。えっと…ハンバーグのセットをライスで…あと食後にプリン・ア・ラ・モードとコーヒーをお願いします」
「かしこまりました」

振り返り、またピアノを見やる。

「もうしばらくしたらうちのピアニストがやって来て演奏が始まりますよ」

カウンターからセットのサラダを出しながら、年配の男性はそう声を掛けた。

「あ…、そうなんですか」
「ピアノ、ご興味がおありで?」

まさか話しかけられるとは思っていなかったので動揺してしまった。

「あ、えっ…」
「あ、これは失礼しました。ピアノを気にされているようでしたので…。あなたも綺麗な指をされていますし」

咄嗟に手を隠し「いや、僕は別に…」と言うのが精一杯だった。

やがて目の前に湯気を立てたハンバーグとライスの皿が置かれた。湯気にも匂いにも腹が鳴った。
デミグラスソースを絡めながらハンバーグとライスを夢中で頬張った。外側がカリッとしたバターソテーのジャガイモも美味だった。

食べている途中で背後で気配がし、振り向くとピアノの前に着座しようとする男性が目に入った。
細身で長身なのに驚いた。相当のっぽだ。
そして整った眉に切れ長の目が際立っていた。

そんな彼が引き出した曲はベートーヴェンの『ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73「皇帝」』だった。

僕はハンバーグを咀嚼しながらも身体半分は振り返り、ピアノを弾く姿をじっと見入った。

「リクエスト、何かあればお応えしますよ」

カウンターからまた、声を掛けられる。マスターと思しきその男性はにこやかに僕を見ていた。

「リクエスト…」

咄嗟に頭に浮かんだのはショパン。

今年の夏、父に招待されていったのはショパンの故郷ポーランド、ワルシャワ。
僕が弾くピアノの中で特に印象的だったと父が言ったのがショパンの『英雄ポロネーズ』だった。それでどうしても僕をワルシャワに招きたかったと言われた。

僕にとっての、いや、僕らにとってのカタルシスがワルシャワに、ショパンのピアノにあった。

「いえ…特には…」

目を合わせられずに答えるとマスターは「思いついたら遠慮なく」と言った。
僕は振り向かず食事を黙々と進めた。

演奏が終わり、フロアのテーブル席にいたお客さんたちが拍手をする。

「デザート、そろそろお出ししましょうか」

空になった皿を見てマスターが言った。はい、とお願いする。
僕はまた振り向いてのっぽのピアニストを見つめる。

ピアノを弾いて、お客さんから拍手をもらう。
僕もそんな達成感を何度か味わった。高校の文化祭で即興で弾いた時や大学3年で受けた地元のコンクールでは素人部門で銀賞を取った時。
その後も会社に勤めながらレッスンをゆるりと受け続けているが、では何を目指しているのかと言えば、特に何もない。

「お待たせしました」

プリン・ア・ラ・モードの皿が目の前に置かれる。程なくしてコーヒーも。
僕はおもちゃみたいな赤いさくらんぼを口に入れ、また振り返る。

引き続きベートーヴェンの『ピアノソナタ第23番「熱情」』が演奏されていた。超難関曲だ。僕は多分弾けない。
うっとり聴き入る客もいれば、BGMとしておしゃべるをする客もいる。
君たち、BGMにするにはもったいなさすぎるよ。襟を正して聴きたまえ…。

* * *

食事が済む頃、彼はピアノを弾きながら歌まで歌っていた。僕はオペラは疎くて何の曲かはわからない。

「お客さん…地元の方ではなさそうですね?」

会計の時もマスターは僕に話しかけてきた。

「はい、車で旅をしている途中で…」
「そうでしたか、どちらから」
「Y県です」

マスターは目を丸くして驚いた。

「それはそれは遠くから。ずっと車で? 」
「はい。ちょっと有給をもらって、あてもなく走っていたらここに来ていました」
「そうでしたか。じゃあこの後の予定も気ままに…ですかね」
「そう…ですね…」

お釣りを受け取るとマスターは言った。

「旅人の方だと難しいかもしれませんが…またいらしてください」
「あ、はい…。グランドピアノがあって生演奏を聞かせる喫茶店なんて珍しいなって思いました」
「…やっぱり、あなたもピアノ弾かれるんですか」

僕は俯き、曖昧に返事をした。そこへ女性が一人、店に入ってきた。

「羽生さん、こんにちは」
「あぁ彩子さいこちゃん、今日は早いね」

"彩子ちゃん" と呼ばれたその女性…、"ちゃん" 付にしては十分に大人の女性だったが、彼女もスラリとした長身で、僕は咄嗟にピアニストの男性のパートナーなのだろう、と直感した。

彼女は僕を見て軽く会釈をし、店内に入っていった。ピアニストが彼女に目配せをした。やはり、そうなんだろう。

「ありがとうございました」

マスターの声が背後で閉まるドアに吸い込まれていった。





#3へつづく

Information

このお話はmay_citrusさんのご許可をいただき、may_citrusさんの作品『ピアノを拭く人』の人物が登場して絡んでいきます。

発達障がいという共通のキーワードからコラボレーションを思いつきました。
may_citrusさん、ありがとうございます。

そして下記拙作の後日譚となっています。

ワルシャワの夢から覚め、父の言葉をきっかけに稜央は旅に出る。
Our life is journey.

TOP画像は奇数回ではモンテネグロ共和国・コトルという城壁の街の、偶数回ではウズベキスタン共和国・サマルカンドのレギスタン広場の、それぞれの宵の口の景色を載せています。共に私が訪れた世界遺産です。

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