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批判記事の書き方、教えます。「一方的な批判は厳禁」な理由とは?

現代ビジネスに大相撲に関する批判記事を掲載しました


もしかすると御覧いただいた方も居るかもしれませんが、今日ヤフーニュースに私が現代ビジネスに寄稿した記事が転載されました。


こちらです。



あの優勝したくて、させたくて仕方がなかった例の力士のお話です。千秋楽の前の日にどうしても勝つ絵が想像できなくてツイッターで作戦会議まで開いたのですが、エロDMが殺到するという衝撃のオチが入ったあの力士のことです。


ただ、あの力士が敗れた時にデカい問題が起きちゃったんですよね。読んでいただければわかりますが、決してこの力士は悪くないんですよ。


あ。


今日は別に相撲の話をしたいわけでもなければこの問題を深堀して議論したいっていうわけではないのでご安心ください。何しろここは、相撲関係ないnoteですからね。


ただ、今回の件って「現代ビジネス」というデカい媒体に記事を書かせてもらう上でとても良いケーススタディになる事例だと思ったんですよね。


というのも今回の記事って、誰かを褒めたりとか、相撲を深堀してスポーツの観点から分析するような趣旨のものではなかったんですよ。


タイトルからも分かりますが、これは批判を含む記事です。

ちょっと今回は、批判記事の書き方について皆さんにお話しできればと思います。


批判記事はメディアにとってもライターにとってもおいしい


まず最初に断っておくと、批判記事ってPVが伸びやすいんですよ。


これには理由があります。

それは意見に好意的な人も、批判的な人も、どちらも釣れるからなんです。


普通の記事ってなかなかPVが伸びにくいものでして、よほど良いニュースだったり誰か有名人が紹介でもしてくれたら違うんですけど、なかなかそうはいかないものです。


そんなにスポーツでもビジネスでもそうですけど、みんなで話題を共有できるほどのニュース記事って無いんですよね。バズるニュースがある一方で、一部界隈でだけ細々と共有されるようなニュースが無数にあります。


だからどうしても、無料ブログをしている方もそうですし、あとはライターでもユーチューバーでも同じなんですけど、自分やトピックを注目させたくて批判とか目立つ発信に走りがちなんですよね。


で、論調が批判的であればあるほど、注目を受ける訳ですよ。


発信する側としては願ったりかなったりなんですよね。だから力は無いけどやけに荒れるような書き方をするような、嫌われ者のライターの人がサッカーの記事に多く登場しがちなんです。


つまり、批判記事そのものは掲載する側からするとかなり需要はある上にライター側も顔を売るために書きたがる傾向が結構強いんですね。


ただ。


論調がかなり攻撃的で、PVが伸びるような批判記事について意味があるか?っていうと、そういう訳ではないんですよね。つまり、多くの人が読んでいることは必ずしも意味を持つということではない、ということです。


批判記事は多いけど、本来の目的を逸脱しやすい


そもそもですよ。

批判記事を書く目的って何だと思いますか?


答えは単純です。

批判を受けるようなことを直していくこと。

そして、直すために圧力を掛けていくこと。

これに尽きます。


ただ、単に批判の仕方を間違えるとそちらに議論や力が向かっていかないんですよ。端的に言うと、記事を巡って肯定派と批判派が争いを起こすだけになりがちなんですね。


あと、書き方次第で意図しない方に話が向かうことがあります。


例えば最近大相撲できわどい判定に対して物言いをつけることが少ない傾向にあって、それが非常に大きな批判にさらされたことがありました。その時にとあるスポーツ紙が「それは影響力のある親方の影響によるものだ」ってことを書いたんですね。


これ、本当は「きわどい判定だったら可能な限り手を上げて多くの審判で話し合おう」っていう趣旨で話を進めなければいけないじゃないですか。でも結果として皆の興味の対象になったのは「影響力のある親方」ってのは誰だ?ってことになっちゃったんですよね。


批判記事っていうのは言葉も意見も強いので、いろんな人がいろんなことを考えてしまいがちなんですよ。だから、本当に丁寧に書かないとどんどんズレていってしまって、結果として得られるのはPVと対立だけだったりするんですね。


片方の立場からしか語らない批判記事に意味は無い


もう一つ大事なことがあります。

それは、批判記事は片方の意見でしか書かれていないことが多いということです。


これ、本当によくある話なんですけど、例えば白鵬を批判する記事を書いたとすると、一方的に白鵬のことをけちょんけちょんに書くようなものになりがちなんですね。


ただ、白鵬にだって言い分はあるし、背景もあります。


これの何が問題かって、一つの面しか見えていないのに、また意図的に見ようとしていないのに一方的な悪者を作り上げてしまうところだと思うんですよ。夕刊紙なんか大体この書き方ですからね。まぁ大体批判されている人、団体は悪魔のような描かれ方ですよ。


勿論事実を誤認する、意見を誘導するということもまた問題なんですけど、それ以上に問題があるんですね。


そうした批判は、本来届けなければならない人に届かないということです。


例えばこの種の白鵬の批判記事に関しては、元々白鵬が嫌いな人には届きやすいんですね。何故なら普段から白鵬が嫌いな人としては自分が嫌いな対象について批判してくれるのであればスンナリ受け入れてもらえるわけですからね。


ですから、こういう批判記事っていうのは本来無関心な人を巻き込むというよりは逆の立場の人の考え方を変えるきっかけになるようなものでなければいけないんですよ。


でもこの書き方をすると、白鵬ファンには届くはずもありません。

となると、元々嫌いな人しか共感しないということになります。


つまり、この記事によって本来導きたい「白鵬ファンの想いを変える」という目的は一切達成されないということになる訳ですよ。


様々な目線を考えて、批判記事は書かねばならないから難しい


批判記事というのは本当に丁寧に書かねばならないものなんです。


書く側としても返り血を浴びる可能性もあるものですし、批判をされる対象に対して失礼があってもいけない。そして、本来の目的である「批判を通じて逆の考え方を持っている人に問題提起する」ということを達成する必要がある。


そうするためには、様々な目線で書いていく必要があるんですね。


だからとってもこれは皮肉な話なんですけど、良い批判記事に限ってPVが伸びないんですよ。理由はとても単純で、批判記事を支持する立場の人から見たら多面的な見解が示されているからまどろっこしいし、逆側の立場の人からすると別に感情を逆なでされるようなものでもないからです。


だから、これは無料ブログを書いていた頃のことですが、開設当初の批判記事は結構なPVを集めましたが、ライターとして仕事をいただくようになってからはそれほど伸びなくなりました。


結局ね、読んでもらえる記事と本当に必要なことが書かれた記事っていうのは違うんです。


もしnoteを通じて誰かや特定団体を批判する何かを書こうと思われている方が居たら、今日の記事のことを思い出してください。目線が一方的になっていないか、もっと違う見方は無いのか、言葉遣いの面で共感を得にくい部分は無いか。


批判記事って、様々な方の立場になって書くべきものなんですよ。それが伝わると、もうそれだけで嬉しいです。ライターになって、本当に苦労しているので。


■「Voicy」で新しい放送をアップしました。

今回の放送についてはVoicyの今週のテーマが「おすすめふるさと納税」ということでしたので、これ、先日私の方で記事書いているんですよね。そちらにアレンジを加えていますので、是非お聴きください!


■次回のStandFM配信日時:12月3日 21:00開始

皆様、是非お聴きください!これは記事読むのとは違う面白さがありますから。面ゆるマガジンはこちら。記事全部面白いです。



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