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【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Father Complex #11

翌朝。
2人でアパートメントホテルを出て、一緒にU-Bahnに乗り込む。

車内は狭く、ガタガタと固い乗り心地だ。2人のお出かけではいつもはしゃぐ梨沙も流石に大人しい。遼太郎は不眠のためか眉間にずっと皺が寄っている。

今日は学校に行くと言った梨沙に、遼太郎は送る、と言って出てきた。それも、校門の前まで。

「授業が終わる前に連絡して。迎えに行く」
「そこまでしなくても…」
「いいから。あと、帰ったらちゃんと今後のこと話そう。頓服、持ってきてるよな?」
「うん…」
「ヤバいと思ったらすぐに飲んでくれよ」
「…わかった」

校門を入り振り向いても、遼太郎はまだ佇んでいる。
教室に上がり窓から下を見下ろしても、やはりまだそこにいて視線を彷徨わせていたが、やがて梨沙と目が合った。
遼太郎は眩しそうに手をかざし、その手を小さく振った。梨沙も振り返す。胸に小さな針が刺さったように痛み、苦しくなった。
あんなにつらそうな父の姿を見るのは初めてだった。

「リサ、おはよ。外に誰かいるの?」

背後からクラスメイトのYasminが声を掛けてきた。手を振っていた梨沙を見ていたのだろう。そう尋ねられたが梨沙は「ううん、誰も」と嘘をついた。
見られてはいけない気がして、Yasminを窓辺に近づかせないよう、梨沙が駆け寄った。

「昨日来なかったからどうしたのかと思ったのよ。連絡しても返信なかったし」
「ごめん、ちょっと体調悪くしてた」
「そうだったの。声、ちょっと枯れてるね。まだあまり調子よくなさそうだね」

梨沙は本当の理由を話せなかった。
まさか父親に振られて自暴自棄になって、自分を傷つけた上に数人の男に襲われそうになっただなんて。
Yasminは敬虔なイスラム教信者ではなかったが、それでも流石に言えなかった。

「そうでもないよ」
「風邪引いたのかな? ハチミツ舐めたらどうかな。効くよ。うちにあるの、持ってきてあげようか?」
「ううん、大丈夫」
「じゃ、後でミントティー飲もう。リサ、ミントティーにハチミツ落とすの好きって言ってたよね」
「うん、ありがとう」

その日の梨沙はなるべく声を発しないように、そしてなるべく存在を消した。
しかし休憩時間、通りすがりにElianaは相変わらず嫌味を言ってくる。

「Hey, Geil--u!(女性を侮蔑する言葉)。一丁前に顔に傷なんか作って、何やらかしたの、チビワンコちゃん」

その言葉にヒヤッとし額をすぐに隠したが、同時にElianaを睨みつけた。

「Elianaのドイツ語の能力は、そんなレベルの単語しかないの!? Fo--e!(女性を侮蔑する言葉)」
「お前もだろ! しかも何、その声。夜中に遠吠えし過ぎなんじゃないの?」

ケラケラケラ、とElianaの周りにいるいつもの女の子たちも笑う。
梨沙は頭に血が昇りつかみ合いの喧嘩になりそうだったが、またYasminが止めに入って梨沙を教室の外に引っ張り出した。

Yasminは誰とでも平等な付き合いをするタイプだが、こと梨沙に対しては特に気にかけてくれていた。時折暴走する梨沙を、彼女はいつもなだめてくれる。

「なんだってアイツは私にちょっかいだすの!? ほっといて欲しいのに! 私はElianaなんか相手にしたくないのに!」

Yasminはため息をつく。2人の罵り合いはとても聞き苦しいもので、せめてそれは梨紗には何とかして欲しいと思った。

「リサ、あなたの言葉遣いも酷いよ。Elianaと変わらないわ。それって恥ずかしくないの?」
「…」

梨沙は不貞腐れてそっぽを向いた。そして、こういう時もあの頓服を飲まないといけないのだろうか、と考えた。

***

約束通り授業終了後に遼太郎に電話をすると『迎えに行く』と言ってきた。

「お仕事は?」
『お前はそんなこと気にしなくていい』
「ねぇ、本当に一人で帰れるよ。大丈夫だから」
『もう近くにいる。10分ほどで着くから』

電話を切った後、Yasminが声を掛けてきた。

「リサ、体調はどう?」
「あ、うん。問題ないよ」
「そうしたらさ、モロッカンカフェに寄って行かない? ハチミツミントティーと…あったらバクラヴァも食べようよ」
「あ…ごめん。今日は早く帰らないといけなくって…」
「そうなの?」
「パパも…体調崩してて…」
「えぇぇ? 大丈夫? 買い物とか手伝おうか?」
「本当に大丈夫。でもだから早く帰らないと」

Yasminは心配そうな顔をしながらも「お大事にね」と言ってくれた。
校門の前まで来るであろう父の姿を見られてはいけない気がして、梨沙は大慌てで外で出た。ちょうど向こうから遼太郎が歩いてくる姿が見えたので、駆け寄った。

「どうした?」
「ううん…なんでも…。学校の前は人が多いからと思って」

そうして遼太郎の腕を取って歩き出そうとし、慌てて手を離した。こういうことももういけないことなのかと思ったからだ。
一瞬、不思議そうに梨沙を見た遼太郎だったが、すぐに口元を結ぶとその手を取った。返って梨沙が驚いた。父の方から手を繋いでくるなんて。

「今日は頓服、飲まずに済んだか?」
「…飲んでない…けど」
「けど…何があった」

少し呆れたようにため息をついた遼太郎に、
Elianaと言い合いになった時、また頭に血が昇ってしまったことを素直に話した。

「そういう時も飲んだ方がいいの?」
「そうだな…相手を怪我させたりしたら大変だからな」
「私、そんなに凶暴じゃない…」

と、思っていたが、Yasminが止めなかったらどうなっていただろうか?


私、本当にどうなってしまうんだろう?
どうしてこんな風になってしまったのだろう?
せっかくベルリンに来たのに。
私の真実ほんとうの故郷、それも大好きなパパと一緒に。

それなのに。

ただ一緒にいられたらそれで良かったのに。


黙り込んだ梨沙の顔を覗き込み、その表情を見て遼太郎はハッとする。

「ごめん。俺の言い方が悪かった」

道の真ん中で、遼太郎は梨沙を抱き締めた。


離れることがわかったら、一緒にいるだけじゃダメになった。

こんな気持は初めてだったの。


梨沙は遼太郎の胸で息を大きく吸い込んだ。

薬じゃだめ。
この匂い、この温もりじゃないと。


でも、許してもらえないの。
神様。
どうして。





#12(Father Complex編最終話)へつづく

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