見出し画像

【連載小説】あなたに出逢いたかった #1

『Berlin, a girl, pretty savage』続編。
過去作品はこちら


真夜中の花畑。暗闇の中に赤や白の花々が浮かび上がる。


ある男。

暗闇の花畑を歩く彼は、花に負けないほどの魅力的な香りを放っていた。

それに誘われるかのように、青い蝶がどこからか舞い現れる。
気づいた男が目を細め、不思議そうに蝶を眺める。

“私を捕まえて”

蝶はそう言い羽根を震わせるけれど、男の耳には届かない。

「こんな真夜中に、何故こんなところにいる?」

そっと右手を差し出すと、蝶がその手のひらにふわりと舞い降りる。

飛べないのか。弱っているのか。

男は花の上で手のひらを返した。けれど蝶は離れない。

俺を花と間違えるなよ。

男の瞳は刹那、冷たく光る。

ある少女。

花の散る姿が好き。

くだびれた様で地面に落ちる白木蓮。
川面にたゆたう桜の花びら。
首を垂れた向日葵。

心を奪われる。まるで私みたい。
咲いている姿が美しさの全てじゃない。

黄昏時の空は愛する人の色。

愛は何よりも美しいはずなのに。
彼女の愛は汚れていると言われる。

彼女は蝶になっても、輝く花には止まれない。

朽ちた花びらが踏まれていく。愛する人の靴で。
けれどそれすらも愛おしい。

あなたに会いたくて羽根を求めた。
でもあなたに辿り着けたなら、もう羽根なんていらない。
いっそのこと喰んで、ちぎって、自由を奪って。
あなたの剣で、私を貫いて。
そして籠の中に私を閉じ込めて。

それが私の幸せなの。

凍てつくような冷たい瞳と、触れたら溶けるほど熱い身体。
その両方で、私を壊して。

そして籠の中の私にどうか、触れて、バラバラにして、溶かして。
あなたに溶けてしまいたい。

白む空。

香りだけを残して男は去っていく。

蒼い風が吹いてもなお。




「川嶋、10月に横浜でジャズイベントやってるの、知ってるか?」

同僚でジャズバンド仲間の藤井が川嶋稜央に話しかけてきたのは、7月上旬、うだるような暑さが襲う水曜日の午後だった。今年は梅雨明けが早かった。

「横浜って、あの横浜? 日本一大きな中華街がある…」
「そうだよ。他に横浜があるか? ちょうど連休の時なんだ。街角ステージって言って、申し込めば割りと誰でも演奏出来るみたいだし、ジャムセッションもあちこちでやってるみたいなんだ。面白そうじゃない? 俺たちも楽器持って、旅行がてらちょっと行ってみないか?」

藤井はそう言って、ジャズイベントのサイトを稜央に見せた。

「お前のサックスはいいけど、俺もキーボード持ってくの? ちょっと大変だなぁ…。それにしても横浜ってまた…大遠征だね」
「俺、行ったことないんだよ横浜。あれ、でも川嶋はたまに国内旅行出掛けてたよな。行ったことある?」
「いや、横浜は…ないなぁ」
「まぁ、今月いっぱい考えておいてくれよ。3連休だし、可能なら金曜午後半休付けてゆっくり行きたいな。たまにはいいだろ」
「わかった…考えとく」

稜央は横浜について調べてみると、港や山手の旧居留地、更に中華街があると聞くと、ほとんど神戸みたいなもんだな、と思った。神戸なら何度か行ったことはある。
しかしもっと調べると、どこまでを横浜としたら良いものか、とにかく広かった。野球場もサッカー競技場も大規模コンサートホールも、動物園も水族館も果樹園も…何でもある。エリアとしては神戸の比ではなかった。

それと。

「横浜と東京ってまぁまぁ近いよな…」

前回父に会ったのはいつだっけか、と頭をよぎる。声のやり取りはたまにしているものの、実際に会うことはなかなか無い。

これを機に久々に会えるかな、と考える。それが出来るなら…出来ないとしても旅行がてらの遠征も面白いかもな、と思い、その日の夕方にはもう藤井にOKの返事を出した。

そういえば…。

あの娘はそろそろ帰国するのではないか、と思い出した。
昨年末彼女は『来年の夏、帰国するから』と話していた。それがつまり、今年の夏、今だ。

今から半年と少し前の、去年の12月。
旅先のベルリンで偶然出会った日本人女子高生、野島梨沙。

本当に偶然、初めて出会ったのに、彼女は稜央にとって他人ではなかった。

19時半。
仕事が終わり、稜央はしばしスマホを弄びながら電話をかけようか逡巡した。
手を止めしばらく悩んだのち、番号を押す。

3回呼び出して、出た。くぐもった声が聞こえてくる。仕事中なのかと問うと、大丈夫だ、何かあったのか? と問うてくる。

そう言われて、前回会話をしたのは正月、梨沙の一件で話して以来であることを思い出す。例え息子とは言え自分は正室の子・・・・ではないため、父とそうそう気軽にやり取りが出来るわけでもない。だから互いの電話は『何かあった時』となりがちだ。

10月に横浜でジャズイベントがあり、それに出てみようという話がバンド仲間で出たんだ、と伝える。稜央が関東に出るのは数年振り、父と会ったのはそれよりもっと前だったか…。

「…というわけで久しぶりにそっちに行くからさ。良かったら観に来てよ。連休だし」

誘う時、何故か緊張する。勇気を振り絞る必要がある。何故いつもこんなに緊張するのだろう。父親なのに。

父は笑って『まぁまだ予定がまだわからないけど、気に留めておく』と言った。

「…そういえば、彼女…娘はそろそろ帰ってくるんだっけ…」

稜央は妹と呼ぶか娘と呼ぶか迷い、娘を選択した。しかしその言葉に父は声のトーンを落とす。

『…もう帰ってきてるよ。気にしてるのか』
「いや…別に…。ちょっと思い出しただけ」
『無事に戻ってきたよ。お前のことは多分もう忘れてる』

そう言われて稜央は少しカチンと来た。
自分の手元には彼女のくれたベルリンベアのキーホルダーがあり、部屋には彼女の描いた自分のポートレイトがあるというのに。

それらも稜央が捨ててしまえば良かったのだろうが、そんなことはしなかった。出来なかったと言うべきか。

ベルリン中央駅で見せた彼女の涙、その後彼女から毎日のように送られてきたメッセージを思うと、半年で忘れるなんて随分じゃないか。

「まぁ…父さんはそれを望んでいたんだから」
『…とにかくもう梨沙のことは忘れてくれ』

わかった、と稜央はぶっきらぼうに答え、横浜の件はまた連絡すると言って電話を切った。

両腕を上げたベルリンベアが、稜央のスマホで揺れた。





#2へつづく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?