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【連載コラボ小説】夢の終わり 旅の始まり #3

一泊後、結局関越を北上することなく北関東道を東に向かい茨城のひたちなかという所に出て海を見た。
そうか僕はこれまで太平洋には縁がなかったな、と思った。

父には要所要所で写真やメッセージを入れているが、仕事が忙しいのか煩わしいのか、返信は来なかった。

それでも既読は付く。
ちゃんと生きている、消えてしまっていないんだと安堵するが、やはりその後は猛烈な寂しさが襲う。

こんな海を見たら虚しさは更に無限大に広がるようだった。

そこへ母から電話がかかってきた。

稜央りょう、今どこにいるの』
「今…太平洋」
『はぁ?』

僕は一人暮らしをしているけれど、実家の近所に住んではいるのでちょいちょい顔を出していた。
今回もちょっと旅に出てくると伝えて出てきたけれど、普段の僕はそんなことしないので、母も妹もたいそう驚いたのだ。
だから少し心配しているのだろう。

そうだな、そろそろ帰ることを考えないと。車で帰ってもいいけれど、レンタカーだから途中で乗り捨てて電車でも飛行機でも、いくらでも楽して帰ることが出来る。
いくらでもギリギリまで満喫して帰ることも出来る。

結局母とは他愛もない話をして電話を切った。

太平洋の写真を撮って父に送る。
既読は付かない。

時差のせいにした。

* * *

更に翌日、再び北関東道に乗り西へ向かった。

関越道が見えてきた時、ふとあの店を思い出した。確か…『フェルセン』と言ったかな。

僕は関越を新潟方面へハンドルを切り、ICを降りた。
どうしてまた訪れようと思ったのか、今となってはよく憶えていないのだけれど。

店に到着したのは19時過ぎだった。入口には20時閉店とあった。
しまったな、と思う。

心持ちおそるおそるドアを開けると既にお客さんの姿はなく、空のピアノがひっそりとライトを浴びているだけだった。

「いらっしゃいま…。あ、あなたは」

マスターはつい2日前訪れた僕のことを覚えていた。バツが悪い気分になって僕はまごついた。

「あ、も、もう閉店近いんですよね」
「いえ、どうぞ」

そう言ってにこやかに中に入るよう僕を促した。

ピアノの前のテーブル席で、あの・・のっぽのピアニストの男性と、パートナーと思しき女性がノートPCを前に何やら話し込んでいた。

「またお越しいただいてありがとうございます。どちらか行かれたんですか」

2日前と同じカウンターに着いた僕にマスターがにこやかに話しかけてくる。

「あ、はい…。太平洋まで出て…海を見てきました」
「それはそれは! それでまたこちらに戻ってこられたと」

僕らの会話をテーブルにいた女性が気にかけたらしい。

「羽生さん、お知り合い?」

僕が振り向くと2人ともこちらを見ていた。

「2日前も来てくれたんだよ。透のピアノが気になっていたみたいで」
「え、そうなんですか? 僕、ちゃんと挨拶しましたか?」

透と呼ばれたピアニストの男性が立ち上がって申し訳無さそうに僕に言った。
本当に背が高い。細くて高くて、おまけに端正な顔立ちで、まるでモデルか俳優のようだった。

「あ、いえ、その…」

たじろいでいるとマスターが

「いやいや、あの時もここに座っていて、そうだ、ちょうど彩子ちゃんとすれ違いで」

と言った。よく憶えているな。客商売とはそういうものなのだろうか。

「音楽、お好きなの?」
「あ…、はい。僕も少しだけ、ピアノを弾くものですから」

そう白状すると "彩子ちゃん" と呼ばれた女性は「あら!」と表情を明るくし身を乗り出したところでマスターが「あ、ごめんなさい。オーダー聞いてなかった。何にしましょうか」と訊いた。

「あ、えっと…」

慌ててメニューを手にすると彩子さんが「羽生さん、お客さんもういないし、裏メニュー出してあげたら」と言った。

「大したものじゃないんですよ。うどんです。この辺りの名物でもあるんですが。いかがですか?」

僕は「じゃ、それで」とお願いした。

「プリン・ア・ラ・モードも、召し上がりますか?」

ちょっといたずらげに笑ってマスターが付け加えた。
「あ…、今日はいいです…」と答えると、いやごめんなさい、と屈託のない顔で謝った。

「透さん、何か1曲弾いて差し上げたら。透さんのピアノを聴きにわざわざ来てくださったみたいだから」

彩子さんがピアニストの男性…"透さん" に声を掛ける。
透さんは「あぁ、そうだね!」と我に返ったように立ち上がり、ピアノへ向かった。

「あ、いや。僕そんなつもりで来たわけじゃないので…」
「いいんですよ。何かリクエストはありますか?」

透さんは僕に訊いた。リクエスト。

「あ、いえ…特には」

「じゃあ…」と透さんはグルっと思考を巡らすように空を見ると、厳かにピアノに向き合い、静かに鍵盤に指を置いた。

リストの『ソナタ風幻想曲 <ダンテを読みて> (巡礼の年 第2年「イタリア」より)』が流れる。
イタリアの詩人ダンテが、キリスト教の世界観を描いた『神曲』がモチーフとなっている曲だ。

同時に僕の目の前には温かいうどんが提供された。漬物と、なぜか焼おにぎりが1個付いていた。
うどんは出汁の味が優しかった。僕はありがたくいただいた。

そしてスマホを取り出し父に『ひょんなことから、ピアノのある喫茶店で晩ご飯を食べている』と送った。

『ソナタ風幻想曲 <ダンテを読みて> (巡礼の年 第2年「イタリア」より)』。
曲の冒頭は少し重厚で、そこから中盤はやや弾けるようなメロディになる。そしてまるで星が瞬くような軽やかな旋律が流れだす。

ダンテの『神曲』は地獄篇・煉獄篇・天国篇の三部からなっており、この曲は地獄篇をモチーフにしていると言われている。

弾き終えた透さんに僕は思わずため息を漏らして言った。

「すごい。僕はこんな難しい曲は弾きこなせません」
「ありがとうございます。あなたはどんな曲を弾くんですか?」

僕が答えあぐねていると、彩子さんが立ち上がってこちらに近づいてきた。
彼女もすらりとしていて、背の高さは母と同じ位な気がした。
そして長身の透さんによく釣り合うな、と思った。

そういえば…、母が父と並んだところは見たことがない。父は僕の方がほんの少し高いくらいで、そこまで長身なわけではない。
2人が並ぶと…どんな感じなんだろう…。
母さんはどんな顔をして学生の頃、父さんの隣にいたんだろう。
2人はどんな顔をして、見つめ合っていたのだろうか。

そんなことを考えた。

「もし良かったら、弾きませんか? ピアノ」
「えっ…!?」

彩子さんがにこやかにピアノの方へ手を向けた。透さんも立ち上がった。

「お店、ちょい早めだけど閉めちゃうね」

マスターがそう言って入口の外に "closed" の札を下げた。

「お近くにお住まい?」
「いえ…」
「あぁ、彼は車で旅をしているんだって」

マスターが僕がどこから来たのかを説明してくれ、彩子さんは「そんな所から!」と目を丸くしている。

「そうか。たまたまリストの『巡礼の年 第2年~イタリア』から曲を選んだけれど、この曲もリストが奥さんとイタリアへ旅行した時に作ったとされているね。旅行繋がりなんて、僕はなかなか冴えた選曲をしたと思わないかい、彩子」

目を輝かせて彼がそう言うと、彩子さんは澄ました調子で「そうね」と言った後、クスッと笑った。

そこで尻ポケットに入れていたスマホがブルっと震えた。メッセージを着信らしかった。
慌てて取り出す。

父からの返信だった。





#4へつづく

Information

このお話はmay_citrusさんのご許可をいただき、may_citrusさんの作品『ピアノを拭く人』の人物が登場して絡んでいきます。

発達障がいという共通のキーワードからコラボレーションを思いつきました。
may_citrusさん、ありがとうございます。

そして下記拙作の後日譚となっています。

ワルシャワの夢から覚め、父の言葉をきっかけに稜央は旅に出る。
Our life is journey.

TOP画像は奇数回ではモンテネグロ共和国・コトルという城壁の街の、
偶数回ではウズベキスタン共和国・サマルカンドのレギスタン広場の、それぞれの宵の口の景色を載せています。共に私が訪れた世界遺産です。


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