2023年の常識は未来の非常識かもしれないと考えることが大事
42年生きてみると、昔は普通に行われてきたことが今となっては淘汰されてしまったことが多くて驚く。
私が子供の頃はバスや新幹線の背もたれには煙草の吸い殻入れが常備されていたし、終電間際まで仕事をしてくたびれて帰ってくる上に残業代が付かないなんてことも横行していた。
バラエティでは女性の容姿をイジり、同性愛者を笑いのネタにし、コンプライアンスなどという概念はまるでなかった。私たちはそれを見て当たり前だと思い、そして笑っていた。
だから、30年前の映像を観ると本当にヒヤヒヤする。
当時の普通は今の非常識なのだ。
過去の自分たちを責めている訳ではない。過去に遡って説教することは何も産み出さないことなど明白だ。確かに言えるのは、実は理不尽ということが世の中には数多く横行しているということではないだろうか。
そうしたことに対して声を上げて、世の中が議論を重ねて、徐々に世の中が変わってきた。世の中も自分もすぐには変われない。常識というのはそれだけ凝り固まったものだし、考え直して改めるにはそれなりの時間が必要だ。
ここで大事なのは2023年の常識の中にも、あとで振り返るととんでもない理不尽があるのではないか?ということだと思う。そして私たちはその理不尽を普通に感じ、笑っている可能性があるのだ。大事なのは、今そこにある常識やシステムを常に疑っていく必要があるということだと思う。
私達は大変なことを強いられていないだろうか?
そして、実は誰かを傷つけていることは無いだろうか?
お客様という名の下に理不尽を要求する人は絶えないし、40度に迫る中でも部活動は行われている。在宅で可能な業務であってもわざわざ出社させられることもある。女性に言ったらハラスメントになることを男性には平気でしているCMなんて星の数ほどある。少し考えただけでもこの有様だ。
大事なのは、想像力を働かせることだ。
たとえ今、世の中としてストッパーが働いていないとしても、実は負荷になっていることや傷つけていることだってあるかもしれない。想いが及ばないことだって沢山ある。しかし、大事なのは今目が行き届く範囲で気を配ることではないだろうか。
世界には様々な人が居る。
そして、改めねばならないこともある。
求められるからするのではなく、自分が気づき、考えて、動く。それが出来れば、世の中はもう少し優しくなれるのではないかと思うのだ。
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