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【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Moment's Notice #15

ベルリン、Neujahrノイヤーハ(ニューイヤー)が明けた朝。

昨夜の爆竹、お祭り騒ぎが嘘のように収まり、別世界かと思うほどひっそりと静まり返っている。一家は拍子抜けするような静けさの中、ゆったりと朝食を取った。

ただ一人、梨沙だけは、稜央に送った新年の挨拶もスルーされ、ため息をついている。遼太郎はこの旅行中ずっとそんな様子の梨沙に焦燥感が募るばかりだった。

今日は店なども開いているところも少ないので、遼太郎自身が最も好きな建築や街並みを楽しむことにした。

まずはOranienburger Straßeオラニエンブルグ シュトラーセ駅のそばにあるNew Synagogue…ベルリンのシナゴーグに向かった。

ここは金色に縁取られた窓のある天辺のドームが非常に美しい外観で、中もまた素晴らしい。

遼太郎は過去に旅好きな義弟の春彦に見せてもらった写真に魅せられ、自分も実際にハンガリーやブルガリアのシナゴーグを訪れたことがあるが、どれも感嘆のため息が漏れるほど美しかった。

しかし入場は厳格に持ち物検査や身体検査を行うところもあり、門をくぐるのにさえ警備員のチェックを受けるようなところもある。いまだにユダヤ人は標的の対象であり、警戒を緩めていないことを伺わせる。

こう言った建築物や街並みは、遼太郎にとっては美術館よりも何十倍も見応えがあり感動するものだった。多くの人が関わり、その息使いを感じる。人々の手で創られたもの、それが建物であり、街だ。

それは梨沙も同じようで、一通り見終わって外に出たがっている夏希や蓮をよそに、椅子に座ったままじっと瀟洒なシャンデリアを眺めている。

「シナゴーグには絵はないけど、関心持ったか?」

隣に座った遼太郎に一瞬梨沙は驚いた様子だったが、天井に目を戻して言った。

「うん、なんか色使いとか綺麗だなって思って」
「俺も今日はこういうところに来て、ちょっと落ち着くよ」
「パパ、昔は聴いてたのに、クラシック」

遼太郎は気まずくなりそうな雰囲気を感じ、話題を変えた。

「こういう場所に来るのも、お前の創作活動の刺激になるか?」
「うん」

梨沙は再びぐるりと天井の装飾を見回し、その先で自分を見下ろす遼太郎と目が合った。が、慌てて逸らす。
そうして、入口付近でしびれを切らしていそうな夏希と蓮の元に向かった。

***

ホテルのレストランでディナーを取った後、梨沙が意外な事を言い出した。

「パパとママさ、せっかくだから上の階のバーで飲んできたら…」

今まで聞いたことのない配慮に、一同は唖然とする。

「一体どうしたのっていうのよ」

ママに話したいことがあるから同じ部屋でいいだとか、とにかく今回の旅行での梨沙の態度はこれまで見せたことがないものだったので、驚きっぱなしだった。

「まぁ…たまには…」

遼太郎は何となくわかる。俺を避けたいのだ、と。
本来であれば今夜、梨沙と蓮が部屋をチェンジすることになっているのだが。

「じゃあお言葉に甘えて」

遼太郎はすぐに夏希の手を取った。その様子を見た梨沙はプイッと目を逸らす。

「えぇ、僕、お姉ちゃんと2人だなんて、いじめられるよー」
「いじめないから! 荷物まとめてとっととこっちの部屋に来て!」

そこは相変わらずの2人だったが、梨沙が夏希の部屋に入っていくのを見届けてから、遼太郎は蓮に耳打ちした。

「梨沙が何かしだしたら、すぐに連絡してくれ」

蓮は渋々と言った表情で頷き、遼太郎は夏希と最上階のバーに向かった。

バーのカウンターに並んで座る遼太郎と夏希。

「こういう場所、2人で来るのは本当に久しぶりだな。何にする?」
「そうね…赤ワインがいいかな」
「なんでまた」
「初めて2人で飲みに行った時のこと思い出したの。会社の近くのすごく小さなワインバー」
「あぁ…」

あれからもう20年近く経つのか、と2人とも目を細めた。

「それにしても今回は梨沙が珍しく夏希と同じ部屋がいいと言い出すなんて。何を話したんだ?」

グラスを弄びながら、夏希はふふっと笑みを浮かべた。

「やっぱり娘のこと、気になるわよね」
「…どういう意味だ?」
「私と遼太郎さんの馴れ初めを訊いてきたのよ。それもあって、あなたと初めて2人で飲みに行った時のことも思い出したの。あの子、好きな人が出来たって。でもあなたに『そいつはダメだ』って否定されたこと、すごくショックを受けてるのよ」

遼太郎は明らかに動揺した。夏希はあくまでも、誰もが通り過ぎる、微笑ましい娘の初恋の戸惑いだと思っている。

けれど実態は違う。

梨沙が好きになったその男が誰なのか、夏希は知らない。当然だ。そんなことを知ってはいけない。

「でもあなた、今まで梨沙のことは何も否定しないで来たのに、不思議に思ったのよ。さすがに好きな人って聞いたら、父親としては落ち着かなくなるもの?」
「まぁ…そうだな」

夏希は稜央の存在は知っている。遼太郎が時折連絡を取っていることも。
けれど当然、詳しく話す事はないし、稜央について夏希が何か物申したことはない。夏希が彼に対しどういう思いを持っているのかも、遼太郎は知らない。

「でも梨沙がいくらメッセージを送っても、相手は返信してこないみたいで…可愛そうだけど、望みは薄いのかしらね…。まぁでも梨沙はまだまだこれからだし」
「そうだな…」
「…どうしたの? なんか心ここにあらずみたいだけど…そんなに梨沙に好きな人が出来たこと、ショックだった?」

遼太郎は自分の顔が引きつっているのを感じていた。頷くのが精一杯だ。

「あれだけパパにベッタリだったものね。気持ちはわかるけど…応援してあげたら? それだけでも梨沙、気が楽になるんじゃないかな」
「応援…?」

出来るわけ無いだろう。
忘れさせる。それしかない。
もう触れてはいけない。

夏希は、一息にワインを煽った遼太郎のただならぬ様子にそれ以上の言葉を噤み、話題を変えた。

夏希の部屋では梨沙は荷物をまとめるでもなく、ベッドに寝転びずっとスマホの画面を気にしていた。そこへ早々に準備を整えた蓮がやって来る。

「まだ荷物まとめてないの?」

蓮は呆れた様子で言うと梨沙はむっくりと起き上がったが、特に言い返すこともない。

おかしい。今回のお姉ちゃんはおかしい。蓮は思った。

「お姉ちゃん、どうして最初からお父さんと一緒の部屋がいいって言わなかったの?」
「別に…いいでしょたまにはママと話したって」
「今までそんなこと、これっぽっちもしてこなかったのに。何かあったの?」
「うるさいなぁ!何もないわよ。いいじゃない、蓮だって旅先でパパと同じ部屋が良かったんでしょ? そうさせてあげたんだから、感謝してよ」
「感謝って…えらそうに」

蓮はいつも真っ先にやるベッドダイビングはしない。まぁ…梨沙がいるから出来ない。自分の荷物を広げ、デスクとベッドサイドのテーブルに配置した。

「あんたさぁ…普段パパとどんなこと話してるの?」

梨沙が蓮の背中に問いかけ、彼は目を丸くしながらゆっくりと振り返った。

「今回のお姉ちゃん、本当にどうしたの?」
「どうしたもこうしたもないから。気になるから訊いてるだけ」

蓮は手を止め、しばらく逡巡した。

「学校であったこととか、バイオリンのレッスンのこととか、東京のメトロの深さの話とか色々。よく質問も受ける」
「パパはどんなこと訊くの」
「お前の解説は難解なんだよって言うから、ちょっと噛み砕いたり」
「…休みの日はどんなことしてるの?」
「えっ? お父さんとってこと?」

それ以外何があるの、と言いたげに梨沙が口をへの字に曲げると、蓮は小さくため息を付きながら言った。

「最近のお父さんはものすごく忙しそうで、休みの日も昼過ぎまで寝てて、起きたと思っても部屋からあまり出て来ない」
「ふぅん…」
「特に9月にお姉ちゃんを置いて帰ってきてからは、おっかない顔してることが多くなった気がする」
「えっ…」
「平日は帰りが遅いからあまり話せないし、遅くに帰ってきても部屋で日本語と英語とドイツ語でミーティングとかしてるっぽい。そんな風にめちゃくちゃ忙しいのにお姉ちゃんのために1ヵ月近くもベルリンに行ってくれてたんだよ。お姉ちゃんこそさ、お父さんに感謝しないといけないと思うよ」
「してるってば!」

梨沙は、やはり自分の気持ちを知って以降の遼太郎にはなにか変化が起きたのだ、と思った。





#16へつづく

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