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【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Father Complex #9

瞼の裏に真っ白な光を感じて梨沙が目を覚ますと、激しい頭痛で顔をしかめる。二日酔いのようだ。
白いカーテンの外はかなり明るく、もう日が昇ってしばらく経っていることを表している。

横を見ると既に遼太郎はベッドの上で身体を起こし、こちらを見ていた。

「パパ…」
「今日、学校、休むだろ?」

眠れていないのか、虚ろな表情で遼太郎は訊いた。

「…行く」

多少の責任を感じそう答える。

「行けるわけ無いだろう、そんな身体で」
「大丈夫だから…」
「お前の大丈夫は信用できない」

梨沙は驚きで目を丸く見開き、遼太郎は大きなため息をついた。

本当は "信用できない" なんて言いたくなかった。
けれどもう限界だ。自傷し、深夜に飛び出し、暴行寸前までの騒ぎを1日で起こしているのだから。

「…お前も一緒に日本に帰るぞ」
「…どうして。嫌だよ」
「今のお前を残して俺が一人で帰れるわけないだろう?」

夏希の言葉がよぎる。
"何かあってからでは遅いのよ" と。

「もうこんなことしないから」
「梨沙…」

今までは、少しづつでも出来るようになっていくから、と言い聞かせてきた。
けれどこのままでは彼女の人生に傷を、もしくは命にも関わるような大事を起こしかねない。

「梨沙、お前は自分の衝動を抑えられないんだ」
「パパ…腕時計が来たら…お守りが来たらきっと平気だから」
「俺自身がそばにいたって、だめだっただろう?」
「だったら日本に帰ったって、同じこと。パパがずっとずっと私のそばから離れずに監視するなら別だけど、そうじゃないでしょ。どこにいたって私は私だもの!」

その言葉にハッとする。
私は私。

遼太郎はうなだれた。そして目に入った自分の両手を茫然と見る。

それは以前、そう、自分が肩の怪我を負った時のことだ。

"息子" と揉み合って出来た傷。
俺がアイツの目の前で死んでやったら、アイツはそれで満足するんだろうかと、一瞬よぎった。
いや、満足なんかするはずがない。
俺が死ねばアイツの母親…かつての恋人、チェリンがどう思うか。

その時チェリンの眼差しが、俺の胸をかすめた。
何度も夢に現れうなされた、あの美しく、俺を咎める哀しく鋭い目。

俺の中で何かが切れる。

そうしてアイツが持っていた小さなナイフを俺の方に向けさせ、わざと倒れ込んだ。左肩の傷はその時のもの。

その翌日にアイツが夏希と梨沙に接触したと知った時、あれほど近づくなと言ったのに聞かなかった事に対し、再びプツリと切れた。

バカなのか。俺の言ったことがわからないのか。
恐ろしいことしないでくれよ。

妻と娘を守るために…ついでにもうこれ以上面倒なことを消すために、俺は出かけた。
蓮を連れて、アイツが居候する部屋へ。

"野島の家" に跡継ぎなんか…男なんかいらないんだよ。

俺の手で消し去ってやる。


けれど気づいた時には息子 "蓮" は烈しく泣き、俺は手にしていた刃物を落としていた。
アイツは怯えたような、信じられないといったような目をして、茫然と俺を見ていた。
電話の向こうでアイツの母親が…チェリンが、涙声で俺にこう言った。

『あの子の父親はあなたよ。勝手なことしてごめんなさい…』

俺もまた、全てを終わらそうと・・・・・・・・・衝動的な行動を起こしていたのだ、あの時。失敗したが。

梨沙にはして欲しい失敗と、して欲しくない失敗がある。
娘、だから。俺の娘だから。
梨沙は "俺" ではない。けれど、まるで俺の分身だ。

「梨沙…ならばひとつ、やってほしいことがある」

梨沙は真剣な表情で遼太郎を見た。

Psychotherapieサイコテラピー(心理療法)を受けて、必要なら薬をもらって飲め。気持ちを落ち着かせることが出来る」
「…」
「一生飲むことになるのか、一時的で済むのかはわからない。でも少なくとも今のお前には必要だ」

梨沙は何かを言いかけたが、それに被せるように遼太郎は「嫌とは言わせない」と言った。

「頼む。俺がいない間の…それこそ "お守り" なんだよ…」

再びうなだれた遼太郎に梨沙は「わかった」と答え、憔悴しきった遼太郎を見て胸を痛ませた。

***

結局梨沙は学校を休み、すぐにクリニックを予約し2人で訪れた。

「ASD(自閉症スペクトラム)の疑い? そうでしたか。彼女はADHD(注意欠如・多動症)も持っていますね」

ドクターはそう言った。

「発達障がいをお持ちの方は、併発していることも多いです」

梨沙は口を固く結び、黙って聞いている。

定期的にカウンセリングを受けることを勧められ、様子見として精神安定剤(頓服)と睡眠薬を処方された。

帰りの道中、梨沙はほとんど口を利かなかった。

「いとも簡単にADHDと言われて、ショックか?」

遼太郎が尋ねても黙って俯くままだった。

アパートメントホテルに戻っても黙り込む梨沙に、遼太郎は隣に腰掛け頭をそっと撫でた。

大きな手。
梨沙はそっと頭を遼太郎の肩にもたれさせると、思いがけず抱き締めてくれた。

いい匂いがして、優しくて、世界で一番好きな人。その温もり。
いつまでもこうしていたい。

けれどそれは許されない。

梨沙は遼太郎の胸にそっと手を置き、言った。

「…自分の気持ちが、パパに良くないことしてる。今回のことでパパは今までで一番怒ったし、一番悲しい顔したし、一番冷たくなった。私、そんなパパ見たくないと思った。私がいけない気持ちを抱いている、パパを苦しめることになるっていうことが、よくわかった」

遼太郎は何も言えず、黙っている。ただ梨沙も泣き出してしまう。遼太郎のシャツが大粒の涙で濡れていく。

重い沈黙の隙間を梨沙のすすり泣く声が縫っていく。

「でも…どうしたらいいかわからない。パパを好きになる娘なんて。どうして私はこんな風になっちゃったんだろう。私なんて生まれて来なければ良かった…それならパパも、あんなに怒ったり悲しんだりしなくて済んだ」

梨沙の言葉は遼太郎にとっては最も辛辣な言葉だった。
自分には命を繋ぐ資格がないと、改めて思わされる。

「梨沙…そんなこと言わないでくれ…」
「嫌だよね、こんな私…気味悪いよね。面倒くさいよね」
「そんなことはない…」

抱き締める遼太郎の目にも涙が浮かんでいた。

すがるように見上げると、自分を見る遼太郎の目にハッとした。

傷を負ったミカエル。あの目だ。
伏し目がちで、物悲しく、憐れむように見下ろす、あの目。
自分が描いた表情をそのままに、見た。

昨夜、男たちに囲まれていたところを助けてくれた。よく考えればあのタイミングで現れたのは奇跡だった。頬の痣はあの時にやられたのだろう。また、私のために傷を負ってしまった。

ミカエルは剣を振りかざし、悪を切り裂いた。私を守ってくれる象徴だと思った、あの姿。

守り神でもあり、天使でもあり、崇拝の対象である。最愛の人でもある。
でも、父である。

溢れるように渦巻く感情を、梨沙は処理しきれない。身体ごと破裂しそうだった。





#10へつづく

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