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【連載小説】天国か、地獄か。祈りはどっちだ。#2-9

香弥子さんの顔は少し強張っていた。12月の夜風は冷たいせいだろうと思った。

「え、なんて言いました?」
「そんなこと…何度も言わせないでください…」

僕はこんな風に告白されるのは初めてだった。人生でたった一度も、こんな風に女性から「好きです」なんて言われたことはない。

何かの間違いかな、と思った。

「相手、僕で合ってます?」
「合ってます!」

赤い顔になって、ムキになって香弥子さんは言った。

「ただ…私…」

香弥子さんは寒いのか胸の前で手を重ねて震えている。

「私…ムスリムだから…その…」
「知ってます」
「その…好きになっても…未来はないんです…」
「どういうことですか?」

香弥子さんの鼻も赤くなり、寒さで辛そうなのは目に見えていた。僕は駅まで送ると言って並んで歩くことにした。

「気が早いって笑われるかもしれません。でも私、隆次さんのこと好きだなって思ってからずっと悩んでいました。ムスリムの女性は、ムスリム以外の方と結婚は出来ません。私が隆次さんを好きになっても、いつかは別の人を選ぶことになると思いました。だったら今のまま…お友達のまま支えていく方が一生お付き合いできる、と思うようにしました。でも…隆次さんはこの先家族を持たず一人なのかな、もしかしたら他の方と一緒になるかもしれない。そう思うと苦しくて仕方なくなってしまい、バザールの時にお兄さんに相談したのです…」

僕の身体は吹き付ける寒風に反して熱くなっていた。

「お兄さんは "とにかく嬉しい" と連呼されていました。隆次のことをそう思ってくれる人が現れて、本当に本当に嬉しい、とおっしゃいました。異教徒同士でも心がつながることが最も大切だし、隆次もあなたのことは特別な感情を持っていると俺も感じている。結婚云々は置いといて、これからも寄り添ってあげて欲しい、とおっしゃってくださいました」
「僕は異教徒どころか無宗教ですけど、結婚できないんですか」
「女性はそうです。男性は例外が許されることもあります」
「じゃあ僕がムスリムになればいいんですね」

数歩、歩いたところで香弥子さんは立ち止まリ、その顔は高揚していた。

「はい?」
「だから、僕がムスリムになればいいんですよね。香弥子さんが気にしている問題は起こらないんですよね?」
「そっ…そんな、軽いことではないですよ!?」
「僕だって軽い気持ちで言ってないです」

香弥子さんは怒ったような顔をしていたが、驚いたように目を見開いた。

「僕も最近ちょっと考えていました。バザールで初めてジャーミイを訪れて、礼拝の様子を知って。その後も僕一人で行ったって言ったじゃないですか。僕はそこが今まで居た事のない空間に感じました。香弥子さんも言ってたでしょう、自分に合ってると思ったと。僕に合ってるかはまだわからないけれど、少なくともそこではない遠いどこかに飛ばされる感覚がしました。それは決して不快ではなく、むしろ心地良さを感じたんです」

「あ…でも…私も先走った言い方をして申し訳なかったですが、結婚すると決まったわけでも、まだお付き合いするというわけでもないから…そこまでされなくてもいいんじゃないですか…」

「僕は香弥子さんのためだけでなく、自分のためにもと思っています」

そんな話をしたのはまだ駅の手前だった。

「とりあえず駅舎に入りませんか。香弥子さん、さっきから鼻真っ赤だし。寒いんでしょう?」
「えっ…あ…これは…」

僕らは足早に駅に向かい、改札の脇で向かい合った。

「あの…僕のこと好きと言ってくれてありがとうございます…。正直どうして僕なんかって気持ちでいっぱいなんですが」
「この前…一緒にパスタを食べに行った時にお話したように、隆次さんの本来持つ優しさや真っ直ぐなところに惹かれました。…でも本当は正直…」
「正直…なんですか?」

「…一目惚れだったんです」

世の中には色んな人がいるものだ、と改めて思った。

* * *

駅から家まで一人歩く間、ふと浮かんだ曲をスマホのアプリで聴いた。
The Beatlesの『In My Life』だ。

僕の過去。
未来。
そして現在いま

12月の風も冷たくない。
こんな夜が、冬の夜がこの世に存在したのか。

初心にかえって、あえて言おう。

Hello, world.




#2-10へつづく



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