【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Moment's Notice #20
康佑はヤキモキしていた。
梨沙がどんどん美しくなっていく気がし、心苦しい思いで見ていた。
気になる。
あの変化は、男が出来たに違いない。
悶々とした気持ちをいつまでも抱えてるわけにもいかないと思い、意を決して話しかけた。そういうところは康佑は男らしいところがあると言えそうだ。
2月14日、日本で言えばそう、バレンタインデーだ。
ドイツでも一応バレンタインはあるものの、日本とは異なる。夫婦やカップルが日頃の感謝を込めて、男性から女性に贈り物…多くは花束を贈るような日だ。
康佑もそんなドイツ式バレンタインにのっとり、自分から梨沙にプレゼントしようと考えたが、さすがに花束は恥ずかしくチョコレートを買った。ちなみにドイツはチョコレート消費量が世界一と言われている。
チョコレートを手に梨沙を待ち伏せる間、正直俺は何をしているのだろうかと少々虚しく思えた。
しかし梨沙が姿を表すとそんな考えは消え去る。
「Hallo, 梨沙!」
「…Hallo」
相変わらず梨沙は笑顔を見せないが、怒った顔すら見せない。ただ、無表情で、挨拶を返す。
それにめげず梨沙に近寄る。
「これ、良かったら」
スッと差し出したのはNIEDEREGGERというチョコレートメーカーの、ハート型のパッケージ。
「…なに?」
「今日、バレンタインだろ?」
梨沙は差し出されたプレゼントと康佑の顔を交互に見ると、やがてプッと吹き出した。
「なにそれ、私に無駄な愛の告白でもするつもり?」
「い、いやあまぁ、なんつうか…。ほら、ドイツじゃ日本とちょっと違うだろ。せっかく、こういう時期にいるわけだから…まぁ」
「しかもハート型? 今どきこんなのプレゼントに選ぶ人、いる?」
笑われはしたが、笑ってくれたことに康佑は内心、嬉しくて舞い上がりそうだった。
梨沙にしてみれば、康佑の行動があまりにも子供ぽく感じ、笑ってしまったのだった。やっぱり足元にも及ばないよ、君は、と。
「それにこれって…中、マジパンだよね」
「えっ? あ…そ、そうなの? あんまよくわかってないんだけど…」
「私、マジパンあまり好きじゃないの」
しまった、と康佑は額を打った(心の中で)。マジパンが何だかもよくわかっていないのだが。
「えー、あー、そ、そうなんだ…」
「だから受け取れない。他の人にあげて」
「えっ? そんなん! だったら自分で食うわ!」
そうしてその場で封を切ると、一口かぶりついた。
「うわっ、なんだこれ…。めちゃくちゃ甘い」
しかめっ面をする康佑を、梨沙は上目遣いでふふふと笑った。
ドキリとした。
やっぱり梨沙は何だか急に、大人びた。
「お前さ…、彼氏出来た? もしかして」
その質問に梨沙はキョトンとする。が。
「彼氏はいないけど、好きな人ならずっと前からいる」
意外にも真面目に、素直に答えた。
「ずっと前から? それってさ、俺は入る余地ない感じ? 付き合ってないのなら、俺も見込みある感じ?」
「入る余地はない。見込みもない。私はその人のこと、ずっと好きでいられるっていう自信がある。たとえ想いが叶わないとしても、そばにいることは出来るから全然平気。これでもまだ何か言いたい?」
康佑は「いえ、何も」と言って引き下がらざるを得なくなった。
叶わないのに、そばにいられるとは、相手は病床にでもいるのだろうか?
だからこんなにも、何か覚悟が出来たかのような落ち着きと、妖艶な美しさを纏っているのだろうか。
「あ~、じゃあさ、これはどう? せっかく用意したチョコがお前の口に合わないのなら…お前が好きなもの、今から買いに行くってのは…」
「…君にはプライドってもんがないの?はっきりとお断りしてるんだけど」
辛辣な一言を放ち、梨沙は冷ややかな目でじっと康佑を見た。
「べ、別にこれとそれとは別だっていいだろ。ドイツのバレンタインは告白するための日じゃないんだろ。俺はただお前に渡したかっただけなんだから…」
すると梨沙は口元を緩め、
「そしたらHeiße Schokolade(ホットチョコレート)にして」
と言った。
うっそ。
まさか。こんな流れでデートがOKか、と康佑はむしろ驚きで頭が真っ白になった。
「その代わり指一本でも私に触れないで。間違っても手を繋ごうとか肩を抱こうとか、そういうことしたらボコボコにぶっ叩いて二度と口利かないから。いい?」
康佑は言葉も出ないまま二度、頷いた。
まぁこれが、梨沙だ。
*
2人はMitteにあるチョコレートショップのカフェに入った。梨沙は小慣れた感じだが、康佑はおどおどしている。
梨沙はホットチョコレート、康佑はコーヒーを注文した。
梨沙は注文時のドイツ語も全く淀みがないし、椅子に座った時の背筋の良さや脚の揃え方、カップの持ち方など、育ちの良さを感じた。
言葉遣いはキッツい時があるが、お嬢様なのだろうと康佑は思った。
「お前さ、なんで来てくれたの?」
「はぁ? 自分から誘っておいて何言ってるのよ」
「お、俺はお茶に誘ったわけじゃないぞ! ただ買い物に行くだけだと思って…カフェにしたのは梨沙の方だろ?」
「あ、それもそうか…」
「俺のことめちゃくちゃ嫌ってる風だし、絶対こんなシチュエーションはないと思ってた」
「そうね」
「そうねって…。嫌じゃないのかよ、今は」
「…」
そこへ頼んでいた飲み物が運ばれてくる。
「…康佑はブラックコーヒー派なの?」
康佑は自分が呼び捨てで呼ばれたことに、相当な衝撃を受けた。
「え? あ、うん、そうだな」
ふうん、と梨沙は微かに目を伏せ、ふうふうと冷ましながらホットチョコレートのカップに口をつけた。
「梨沙はコーヒー派じゃないのか?」
「ううん、飲む。でもまだブラックでは飲めない。飲めるようになりたいんだけど」
「まだお子ちゃまなんだな」
梨沙はキッと康佑を睨んだが、またカップに視線を落としてゆっくりとホットチョコレートを味わった。
デートを受けてくれたり、呼び捨てにしたり。今まで挨拶を返してもらうのがやっとだったのに、この変化。
それは梨沙の「好きな人」の存在が大きいということなのだろうか。好きだから惑わない、余裕すら見せることが出来るほど、好き、と言うことなのか。
それにしても全く、なんてかわいいんだ。俺ってこんなツンデレにやられちゃうんだな…。
康佑は小さくため息をついた。
「お前みたいな奴、彼女にしない男なんているのかよ」
「…どういう意味?」
「あ、いや。…なんかちょっと恥ずいけど、梨沙のこと相当可愛いと思ってて。肌もめちゃくちゃキレイだし、目鼻立ちもくっきりしてて、背は低いけどそれなりにスタイルも良いし…。あ、これセクハラにすんなよ!? 素直に誉めてるんだからな!」
「マジでキモい。セクハラに認定します」
「待ってよ! わかったわかった。でも本当に…お前が片思いなんて信じられなくってさ。まぁちょっと口が悪くて性格がキッツイところがあるけど…あぁ、やっぱそれが災いしてるとか?」
すると梨沙は伏し目がちになった。
「片思いじゃないよ」
「えっ? でもお前さっき、想いが叶わないとしても、とかって言ってたじゃないか」
すると今度は戸惑ったように視線を泳がせ、黙り込んだ。康佑もこのままこの話を続けても自分にいいことは何もないと思い、話題を変えた。
「お前さ、普段どういうところで遊んでるの?」
「普段は図書館にいる」
「え、なにそれ。それ遊んでるって言う?」
「遊んでない」
「梨沙は頭がいいって聞いてたけど、勉強家なんだな」
「誰から聞いてるの」
「梨沙のクラスの人だよ。フットボール(サッカー)仲間がいるからさ。俺なんか授業が早く終わるから遊んでばっか。Tempelhoferでそいつらとボール蹴ってるわ」
「…Tempelhofer、懐かしい。子供の頃近所に住んでいて、よく行った」
梨沙の話は意外だった。
「えっ、お前、子供の頃こっちに住んでたのかよ?」
「言わなかった?」
「俺、梨沙から自分の話聞いたこと、一度もないわ」
それはそれは、と梨沙は再び少し表情を緩めた。そして腕時計をちらりと見た。
「お前、いい腕時計してるな」
「中学に進学した時、お祝いにパパがくれたの」
「へぇ…。梨沙の家って、金持ち?」
「何それ」
「いや、何となく、それ高そうだから」
「他人の家の収入なんて考えたことないから、わからない」
そんなセリフを吐く時点ですでに裕福な家なんだろうと康佑は思った。子供の頃ドイツに住んでたとか、そういうとこも。
「そろそろ帰らないと」
「えっ? まだ16時前じゃん?」
「家に電話する時間なの」
「ここで掛ければいいじゃん」
「誰かに聞かれたり見られたくないの」
意外と恥ずかしがり屋なのかな、と康佑は思った。
「ふ~ん、まぁ、いいけど…」
梨沙は帰り支度を始めると、テーブルの上に20€紙幣を置いた。
「これで足りるかな」
「いや出しすぎだろ。っていうかここは俺が出すから」
「いいよ」
「良くないって。俺が誘ったんだし、バレンタインって口実で…」
渋々梨沙は20€を財布に仕舞うと、代わりに10€紙幣を出した。
「そうしたら半分は出す。一言いっておくけど、私に絶対に下心は持たないで。奢ってやったっていうマウントとか持たないで」
「もっ…持たないよ!」
そうして梨沙は、ここに来る前と同じような冷ややかな表情に変わった。
「私がここに来たのは、あくまでも同じ日本人の学友として来ただけ。本当に1ミクロンの希望も君にはないから」
まぁ、やっぱりな。呼び捨ててくれたのも一度だけ、たまたま、か…。
康佑は思う。
こんな梨沙を落とした相手を見てみたいもんだな、と。
店を出ると、梨沙は駅とは反対の方に歩いていく。
「どこ行くんだよ」
「電話を掛けるのよ。もう家に帰るのは間に合わないから」
「だったら店で掛ければ良かったのに」
「だから、話しているところを見られなくないの!」
そうして梨沙はプイッと背を向け、急ぎ足で行ってしまった。
黒いベルベッドの、マントのような品の良いコートがひらひらと翻るのを、康佑はぼんやりと見送った。
#21へつづく
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