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『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』やっと色々整理できたから感想まとめてくぞい

こんにちは、あるいはこんばんは。

みなさん、お元気ですか。
今日も友達や家族、恋人とアッセンブルしてますか。

先日、ガーディアンズ3の最速上映に行ったら最高すぎて失禁したよっていう記事を上げたのでよければこちらも読んでほしいななんて思うのですが、

さすがに1回観ただけじゃ感情の整理ができず、せめてもう1回観てから記事を書こう、と思ったらGW含めてなんかわからんけどめちゃめちゃ時間なかったのなんなのもう!!!

けどやっと一昨日2回目が観れたので、まとめていこうかな。

ネタバレは大いにあります。
むしろオタクにネタバレなしで感想書かせると

えっ!!!好き!!!!!!
待って、ちょっと、え、無理なんですけど??!!!
なんかもう、なんか、ほんと、みんなありがとう!!!!?

といった具合におおよそ言語ではなくなるので、ネタバレありで書きます。
それでは目次から、どうぞ。


感想

まずは、ありがとうジェームズ・ガン

もうね、このひと言に尽きますよ。
ディズニーからあんな仕打ちを受けたにも関わらず、最後の最後にとんでもなく最高な置き土産を残してくれたんだから。

ディズニーとガン監督の間に何があったのか知りたい人は、おうちに帰ったらお父さんかお母さんに聞いてね。

というのはかわいそうなのでひと言で説明すると、#MeToo運動が盛んだった当時、右翼系の記者がガン監督の10年前の過激なツイートを引っ張り出してきて、糾弾したんです。
そしたらビビり屋さんなディズニーちゃんは批判を恐れてガン監督を解雇、『ガーディアンズ3』の監督から降板させたんですね。

これにブチギレたのが世界中のファンたち。そりゃそうや。俺もキレた。
ディズニープラス解約してやろうかと思った。できないけど。

そしてファンと同じくブチギレたのが、ガーディアンズのキャストたち。
メインキャスト全員で共同声明を出して、ガン監督を支持したんです。

これはさすがにまずいと思ったディズニーちゃん。
ガン監督を再起用し、無事に『ガーディアンズ3』があるべき姿で制作されたわけなんですね。

うん、全然ひと言で説明できてないね。オタクの性だね。

とにかく、戻ってきてくれてありがとうなのです、本当に。

本作はロケットの話?

そんなこんなで制作された『ガーディアンズ3』。
いろんな前情報や推測が飛び交いました。

ロケットがメインの話になるとか、メンバーが離脱するとか(=ロケット死んじゃう説が流れててマジで腹括って観に行きました)、アダムがどう絡むのかとか。

結果としては、
たしかにロケットの話がメインではあったものの、
それをきっかけにガーディアンズのみんなが自分の過去に向き合うことで、それぞれが前を向いて歩き出していく、そんな映画だったように思います。

あれだけの数の登場人物全員に光を当てるだけでもガン監督相変わらず恐るべしなのですが、それだけでなくキャラクター同士の関係性までしっかり回収しきってきたもんだから、もうほんと、唖然ですよね。降参です。

考察

⑴冒頭について

ここからは内容にしっかり踏み込んでまとめていきたいと思います。
もちろん全ての要素を拾い上げれるわけではないので、「まあこのへんわかっといたらまじあついよ」くらいのギャルオタマインドでいきますね。

まずは冒頭について。
1作目以来のシリアスなシーンから始まります。結構空気重ため。

前作と言っていいのか、ホリデースペシャルではみんなとケビン・ベーコンに励ましてもらったクイル。いいな、友達たくさんいて。

しかしあんな盛大なパーティーをしても、やはり彼の心は満たされなかったんですね。失恋やけ酒自暴自棄タイム、絶賛継続中。
ここでバックに流れるレディへが最高なのですが、

日本人的には「酒と泪と男と女」が流れてるような錯覚がありました。


そしたらいきなりアダムちゃんが突っ込んできて、大暴れして、
めちゃめちゃに強いのになぜか負けて、ボロボロになって帰っていきます。
とんでもない強さであることとポンコツであることをあの短時間で同時に伝える演出は、監督さすがです。

この冒頭のシーンで注目したいのは、ガーディアンズたちの関係性。
その中でもロケットとネビュラの関係性は特筆ですね。

サノスの指パッチンからの5年間、ガーディアンズで取り残されたのがこの二人。
崩壊した世界で、ガーディアンズという居場所を守ってきた二人なんです。

その友情は「ホリデースペシャル」でも垣間見ることができて、ネビュラがロケットにクリスマスプレゼントをあげていました。
まさかのバッキーの左腕だったけどw

ちなみにこのプレゼントした左腕、ガン監督によるとネビュラが「クリスマスのテンションで本人からもぎ取ってきた」んだそう。なにそれかわいい。

「エンドゲーム」の時にロケットはバッキーの腕を欲しがっていたので、会話の中での「あいつの腕ほしいわあ」というロケットの呟きを、ネビュラは覚えていたのかもしれませんね。かわいい。

そして本作でより鮮明になる二人の共通点が、
「親同然の存在から、自分の意思に反して身体を改造されまくった」
という点です。

ロケットは完璧な生物を求める実験の被験体として、ネビュラはより強くさせるため、強制的に身体を改造されています。そういった過去を持つ二人だからこそ、通じ合うものがあったんでしょうね。

⑵最凶の敵、ハイ・エボリューショナリー

そして物語は進み、アダムの襲撃により重体に陥ったロケット。
そこで彼を改造した張本人:ハイ・エボリューショナリーの存在と、彼の所業が明らかになります。

まあまじで最低なサイコ野郎なわけですが、この突き抜けた最低さと異常性こそが、本作にはとてもエッセンスだったと思います。

マーベルを観てきた人ならわかるかと思いますが、やっぱサノスって偉大だったんですよ。原作コミックでもとても強大な的だし、MCUの中でも抜群の存在感を誇っていましたよね。
とにかく強い。そして知的で冷静。冷酷ではあるものの、その背景には宇宙の救済という大いなる目的がありました。実際に目的を果たした彼は、宇宙の支配者などになるわけではなく、隠居生活を送ります。
「宇宙の生命の半分を消す」という手段が正しいかどうかは別として、彼には大義があった。そこが彼のカリスマ性を加速させ、名ヴィランたらしめていたのだと思います。

ただこのサノスの偉大さ、映画の制作陣からしたらたまったもんじゃないです。だって、シリーズを続ける以上、サノスを越えるか匹敵するようなヴィランを生み出さなければいけないのだから。

そこで選ばれたのが征服者・カーンなわけですが、今のことろまだなんとも言えませんね。今年公開予定の『ロキ2』で本格的に動き出すのではと、楽しみにしております。

そして話を本作に戻すと、本作のヴィラン:ハイ・エボリューショナリーは、ある意味とても賢く器用に、MCUのヴィラン問題を乗り越えたと思います。その方法こそが、先述の「最低さ」と「異常性」です。

スポーツゲームで例えます。はい、突然です。
大体のスポーツゲームって、選手のパラメータがありますよね。「スピード」「スタミナ」「パワー」とかを、5角形とか6角形で表すやつ。
あれでいうなら、サノスは全てのパラメータにおいて10段階の7,8以上をマークする、いわば優等生なんです。ヴィランの。手塚であり、クリロナです。

しかしハイ・エボリューショナリーはそうじゃない。
彼はほとんどの項目においては3〜6の凡人なのですが、「最低さ」「異常性」といった項目においては、10段階で14,15を叩き出しているんです。

ガン監督は間違いなく意識的にそこを狙ったのでしょう。
サノスに負けないような存在感のヴィランを作るため、ある1点のパラメータに突き抜けた、ぶっ飛んだキャラクターを作ったんです。そしてそれが完全に大当たり。最高に嫌われ役な、最低最悪な野郎ができあがったわけです。彼の存在が物語への没入感に大きく寄与しているのは、間違いないでしょう。

思い返すとガン監督は、ロナンといいエゴといい、ちょうどいいぶっ飛んだヴィランを作るのが上手いですね。

⑶コメディ要素

ヒーロー映画に不可欠な「良質なヴィラン」が用意できたところで、『ガーディアンズ』に欠かせない要素である「笑い」に目を向けてみましょう。

結論から言うと、本作における「笑い」はシリーズの中でも過去一だったのではと思います。そしてそれはひとえに、少しずつ育ててきた各キャラクターの個性と、キャラクター同士の関係性によるものでしょう。

特に今回はマンティスとネビュラが良かったですね。
ネビュラに関しては前作以降のMCU作品(アベンジャーズ等)で、少しずつ静かなツッコミ役というか、ドリフでいう長さん的な立ち位置、って言ってもわかんねえか若い子は、、つまりポンコツどもに檄を飛ばしながらまとめ上げるしっかり者な立ち位置になってきていたように思います。

しかしマンティスは本作でそのキャラクターが一気に開花。ドラックスと「天然コンビ」を組んでいた彼女ですが、本作では家族であるガーディアンズのために奔走し、声を荒げ、一喜一憂してバタバタしまくります(note辞めちまえな語彙力)。そしてそんなマンティスが本当にかわいい!!

そしてマンティスとネビュラのキャラ確立によって、他のキャラの立ち位置も確立しました。ガモーラ離脱後に恐怖の全員ボケである「笑い飯」状態と化していたガーディアンズが、ボケとツッコミのバランスが取れた「新喜劇」状態に達したように思います。しかも全員がボケであり、ツッコミでもある。そのボケとツッコミがハイスピードで入れ替わるのだから、面白くないわけがない。

そうなってしまうと、もう無敵です。なにが起こったって面白い。
その無双状態が最も炸裂していたのが、カウンター・アース(動物人間みたいな生物が暮らしてた惑星)で家に招かれた時の一幕。

・ソファで一生寝ようとするドラックス
・異星人に一生懸命に的外れなジェスチャーをするマンティス
・差し出された謎の飲み物を異常に気に入るネビュラ
・全員に器用に突っ込みながら話を進めるピーター

もうね、こんなの新喜劇以外のなにものでもないですよ。
こんなの面白くないわけがない。
ガーディアンズの「笑い」は、マンティスとネビュラという女性二人のキャラ確立によって、最終作にして完成されたと思います。

⑷音楽はやっぱ最高

さあ、「良質なヴィラン」「最高な笑い」が揃いました。
ですがまだガーディアンズにはなくてはならない要素があります。

そう、音楽です。

ガーディアンズの最大の魅力と言っても過言ではないかと思います。
映画内でのあらゆる場面をこれ以上ないほどに彩る、ガン監督の選曲。
本作でも、最高です。というかもう、最高です。

冒頭のRadioheadから最高ですが、個人的にアツかった選曲をいくつか紹介

Do You Realize? / Flaming Lips
ガーディアンズの映像、特に宇宙空間の映像に、彼らの楽曲の煌びやかさが合わないわけないんです。歌詞も含めて、最高な相性。


子犬のカーニバル 〜子犬のワルツより〜 / EHAMIC

まさかね、ボーカロイドがMCUで流れる日が来るとは思いませんでしたよw
しかも本編中では気が付かなくて、エンドロールで「KOINU NO CARNIVAL」を見つけて気がつきました。どこから仕入れるねん、、


No Sleep Till Brooklyn / Beastie Boys
これはもう、問答無用のかっこよさ。
元々ビースティが大好きな自分なのでこの曲のかっこよさは自覚しているつもりでしたが、あんな最高なシーンで最高なアクションと最高なカメラワークと共に聴くこの曲は、漏らしそうなほどかっこよかった、、


Dog Days Are Over / Florence + The Machine
本作のハイライトは、完全にこの曲でしょう。本作のエンディングはもう、全身を包み込むような多幸感に満ち満ちていて、映画史に残る代物だと思っています。そしてそのエンディングに多幸感をもたらしたのは、間違いなくこの楽曲の力でしょう。歌詞も楽曲も全てがマッチしていて、ガン監督の選曲のセンスがもはや恐ろしく思えましたね。最高なシーン、最高な曲。
和訳付き動画があったのでぜひ。


⑸いくつものメッセージ

「ヴィラン」「笑い」「音楽」と最高な要素が揃っている本作。
そんな本作で語られるメッセージは、大きく2つ。

「ありのままを受け入れること」
そして
「誰にでもセカンドチャンスは与えられる」

そしてそれぞれを体現していたのが、本作のキーである二人、ハイ・エボリューショナリーとアダムであったように思うのです。

ハイ・エボリューショナリーは「完璧な生命体」を求め、研究を繰り返してきました。その過程で生まれたのが他でもないロケットで、そんな彼だからこそ、ハイ・エボリューショナリーに対して

「お前は完璧を求めたんじゃない、ありのままを否定しただけだ」

と突きつけます。
本作を観ていて、ハイ・エボリューショナリーは自分の不完全さへの執着が非常に強いのだと感じました。自分の不完全さを生命全体の不完全さにすり替え、そして完璧な生命体を作り出すことで完全性を理解し、我が物にしたかったのではないかと思うのです。
だからこそ、自らが作り出したはずのロケットの知能が自分を上回ったという事実、そしてその原因が理解できないという事実が彼には受け入れられなかったのでしょう。

そんなハイ・エボリューショナリーと対極だったのが、ガーディアンズの面々。ロケットが自らの出生や存在を受け入れ「ロケット・ラクーン」と名乗るようになったように、本作を通してメンバーそれぞれがありのままの自分を受け入れていくのです。

ピーターは残された家族と向き合う選択をすることでスターロードではない地球人ピーター・クイルとしての自分を受け入れましたし、ドラックスは妻と娘を失った事実を受け入れ、そして自分の役目は"破壊者"ではなく"父親"であることを受け入れました。またマンティスは自分の存在価値に自信が持てずに他者に依存していましたが、自分の意思や能力に自信を持てるようになり、ある意味自分の存在価値そのものを受け入れることができました。

ありのままの自分を受け入れることができる彼らだからこそ、他者のありのままも受け入れることができる。そのマインドの大切さとそして強さを、ガーディアンズは体現しているように思います。多様性ですね。

そして「誰にでもセカンドチャンスは与えられる」というメッセージ。
これはもう、ガーディアンズそのものですよね。

ろくでもない悪人たちだった彼らが手にした、銀河の英雄になれるチャンス。そのセカンドチャンスがあったからこそ、今の彼らがある。そのことを彼らは痛いほど実感しているのでしょう。だからこそ、アダムに対してもセカンドチャンスを与え、彼はそれに応えたのです。まじ最高なシーン。

そしてこのセカンドチャンスは、ガン監督自身にも当てはまります。
一度は監督を解雇された身ながら、ファンや仲間たちのおかげで見事復帰できたジェームズ・ガン。ある意味彼が一番、セカンドチャンスの大切さを身をもって感じているのかもしれません。

まとめ

細かいところはだいぶ省いて、本作の何が最高かを最短距離でまとめたつもりです。全部書こうと思うと以前に書いた『RRR』の記事のような文字数になってしまうので、割愛します。

本作を最後にDCへと旅立ってしまう、ガン監督。寂しいですね。
しかしアメコミファンとしては一生微妙な出来のDCを盛り上げることでアメコミ全体が盛り上がればそんな最高なことはないので、大いに期待したいですね!MCUにはファイギとルッソ兄弟がいるし!

というわけでそろそろスパイダーマンとフラッシュが同日公開ですね。
いつも公開から記事の投稿まで時間がかかりすぎるので、この2作はなるべく最速で書き上げたいと思っております。

長々と読んでいただきありがとうございました。
それではまたお会いしましょう、さようなら。

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