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【連載小説】1989 From far east #1-2 ブルガリア・リラの僧院~ソフィア市内

朝6時半起床。私にとっては相当な早起き。
食事もそこそこにホステルを出て、リラの僧院行きのツアーをやってる「Hostel Mostel」に向かう。
ちなみにこの「Hostel Mostel」に宿泊すればよかったんじゃないかって話もあるけど、ここはツーリストの間では人気もあるらしく、いわゆるちょっとイケイケな感じなので、英語の苦手な私は避けた、というわけです。トホホ。今泊まってるホステルは、そんなに人気がない。ゲストハウスって感じ?

あいにくの雨模様。

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トラムはポップな色合いでかわいらしい。でも短期滞在で乗りこなすのは、なかなかハードルが高いと思う…。

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いかにも”旧共産圏”を思わせる建物を見るとワクワクする。

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「Hostel Mostel」に到着。

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リラの僧院行きツアーに参加するのは全部で8名ほど。東アジア人と思しき顔が3人、あとはオーストラリア人、アメリカ人、ヨーロッパ系…という感じだった。
車はバスというより8人乗りくらいのバンみたいな車。まぁそんなもんか。
予定の時間より30分くらい遅れて、いざ出発!

そしてソフィアから50~60kmは南下してきただろうか。ガソリンスタンドに立ち寄って休憩。

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のどか。聞けばリラはもうすぐそこらしい。中間休憩でもないってわけ。
で、10分ほど休んですぐに移動。

で、到着。
Рилски Манастир(リルスキ・マナスティル)、リラの僧院。

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ブルガリア聖教の総本山ともいうべき僧院で、フレスコ画が有名。

雨はあいにく降り続き、そして肌寒い。そのためか人は少なく、ひっそりとした印象だ。

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なんかものすごく輪郭のはっきりした建物だなぁと思う。アーチの縞模様とか、ちょっとイスラム様式を思わせるけど、ここは関係なさそう。オスマン朝の支配下にあった時も、ここだけは信仰が黙認されていたという。

建物自体は1833年に火災でほとんど燃えてしまったらしい。なので今の姿はその後復元されたもの。

唯一、火災を逃れた建物が僧院のすぐ横にある「Хрельова Кула(フレリョの塔)」で、14世紀に建てられた当時のままだという。
それがこれ。

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この壁画もそもままだとしたら、だいぶきれいな状態で残ってるってことよね…。

そしてフレスコ画。僧院の外廊の壁、天井にびっしりと描かれている。

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絢爛過ぎてめまいがしそう…。

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フレスコ画は割とすぐにお腹いっぱいになってしまったので、裏口から外に出てみる。

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小さな川が流れていて、鱒料理が食べられると聞いた。でもツアー中にもしかしたら食事の時間があるかもしれない(ということすらよくわかっていない)ので、どうしようか迷ったけど、我慢した(後にこの我慢は無駄だったと悔やむこととなる)。
お土産物を物色すると、バラとヨーグルト成分が入っているコスメがたくさん売られていた。ブラボー!海外のコスメ大好き。地元のドラッグストアで売ってるような、ガツガツしてないやつね。

ここは女友達へのバラマキ土産にちょうどいいでしょう。私はハンドクリームやフットクリーム、リップなどを買い込んだ(後にこれもソフィア市内でもっともっと安く変えたので後悔することとなる)。

僧院の裏口は、こんな感じ。

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割と持て余すほどの時間があった。やはり鱒料理を食べておけば良かった…。

帰りに別の観光スポットに立ち寄った。相変わらず、どこのなんなのかはわかっていない(←英語やれ)。

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で、雨でぬかるんだり、石畳なんてめちゃくちゃ滑りやすいのに、せっまいところ入っていけと促される。

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閉所恐怖症は無理だと思う…。
奥にはこういったものが。

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うん。了解。

で、食事タイムはなくソフィアに戻りそのまま解散…嗚呼鱒料理!

帰ろうと思っていると、ツアーにいたアジア人の男の子と、ブロンドヘアの女の子が「一緒にランチに行かない?」と声をかけてくれた。

さぁ、とてもとても嬉しいのだが。なにぶん英語が出来ないもので。

それを伝えると「いいよ、大丈夫!」

まぁ、そうなるよね。これもなにかのご縁なので、一緒に行くことにした。
街ナカのイタリアン。イタリアンか~まぁしょうがないね。

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聞くと、男の子は香港から、女の子はオーストラリアからだという。
外国の方、日本に多大な興味があるのは皆さん同じ。色々質問攻めにあうのだけど、うまく答えられない。
あぁごめんなさい、というか情けないわー。フランス語だったら、もうちょっとマシだったんだけどね…。

香港人の彼は、アゼルバイジャンに最近言ったという。
へぇ、あたしも去年行ったんだよ。
そうなんだ?
まぁでも、そこから盛り上げる話法を知らないので…。

すごくいい2人だったけど、ランチの後も一緒に散歩しない?って誘ってくれたけど、ちょっと寄る所あるから帰るね、って別れてきた。悲しい。
そういう言い訳は出来るんだな…。

雨がようやく上がって、気を取り直して市内を1人で散歩する。

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メトロのСердика(セルディカ)駅の横にпл.Св.Неделя(スヴェタ・ネデリャ広場)があり、向かいにそびえ立つのは旧共産党本部の建物だ。

建物向かって右側に延びる通り、бул.Цар Освободител(ツァール・スヴォボディテル大通り)を東へ行くと、
Храм Св.Николай Мирликийски Чудоторец(聖ニコライ・ロシア教会)や
пл.Народно събрание(国会議事堂)、
突き当りに
Су.Св.Кл.Охпридски(ソフィア大学)があり、
少し北上すると
Храм Св. Николай Мирликийски Чудотворец(聖ニコライ・ロシア教会)や
Храм-Паметник Св. Александър Невски(アレクサンダル・ネフスキー寺院)など
見どころが詰まってる。

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旧共産党本部の向かい側は大統領官邸。時間的に衛兵さんの交代は見ることが出来なかった。
赤い制服がなんとなくブルガリアっぽい。

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ツァール・オスボデティル大通りを東へ進むと見えてきた。金色の小さな玉ねぎドームがいかにもそれらしい、聖ニコライ・ロシア教会。
この教会を左手に観ながら通りを折れて進むと見えてくるのが、アレクサンダル・ネフスキー寺院。

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ブルガリア最大で、ネオ・ビザンティン様式の代表的な建物。同じ様式で有名なのは、ロンドンのウエストミンスター大聖堂かな。

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アーチ型が印象的。

また、小雨が降ってきた。天気が安定しないなぁ。
セルディカ駅の方まで戻り、Централни Хали(セントラル・ハリ)というショッピングセンターへ行ってみる。以前は中央市場だったので、ショッピングセンターと言うより、他の国でもよく見かける、いわゆる屋根付きの市場だ。

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セントラル・ハリの向かい側はモスクがあり、裏手にはシナゴーグがあり、少し下ったところにブルガリア正教会の教会がある。こんなに近距離に異なる宗教の教会があるのはなかなか珍しい。その分行き交う人も雑多な印象で、少し気を引き締めて歩いたほうがいいかもしれない。

セントラル・ハリの中に入ると「さの」という看板を見かけた。思わず友達の佐野さんに写真付きでメッセージを送ってしまった。

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店内をぶらぶらして、ワイン屋さんを覗いてみる。店番していたのはおじいさんだったけど、驚いたことに英語で話しかけてきた。私も片言の英語で、ブルガリアならではの赤ワインのオススメを聞いてみた。Гъмза(ガムザ)という土着品種のワインを勧めてくれた。旅のお供に開けていきますか。

外へ出て、ヴィトシャ大通りをホステル方面に歩く。途中のオシャレなカフェに入って、旅の疲れを癒やすとしますか。

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どこの国もカフェのベイクド・チーズケーキは最高だ…。

店を出る。通りの突き当りに見えるのが聖ゲオルギ教会。さっき行ったセントラル・ハリがある方向。北に向いてるってことね。

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逆を向くとヴィトシャ山が見える。ソフィアが盆地なのがよくわかる。

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明日は元大関琴欧洲の故郷、Велико Търново(ヴェリコ・タルノヴォ)に向かう。チケットの予約はしてなく、行き当たりばったりでバスターミナルへ行って切符を買う。予め、ブルガリア語のメモは作ってきている。

英語はてんでダメなくせに、こういうところは頑張る。

なんか、せっかくその国に来てるんだから、土地の言葉を使って、現地の人に「おっ!?」って思わせたいのよね。

英語できないくせに、現地の人と絡みたくてしょうがない。有名な観光地に行って写真撮りまくるより、街に溶け込みたい。

これはフランス好きだった頃、そう思うようになって。
フランスは特に、フランス語使って話そうとする外国人にあからさまに優しい…気がしたの。

とにかく、楽しかった。言葉が通じるってことが。

お楽しみが増えるからね。

じゃ、今日もおやすみ!



#1-3へつづく

[訪問時期]

2016.05.02~05.05


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