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【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Father Complex #5

ホロコーストについてのサブストーリー

8月のベルリンの日は長い。
もちろん最も長いのは夏至の時だが、それでも8月中は21時くらいまで日は沈まない。地元民も観光客も、長い1日をたっぷりと楽しむ事ができる。

そんな8月も半ばの土曜日。
朝早くから遼太郎は梨沙を連れてHauptbahnhof(ベルリン中央駅)に出た。朝の弱い梨沙は口数が少なかったが、朝ごはんとして構内でWurst(ホットドッグ)を2人で食べたら、途端に元気になった。
ベルリンのホットドッグは、外はややカリッと、中はもっちりとした丸くて白いパンに、長いソーセージを挟む。

そんな朝早くから出かけたのには理由がある。遼太郎は自分が滞在している間に梨沙を連れていきたい場所があった。

強制収容所跡地だ。

ベルリンの近郊にザクセンハウゼン強制収容所記念館がある。

ナチス・ドイツにおけるドイツ国内三大収容所の一つと言われ、ルドルフ・ヘス(後にアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所・所長)が副所長を務めていた。
ここはドイツ降伏後の1945年8月に、ソ連軍がほぼ同様の目的で施設を使用した所でもある。

多くの強制収容所は見学できる施設になっているが、ポーランドのアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所博物館は14歳以下の見学を推奨していない。展示物や写真など、衝撃的なものが含まれるためだろう。梨沙も幼い頃家族旅行でポーランドを訪れたが、その際は自由に見学できる時間帯に広大なビルケナウの敷地を見て回るに留めた(写真や遺物等の展示物はアウシュヴィッツ側に多くある)。
またあまり幼いうちは、強制収容所のもたらすメッセージを受け止められないかもしれない。
実際は、多くの幼い子供や乳幼児も、強制収容所に送られていたのだが。

今は良いタイミングだと、遼太郎は考えていた。本当は蓮も連れてきたかったが、それはまたの機会にすることにした。彼はようやく14歳になったばかりだ。

ドイツで暮らすこと、ドイツで学ぶこと。ドイツの若者が受ける、加害者としての教育。ドイツの学生は授業の一環でアウシュヴィッツを訪れることのになっている。

ベルリン市内の鉄道はエリアによってゾーンが分けられている。ベルリン中央駅や梨沙たちが滞在しているエリアはAで、その外環がB,Cとなっていく。
遼太郎はABCエリアが使えるDay Ticketを購入する。ベルリン中央駅から1駅、Friedrichstraßeフリードリヒシュトラーセ駅でS1に乗り、終点のOranienburgオラニエンブルグ駅まで行く。そこはエリアC、州も変わってブランデンブルク州となる(ベルリンはベルリン州)。

駅前にバス停があるが、本数が少ないため歩いて向かった。
店も多く立ち並ぶ大通りを進んでいくと、やがて小さな記念碑が見えてくる。『Gedenkstätteゲデンクシュテーテ Todesmarschトデスマルシュ』、1945年4月の "死の行進" を追悼するものだ。
それが見えたら右方向に進んでいくと、やがて広大な敷地の入口が見えてくる。あまりにも広いので朝早く出てきたというわけだ。
今日の梨沙はいつものミニスカートを履いていない。遼太郎になるべく肌を隠すように言われたからだ。それでも親子でまるでペアルックのように、白フーデットパーカーにジーンズ姿だ。

インフォメーション・センターでパンフレットと案内図を入手する。日本人のガイドがいると聞いていたが、あいにくその日は不在だった。
梨沙には日本人として、日本語でガイドを聞いて欲しいと思ったから、遼太郎は残念に思った。

インフォメーションセンターから更に歩みを進めると、ようやく収容所の入口が見えてくる。かの有名な『ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)』の標語が門にはめ込まれている。実際には自由などない。
ただ、アウシュヴィッツが大量虐殺を行うための「絶滅収容所」だったのに対し、ここザクセンハウゼンは「強制収容所」で、まだ生き残れる可能性は高かったと言われている。

そのようにここは絶滅収容所ではなかったが、"強制性労働" が行われていた場所であったと言われている。

戦後、ナチスが犯した多くの罪を明らかにし、謝罪し、負の遺産に対して誠実に向き合う印象のある今日のドイツだが、この "強制性労働" に関してはタブー視されており、あまり多くの情報がない。また生き残った収容者もこのことを語りたがらず、女性らもほとんど声を挙げなかったという。手にしているパンフレットにも、その事はどこにも記載がない。施設内の案内にもその旨は記されていない。

かつてバラックが存在していた事を記す枠が地面に埋められている。今となっては本当に広大だが、敷地の奥まで進むと銃殺用に掘られた塹壕が見えてくる。当時使用されていたものが一部そのまま残っているため、当時を偲ばせるものとなる。

ここに来てから梨沙も大人しい。はしゃぐ場所ではないと流石にわきまえているのだろう。時折ペットボトルの水を口にするが、お腹が空いたとも疲れたとも言わない。

ただ、特に怯えるでもなく、淡々として見学していた。HSPは受け止めやすい気質と言われているが…、実感が湧かないのだろうか。

「梨沙、どう感じてる?」
「うん…こういう施設が国内にも周辺国にもたくさん建てられたってことは知ってるけど…全部で2万箇所だっけ…その労力と情熱に驚かされる」
「情熱?」
「排除への情熱。まぁここはまだ本当の・・・犯罪者も収容されていたのかもしれないけど。それにしてもこれだけ広くて、人体実験だとかそういう設備まで作って、あとは効率的に "排除" するための方法の模索だとか。情熱でしょそれって」

まぁそうだな、と遼太郎は頷いた。ヒトラーのその "情熱" に、一体どれだけの人が心から賛同したのだろうか。
情熱などなくとも、行動に走らせるものはある。

遼太郎は語る。

「アドルフ・アイヒマンは知ってるだろう?」
「うん」
「彼はナチスの親衛隊に所属し、ユダヤ人の収容所移送に関わった。戦後ずっと逃亡していたが、イスラエルのモサドという機関が潜伏先のアルゼンチンで奴を発見し、捕まえた。その後イスラエルで彼の裁判が開かれるのだが、奴はこう言ったんだ。"俺は命令に従っただけだ" ってね」
「…どういうこと?」
「誰だって上官からの命令に逆らえない、逆らえば自分の命が危ない。であれば命令の内容がどうであれ、従うしかない、とな。奴には情熱はあったんだろうか。戦争なんて、狂気の世界だからな」
「…」
「俺がサラリーマンだった頃、上司の言うことは聞かない部下だったから、アイヒマンとは正反対だったな」
「自分を命を顧みずに正しいと思ったことをやっていたってことでしょ? さすがパパだね!」

梨沙は誇らしそうに口角を上げた。遼太郎は一瞬の微笑みを引っ込めて言う。

「梨沙も同じだと思う。お前の場合は良くも悪くも騒ぎ立てるから、それはちょっと抑えた方がいい時もあるが…。でもまぁ、命令を受ける立場になくっても梨沙、お前は世界の傍観者になるなよ」
「傍観者?」
「黙って見ているだけの人の事だ。何も言わず、何も行動しない。心の中でいくら思っていようと。それでは悪に加担することと同じだったりするんだ。恐ろしいのはナチスだけじゃない。多くの市民がホロコーストが行われていたことに対して "傍観者" だったことが、実は最も恐ろしいんだ。普通の人間が、実は一番恐ろしい」
「…」

遼太郎は腰をかがめ、梨沙の目線に合わせると続けた。

「蓮がいつか言ってたな。"僕は誰かに話をするのは苦手だけど、楽器を演奏することが言葉を使うよりもうまく話せる" って。梨沙、お前には絵がある。何かを感じたらお前のメッセージを絵に託して、世の中に放っていけ。怒りでも悲しみでも、何でも。沈黙するな。口で騒げという意味じゃないぞ。メッセージを発信していけ。いいか」

梨沙は真剣な表情の父の顔をぽかんと見ていたが、やがて小さく頷いた。





#6へつづく


参考文献

※ザクセンハウゼンの中村さんのガイドは、8名以上での開催となるそうです(2023年1月31日確認)。


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