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【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Moment's Notice #4

「君さ、野島梨沙ちゃん、だよね?」

授業が終わって教室を出た時、梨沙は日本語で声を掛けられた。
振り返ると青いTシャツを着た、スラリと背が高く短髪が爽やかな男子学生が、梨沙に向かってにこやかに笑顔を向けていた。
梨沙は一瞥すると、プイッと無視して再び歩き出した。

「あれ、俺変なこと言ってないよね? この学校で日本人って、野島梨沙って子しか他にいないって聞いてるんだけど」
「私は確かにそうよ。だから何?」

梨沙のつっけんどんな態度に彼は目を丸くした。

「あ、いや。数少ない日本人同士仲良くしないとな、と思って挨拶に来たんだけど」
「それはどうも」

そう言って再びプイッと顔を背ける。

「あれー、梨沙ちゃんってなかなかキツイ性格なのかな?」

その言葉に梨沙はキッと彼を睨んだ。

「初対面なのに馴れ馴れしくちゃん付けで呼ばないでくれる? それにこんな私が嫌だったら近寄らないことね」
「冗談だよ。俺、牧野康佑こうすけって言うんだ。11年生(高校2年生、梨沙の1学年上に相当)。よろしく」

康佑が差し出した右手もただ一瞥しただけで、梨沙は「私、もう帰るから」と足早に去ろうとした。

「挨拶くらいちゃんとしてくれたっていいじゃないか」
「それはごめんなさい。でも『よろしく』なんて言うほどこれから何かあるとも思っていないから」

康佑は目をパチクリとさせ、行き場を失った右手を引っ込めた。梨沙は「フン」と鼻にシワを寄せ、足早に学校を出た。

男子にはとことん冷たい梨沙である。

ドイツでは1日の食事のうち、Mittagessenミターグエッセン(ランチ)が一番しっかりとした食事になる。8月中に遼太郎と滞在していた時も徐々に夕食はKaltes Essenカルテスエッセン(冷たい食事、つまり軽食)に慣れるようにしていった。

この日のランチはボロネーゼパスタに、炒めたじゃがいもとソーセージ、いわゆる「ジャーマンポテト」だった。
Emmaはパスタにこれでもかとチーズを削り入れる。目を丸くして見つめる梨沙にEmmaは「こうした方が美味しくなるでしょ」と言った。

「確かにそうかもしれないけど」

梨沙も乳製品は好きだったが、牛乳は味も匂いも苦手である。ただ乳製品の味は好き。チーズもヨーグルトも好き。酸味が苦手なので、酸っぱいヨーグルトはハチミツやジャムを入れて食べる。

Emmaがチーズの塊とチーズグレーターを渡そうとするが、梨沙は手に匂いがつくのを嫌がって彼女にゴシゴシと削り入れてもらった。

飲み物は、梨沙が大好きなMineralwasser(炭酸入りミネラルウォーター)。日本のミネラルウォーターはガスが入っていなくて物足りないのだが、ここドイツでは基本的にミネラルウォーターといえばガス入りである。
Emmaはコーラ。
そして籠にたくさんのパン。ドイツは本当にパンの種類が豊富で美味しかった。それでも梨沙は酸味のある黒いパンは避ける。

Schulz家はプロテスタントだったが、食事の前の祈りはしない。Emmaに至っては教会にも行かないようだったが、MutterやVaterは特段怒ったり注意したりしないようだ。家族と言えど宗教も自由、ということなのだろう。とにかくドイツは自主性を重んじるのだ。

以前遼太郎にも宗教について尋ねたことがあり「俺は特定の宗教を信仰するつもりはない」と彼は答えていた。「梨沙は信仰したければ洗礼を受けたらいい」と言われたが、教会は好きだが、そこまでの気持ちはなかった。

「リーザ、今日の学校はどうだった?」

日課のようにMutterが尋ねる。梨沙はいきなり声を掛けられた "康佑" のことを思い出して顔をしかめた。

「変な男の子に声を掛けられて嫌な気持ちになった」

感じたことを素直に話すとMutterは驚いて「大丈夫だったの?」と心配そうに眉を下げた。梨沙は「大丈夫。日本人の男の子で、私に興味があったみたい」と答えた。

「日本人? それだったら仲良くしておいてもいいんじゃない?」

そう言ったのはEmmaだ。しかし梨沙はツンとすまし顔。

「必要ないよ。日本人だからってむやみに仲良くする必要ないし、第一男だよ?」

Mutterは梨沙が貞操観念が強いのだと誤解しただろう。神妙な顔をして頷いた。

しかしその翌日も康佑は声を掛けてきた。梨沙は呆れたように天を仰ぎ、
ギロリと睨みつける。

「ねぇ、私に関わらないでってば。日本語わからないの? Bleib mir fern!」
「まぁまぁ。仲悪くすることもないだろ。悪いよりは良い方が、そりゃいいに決まってるじゃないか」
「屁理屈述べないでよ」
「屁理屈なもんか!」

梨沙がまたプイッとそっぽを向いて行ってしまい、その後姿を康佑は鼻でため息をつき見送った。

背は高くないものの、短いスカートからスラリと伸びる細い脚。艶やかなボブヘア。陶器のように白い肌、あどけなさの残る丸い頬はぷるんと張りがあり、上品なチークを塗ったように桜色をしていた。
そして、吸い込まれそうな大きな瞳。

康佑は初めて梨沙を見かけてから一目惚れをしてしまったのだ。

Pretty Savage強烈にかわいいじゃないか!

そう思って『お近づきになりたい』という気持ちが強く込み上げた。いつ声をかけようかと思っているうちに11月に入ってしまい、クリスマスも近いことから声を掛けるなら今しかない、と意を決した。

しかし、あの性格だ。一筋縄では行かなそうだが、彼もまたツンデレな女の子に弱かった。まさに康佑にとって梨沙は『どストライクな女の子』だったのだ。


一方、2日続けて声を掛けられたことで、梨沙はすっかり気分を害していた。今日は遼太郎との電話でその事を話題にした。

「1こ上に日本人の男の子がいるんだけど、昨日声を掛けられて。嫌だったから『話しかけないで』って言ったのに、そいつ今日も話しかけてくるの。ものすごく嫌なんだけど」

梨沙の話に遼太郎とは「ほぅ」と関心を持ったようだった。

『モテモテだな、梨沙』
「違う! そんなんじゃないから!」

本当はあまり遼太郎に異性の話はしたくなかった。
父に対して他の男性の事を感じさせるような言動も態度も示したくなかった。
そして他の男性と関わりがある度に、梨沙は遼太郎が恋しくてたまらなくなってしまう。

『なにか嫌なことされたのか?』
「話しかけないでって言ってるのに話しかけてくるって、もう嫌がらせじゃん」
『お前、また壁作ってるのか。悪い癖だな。別に危害を与えてきているわけじゃないなら、話ぐらいしてやれよ』
「もう! この話するんじゃなかった!」

梨沙は機嫌を損ね、遼太郎はため息をつく。異性に壁を作っていることは、ある意味安心でもある。以前自暴自棄になってクラブで男性らに囲まれていたことを思えば、今の方がマシだとも思う。

しかしそれに反して梨沙が自然に誰か、他の誰かに関心を寄せてくれれば喜ばしいことなのだが、自分からそれをそそのかすと更に梨沙の気分を害するだろうと予想がついた。
何より衝動的な行動に出てしまうことを心から恐れた。

『わかったわかった。もう言わないよ。他には? いいことは何かなかったのか?』
「いいこと…わかんない…。あ、今こうやってパパと話ができてること」
『そうか…。クラスメイトとは何か会話しなかったのか?』
「今度のお休みの日にRuslanとYasminと、あと何人かでKREIZBERGクロイツベルクのカフェに行くことになってる」
『へぇ、それはいいじゃないか。Yasminって、お前が世話になったあのトルコ人だろう?』

日本では友達と呼べる子をあまり作らなかった・作れなかった梨沙だが、ベルリンではこうして積極的に人と会っている。それは遼太郎を安心させた。

「そういえば前にYasminが "パパに会ってみたい" って言ってたの。実現させるの忘れちゃってた」
『そうか。それじゃまぁ、よろしく伝えてくれよ』
「うん」

本当は私が一番会いたい。梨沙は思い、涙がこみ上げそうになった。
赤くなった鼻をツンとすすり、堪えたが

『…どうした?』

そんな風に訊かれたら、決壊してしまいそうになる。

会いたい。

でも言わない。返ってくる言葉はわかっているから。

「…何でもない」
『…本当に大丈夫か』
「うん…大丈夫。Bis morgen(また明日), パパ」
『Gute Nacht.』

この夜は梨沙のキスを返してくれた。
途端に涙は消え去り、胸をときめかせ、こみ上げる笑みを抑えきれず「Hurra!」と叫んでベッドにダイビングした。

物音に既にベッドに入ってウトウトしていたEmmaが驚いて飛び起きるほど。





#5へつづく

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