見出し画像

【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Moment’s Notice #22

早速翌日から、梨沙は作品制作に取り掛かった。

交渉の末、とある一室の白い壁を確保させてもらった。脚立も借りた。
そこに黒いインクで線を描いていく。壁画である。

まず曼荼羅のような模様を四隅に描き、中央には蝶。その羽根の鱗粉部分に、非常に細やかにたくさんの花を描いた。ダリヤのような、桜のような、蓮のような。様々な形の花々を細かく。
蝶の飛ぶ軌跡にはやはり花々が咲き溢れている。

大人の塗り絵を思わせる細かさを壁に描いていく。大作だ。

蝶はもちろん、自分だ。
その蝶の目指す場所は、愛。その愛をどう表現しようか、梨沙は何十分も瞑想して考えた。
すぐにミカエル…子供の頃描いた遼太郎の偶像としての “傷を負ったミカエル” を思い付いたが、今回の絵のモチーフに人の姿は合わない気がした。
色々練ったがどれも浅はかな気がして、なかなか決められなかった。

朝早くから描き続け、気がつくと食事も取ることを忘れていた。
電話の時間になって一度我に返る。

日本は午前0時になるにも関わらず、遼太郎はオフィスにいるらしかった。

「まだお仕事中なの?」
『うん、立て込んでいる仕事があって、ちょっとな』

そう言って笑顔を向けてくれるが、疲労は隠せない。

「パパだけそんなに頑張らなくっていいのに」
『俺だけ頑張ってるわけないだろ。仕事仲間みんな頑張ってるんだ。お前はアートイベントの方はどうなんだ?』
「うん…実は追加で、大きな作品を出すことにしたの。壁画よ」
『壁画? またずいぶん規模が…。そういえば小学生の頃も、駅舎の壁に描いた絵が話題になったことあったよな』

そうそう。ね、ほら、と梨沙は制作過程の絵の一部を見せると、遼太郎も関心したように頷いた。

「ちょうど今描いている最中なの。イベント開催期間のうちに描き終えないと」
『イベントが終わったらどうなるんだ?』
「わからない。消されちゃうかも」
『残しておけないのか?』
「どうかな。作品が評価されたら残してもらえるかも。それとね、Emmaに言われたの。リーザはアーティストとして名を轟かせなよって」

無理だとは思うけれど、もしそうなったら。
どこかで稜央さんが私の絵を見かけたら、どんな反応するだろう?
彼の手元にもしもまだあの絵が残っているのなら…高く売ろうとするかな。
それとも、自慢の逸品としてずっと残してくれるかな。

Emmaにも言われたせいもあってそんな事をふと考えたが、当然遼太郎の前では口にはしない。

『いい野心だな』
「わからないけどね。でもあっと言わせるような作品を残してみようかなって思って。完成したら写真撮って送るね」

遼太郎は微笑んだが、ふいに眉間に皺を寄せ表情を曇らせた。

「…どうしたの? 大丈夫?」
『うん、いや、大丈夫だ』
「…電話、しない方がいい?」
『いいよ、掛けてきて。梨沙がつらくなる方が、俺はつらいから』

そんな言葉に梨沙は泣きたくなった。

「ごめんね」
『なんで謝る? お前は何も悪くないだろ?』
「ゆっくり休んで。お願いだから」
『わかってるよ。心配するな』

お決まりの指先のキスを交わして、電話を切った。
ふぅ、と息を吐くと、先程の遼太郎の言葉たちが梨沙の中で温かな血流となって流れていくのを感じた。

再び筆を取り、続きに取り掛かった。

制作中の様子も公開されているので、何人もが足を止めては感嘆の息を漏らしていく。
しかし梨沙に話し掛ける者はいなかった。彼女は誰も寄せ付けないオーラを放って描き続けた。

ギャラリー閉館の時間になってようやくお腹が鳴り、近くのInbis(軽食スタンド)でDönerデュナ―(ドネルケバブ)を買い、食べ歩きながら、自分が向かう愛の対象をどう描こうかと考えた。

***

2日目。
一晩『愛』のモチーフを熟考し、一つの案を導き出した。

絶対的な力があって、思わず跪くような、優雅で誇り高い。燃え上がるような激しい情熱を持ってるかと思えば、時折見せる凍てつくような鋭いオーラは震えてしまうほど対象的だ。

梨沙はそれを不死鳥フェニックスの羽根で表現しようと考えた。鳥の姿は描かない。姿は見せない。秘密の存在だから。けれど存在は絶対的なのだ。
不死鳥はたいてい孔雀のような姿で描かれる。だから羽根も孔雀をイメージした。

風に乗る軽やかな不死鳥の羽根。しかしそれは見方によっては炎が舞うようでもあった。
その炎のような羽根の中にも無数の花を散りばめる。

ちっぽけな蝶がそれを追いかける。
炎のような羽根は蝶を包み込むような、あしらうような微妙な動きを見せる。

追いかけるのは無駄なの。わかってる。
でも追いかけずにはいられない。

不死鳥を描いている時は、それこそ時を忘れた。それは愛する人を描いているも同じだったから、つい夢中になった。

だから気づいた時には電話の時間もとうに過ぎていた。さすがにもう遅すぎるから明日連絡しよう。

スマホを見ても、メッセージも入っていない。昨日あの時間にまだオフィスにいたのだ。相当忙しいのだろう。

梨沙は描いた不死鳥の羽根の一部だけを写真に撮り、送った。
『これ、パパなんだよ』と一言添えて。

なんて返してくるだろうか。

***

翌日から色入れ作業に入った。
ギャラリーを訪れる人々から「Oh,My GOD…」とため息が漏れる。
その中には気づく者もいた。彼女はきっとASDか何かを持っているのだろう。2日強でここまで描くその集中力と繊細な絵は、凡人の術ではないとわかる。

蝶は青、不死鳥の羽根は赤やオレンジ…そう、炎をイメージして。そして羽根の周囲は梨沙の見る遼太郎の “色” …マジックアワーのオレンジからピンク、紫へと変わる絶妙なグラデーションを施した。

全体的なイメージは"陽" だった。暖色の割合が多く(それは父でもあり愛の対象の存在が大きいせいかもしれない)、ここはパラダイスかもしれない、と想像させる。

色付けしているだけで涙が溢れてきた。強烈に愛しい人を感じていた。
それは作品に魂が入ったことを意味する。

「リーザ! …Waow…実物を見るとすごいわね…!」

Emmaが差し入れを持ってきてくれた。一日中家を空ける梨沙を気遣ってMutterがサンドイッチを作ってくれたのだ。
梨沙は脚立にまたがったままそれを頬張った。Emmaは床にそのまま座り込み、一緒に食べた。

「今日はIsabellaは?」
「彼女は学生じゃないからね。お仕事よ」
「そうだった」

ふふふと笑いあったが、Emmaは改めて絵を眺め、感嘆の息を漏らした。

「やっぱりリーザは、すごいアーティストになるわ」
「そうかな」
「そうなったら本当にあの彼も、梨沙の名前を見かけたら向こうから連絡してくるかもよ」

あぁ、と梨沙は少し呆れたように微笑んだ。

「もう忘れてるよ」
「思い出すかもよ」
「どうかな」
「お父さんよりも…色々可能性があるじゃない」

梨沙は黙り込んだ。Emmaは慌てて付け加える。

「否定しているわけじゃないよ。でも、やっぱりさ…」
「わかってる。言いたいことはわかるよ」

Emmaはため息をついた。

「まぁ、出会いはまだまだたくさんあるし…。とはいえ、それを除いたって梨沙の絵はきっと何か新しい世界を開くはず!」

Dankeと梨沙は言い、服についたパンのかすを払うと再び脚立に立ち上がって筆を動かし始めた。

その日の夕方。

昨日遼太郎に送った写真に対するメッセージの既読も付かない事に気付いた。

そして電話を掛けても出ない。それ自体は珍しくはないが、更にメッセージを送っても、折り返しかかってくることはなかった。

このところずっと忙しそうだったし仕方がないと思ったが、ふと、一昨日の通話中に眉間に皺を寄せた遼太郎の表情を思い出す。

「パパ…大丈夫かな」

気にはなるものの、梨沙も作品の完成に向けて打ち込むことにした。





#23へつづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?