あなたがそばにいれば #23
Natsuki
9月も半ばに差し掛かるある夜。
彼が怪我をして帰ってきた。
実際に私が知ったのは翌日だったけれど。
遅くなるから先に休んでいて欲しいと連絡が入っていたから、子供たちを寝かしつけて私も部屋でウトウトしていた。
彼は静かに帰宅してそのまま部屋に入ったようだった。
翌日の朝になっても部屋から出てこない彼に声をかけると、ドアが薄く開かれ僅かな隙間から彼は顔を覗かせ、言った。
「昨日、ちょっと怪我をした」
「えっ? 怪我?」
「大したことはないんだけど、今日は休んでおく。会社には伝えてある」
「どうして怪我したの? どこを? 見せて」
少しの間ためらいを見せた彼だったが、やがてドアを開けた。
右頬に大きめのガーゼがあてがわれている。
「え…顔を怪我したの? 何があったの?」
「ちょっと、ガラスで…」
彼はそれ以上話さなかった。
「ガラス…? 頬以外は何ともないの?」
「…」
「どうしたの…言って?」
「ちょっとした事故みたいなものだから。大丈夫。ただちょっと休ませて欲しい」
私の頬にキスをして、彼はドアを閉めた。
蓮が部屋で泣き出し、その場を離れざるを得なかった。
そして彼はその日ほぼ一日中、部屋から出てこなかった。
食事も摂らなかった。
夜、早めの時間に一旦子供たちが寝静まったタイミングで、彼の部屋に近づき声を掛けた。
「遼太郎さん…食べないとダメだよ。部屋に運ぶから、ね?」
耳を澄ますと物音がし、ドアが開いた。
部屋の中は薄暗く、ベッドサイドの灯りが淡く点いているだけだった。
隙間から覗いた鋭い眼光にハッとする。
「遼太郎さん、子供たち今、寝てるの。部屋に入ったらだめ?」
彼は黙っている。ためらっているようにも見えた。
私は懇願する思いで彼を見つめた。
「そんなに私を避けなくちゃいけないの? 怪我をしているっていうのに、私はあなたのそばにいられないの?」
思わず強い言い方をしてしまう。
彼の厳しい表情が一変する。
「…ごめん」
弱々しくそう言ってドアを閉めてしまった。
こんなに近くにいるのに、遠く離れている。
「もう離れないよ」って言ってたのに。
私が出ていったら、追いかけてきてくれるかな。
そんな子供じみた考えさえ浮かんでくる。
私はドアにすがりつくように声を上げて泣いた。
我慢ができなかった。
私と彼の間にある透明な壁を壊したかった。
壁の正体は何だっていい。
壊したかった。
少し経ってドアが開く。
彼は床に座り込んでいた私の腕を取り、中へ引き入れた。
「ごめん…泣かないで…」
彼の右手が私の頬に触れる。
その時、左半身を不自由そうにしていた。
「怪我…顔だけじゃないの?」
彼はシャツをはだけさせた。
左胸から左上腕にかけて手当の跡、包帯が巻かれていた。
「そんなに…大きな怪我したの?」
私はガラス片で…という話を信じていた。
「…心配させたくなくて…夏希を…」
私は怪我に障らないようにそっと抱き締めた。
「隠す方が心配よ!」
彼は目を閉じる。
「何の事故だったの?」
「大したことはないんだ。こんな姿で帰ってきたら心配するだろうと思ったら、見せられなくて…」
「どうしてよ。私たち夫婦でしょう? 最近遼太郎さん、変に私のこと気遣ってない? 私のPTSDのせいだったら大丈夫だから。今の遼太郎さんの方が心配なの。睡眠薬飲み始めたし、最近は食事もろくに摂らなくなって、すごく痩せちゃったし…」
「…」
「全部話して、お願い。あなたは何を隠しているの? ずっと前から…子供が発達障がいになるかもしれないっていう話の後も、あなたは何かを恐れてる。それはなんなの?」
彼は苦しそうに顔を歪めた。息が荒くなる。
「お願い。苦しんでほしくないの。私、何度も言ってるように、あなたの全てを受け入れるつもりで結婚して、その気持ちはずっと変わっていないの。否定したり、突き放したり、絶対にしない。だから話して」
それでも何も言わない。私から目を逸らし唇を噛みしめる。
「言ってくれないのなら…私なんかいなくてもいいよね? むしろいなくなった方が気が楽になるんじゃないの?」
「…!」
驚嘆で目を見開く彼の身体を押しのけて、私は部屋を出ようとした。
けれど、腕を強く引っ張られた。
弾みで彼の胸の中に収まる。
彼の身体は最近いつも、熱い。
「夏希…」
そのままベッドに押し倒される。
「やめて…誤魔化さないで…」
しかし彼は覆い被さり、うるさそうにしていた右頬のガーゼを引き剥がした。
テープでとめられた切傷が頬一直線に引かれていた。
#24へつづく
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