【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Moment's Notice #16
それからも梨沙はあれこれと父のことを蓮に訊いた。自分の知らない父がどんな風なのか、無性に知りたかった。
その内に蓮はウトウトし出し、梨沙がどかないので夏希のベッドで眠ってしまった。
そこへ夏希が戻ってくる。
「あら…梨沙、まだいたの?」
梨沙は唇を噛み締め、眠る蓮をじっと見つめている。
「パパももう戻っているわよ」
「…」
「何、どうしたの?」
動こうとしない梨沙に夏希は尋ねた。
「行ってあげないの? パパ、あなたのこと気にしてたわよ。この旅行ではほとんど話していないでしょう?」
「ママ…今日はこのままここで寝てもいいかな。ママがパパの部屋に行ってくれない?」
「梨沙…どうしたの? 何かあったの?」
「…何でもないの。ただまだ荷物をまとめていなくて、もう面倒くさくなっちゃったから」
梨沙は明らかに遼太郎を避けている。こんな事は今まで一度も無かった。
それだけ、梨沙の恋は父と娘の関係に致命的なのか。
先程バーで飲んでいた時も、その話題になると遼太郎は落ち着かない様子だった。もしかして、娘が親離れできていないのではなく、父親の方が子離れできていないのではないかと思うほど。
「…わかったわ。パパには2人共もう寝ちゃってたって話しておくから」
「うん…」
夏希は簡単な荷物だけ持って部屋を出て行った。
梨沙もベッドに倒れ込み、じっと天井を見つめた。今日も稜央からの返信は来ない。
深い溜め息をついて、睡眠薬を飲むべきかどうかと考えながら目を閉じた。
***
翌朝、目を覚ました蓮が、隣にいるのが梨沙であることに驚いて声を挙げた。そのまま寝ちゃったんだからいいでしょ、と言い訳をしたところでドアがノックされた。夏希が朝食の時間だと呼びに来たのだ。
3人で階下のレストランに降りたが、遼太郎の姿はなかった。
「あら、まだ部屋なのかしら…すぐに出たと思ったのに」
梨沙は咄嗟に入口方面を振り向き、その様子を見た夏希は、やはり遼太郎の事を気にかけているのだと思った。
「まぁそのうち来ると思うから、先に食べてましょうか」
夏希がそう言うと、梨沙は「私、席で待ってるから、2人は先に取りに行ってきて」と言い、窓際のテーブルの、入口が見える席に着いた。
じゃあ、と言って2人ははビュッフェへ向かった。
落ち着かない素振りで窓の外を眺めているふりをしながら入口を気にしていると、やがて遼太郎が姿を現した。
無精髭が生え始め髪も整えておらず、まるで寝起きのような姿。その無防備さに慌てて目を逸らした。
遼太郎は梨沙に気づくと、梨沙の斜め向かいの席に着くなり
「ずいぶん俺は嫌われたんだな」
と言った。
「き、嫌ってなんかないよ」
強がってそうは言うものの、目を合わせられずにいる。
稜央の出現から、気持ちが父以外に向き始めたことは、梨沙にとっても信じられないくらいの出来事なのだ。
父を男性として愛することが許されないのならと、そんな私のために現れたはずの人を、どうして父はわかってくれないのだろう。
このままでは稜央のことも、父のことも嫌になってしまうか、逆に父から逃れられなくなる気もし、どう接していいかわからずにいた。
「取りに行かないのか?」
「ママと蓮が戻ってくるのを待ってるの」
そうか、と言ったまま遼太郎も肘をついて食べ物が並ぶテーブルを眺めた。夏希か蓮と目が合ったのか、ふっと微笑む。
そして梨沙の鼻は愛しい遼太郎の匂いをキャッチし、再び窓の向こうに視線を逃した。梨沙の中でろうそくのように細い炎がチラリチラリと揺れだす。
「お父さん、おはよう」
食事の載ったトレイを手に蓮は遼太郎の隣、梨沙の向かい側に着いた。
「朝からよく食うな」
色々とてんこ盛りになった皿を見て遼太郎は言ったが、
「子供なんだからたくさん食べてくれないと返って心配よ」
と言いながら夏希が梨沙の隣に着く。その時にふわりと微かに父と同じ匂いを感じ、梨沙は唇を噛み締め席を立った。
今、瞬間的に梨沙に湧き上がったのは、嫉妬だ。
ただ、同時に遼太郎も立ち上がった。
梨沙がアップルジュースにヨーグルトを取ろうとすると、背後から遼太郎が声を掛ける。
「明日には日本に帰るけど、今夜もママか蓮と同じ部屋でいいか?」
そうだ。今夜が最後だ。次に会うのは…もしかしたら夏。自分の帰国の時かもしれない。
「パパは私と一緒の部屋になりたい?」
目を合わせないままおどけたふりをして訊いてみると、
「まぁそうだな。嫌われていなければ、だけど」
と答える。どういうつもりなのだろう。
「だから嫌ってないってば!」
遼太郎は笑って「まぁ、無理しないでいい」と言った。「好きにしろ」と。
好きな人のことは「好きにしろ」って言ってくれないのに。悔しくてほんの少し睨むと、遼太郎は言った。
「ちなみに俺はお前に話したいことがある」
「…どんなこと?」
「ここじゃちょっとな」
「…稜央さんのことよね」
遼太郎は目を細め梨沙を見た。
梨沙はこの旅行中に何度かそんな目で自分を見る遼太郎に、警戒センサーが作動する。
それは他の男性に対するそれとは違い、自分の気持に対する警戒だ。
心も身体も貫かれるような気がした。
私を拒むくせに。そんな目で見ないで欲しい。
抜け出せなくなってしまう。だから稜央さんに引っ張り出してほしかったのに。
ここから、引っ張り出して欲しかったのに。
引き戻されて、そしてまた突き放される。
そんなの酷だよ。
「言われなくても今夜は部屋をチェンジするつもりだから」
プイッと、梨沙は自席に戻った。
*
朝食を終え、ブランデンブルク門の向こう側、通称『6月17日通り』を家族でゆったりと散歩した。いわゆる旧西ドイツエリアで、道の真っ直ぐ先には戦勝記念塔がそびえ立っている。
歩きながらも梨沙は稜央にメッセージを送った。
ところが。
というエラーと共に送ったメールが返って来た。アドレスを間違えていることはまずない。一時的なサーバエラーが発生しているのかと思い、もう一度送る。けれど同じエラーだった。
時間を置いて何度も送ったが、やはり同じエラーだった。
エラーコードをネットで調べて、愕然とした。
メールアカウントが存在しない。
削除された? まさか。
メールアカウントのサービスをチェックしたが、サーバダウン等の情報もない。
絶望的な気持ちになった。
彼は一言も返すことなく、梨沙を拒絶したのだ。
ガックリとうなだれる梨沙を、遼太郎は冷ややかに見つめていた。
#17へつづく
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