「この爪に精一杯の私を込めて」
何も予定のない日曜日の午後。
いつものようにまだ半分眠ったままの頭で電気ケトルのスイッチを入れ、ぼんやりとした感覚を少し楽しみながらコーヒーをドリッパーにセットする。いつの間にかお湯は沸いていて、買ったときはあんなに心が躍っていたはずなのに、今はもう何も感じなくなってしまったブルーのケトルを持ち上げ、ほんの少し、お湯を注ぐ。ふわっと湯気とともにコーヒーの香りが舞い上がる。
淹れたてのコーヒーを片手にデスクへ向かう。パソコンの電源を入れて、起動とほぼ同時に音楽ソフトを立ち上げる。知らない誰かがつくったプレイリストからその日の気分に合ったものを選ぶ。流れ出す音楽をかき消すような車の走行音に「やっぱり静かな場所に引っ越したい」なんて、少しイライラしながらコーヒーを一口、口に運ぶ。口の中に広がる心地いいコーヒーの香りとほんの少しの苦みがとげとげしい心を少し、落ち着かせてくれる。
休みの日だろうと、仕事の日だろうと、だいたいいつも私の1日はこうして始まる。なんてことない。けど、この時間が意外と好きだったりする。
ふと、キーボードの上にある自分の手に目が留まった。
「爪、伸びてきたな」
私は自分の爪というか手があまり好きではない。指は短しいし、爪も小さい。おまけに肌が弱いので、すぐ荒れてしまう。手は1番自分で目にするとろだから、老人ホームのおばあちゃんたちにネイルをしてあげるとそれだけで元気になる。そんな話を聞いたことがある。確かに、きれいに整えられた手と爪はそれだけで幸せな気分になる。
だけど、私はネイルをしていない。しない理由は2つあって、1つは短くて小さな爪にネイルは似合わないから。どんなにきれいにしてもらっても、やっぱりネイルが映えるのは、長い指と大きな爪のある手だ。コグマの手みたいな私の手には似合わない。それでもある程度、爪を伸ばしたうえでネイルをすればまだ少しは理想の手に近づくことができるのだけど、それが2つ目の理由になる。
私は小さい頃からアトピーで、無意識に身体をかきむしってしまう癖がついてしまっている。だから、爪が長いと身体中を傷つけてしまう。だから、私は爪をいつも短く切りそろえる。自分で自分を傷つけないために。
「自分で自分を傷つけない・・・か」
いつの間にか伸びてしまっていた爪を短く切りそろえながら、ふとそんなことをつぶやいていた。今でこそ、こうして定期的に爪を切るようになったけれど、昔はそんなことなかった。面倒くさかったり、やっぱりネイルがしたかったりで、長く伸ばしていた時期もあった。だから、その頃の身体はいつも傷だらけだった。
いや、あの頃は身体だけじゃなくて、心も自分で自分を傷つけていた。人と自分を比べては自分のダメなところばかり見つけて、そんな自分を毎日のように責め続けていた。「なんで、できないんだ」「なんで、こんなにダメなんだ」って。
自分にダメ出しをする性格は、いまだに変わってない。何とかして直そうとしたこともあったけど、性格なんてそんな簡単に変えられるわけがない。だから、そういうものだと受け入れることにした。
アトピーだって同じで、色んな薬や体質改善を試してみたけれど、結局何をしても完治させることができなくて、今は上手く付き合っていくことにした。
そうやってずっとダメだと思って、完治させなければいけないと思い込んできた自分の欠点を受け入れることにしてから、心も身体も落ち着いている。コーヒーの香りや、何気ない日常に幸せを感じられるようにもなった。だからやっぱり、これでよかったんだと思う。
なんてことを思い出したら、短い指で、短く切りそろえられたこの爪も、なんだか愛おしく思えてきた。
ちっとも映えない小さな爪だけど、これはこれで、私らしくていいと思えるから、それでいい。
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