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職場のおじさんがずるくて飲み会を開きたがる理由

おじさんになると怒られない

あと2か月で42歳になる。
ふと感じるのは、最近怒られた記憶があまり無いことだ。

良くも悪くも私は言いやすいらしく、年下や年上、上司同僚問わず指摘してもらえる。怒られたくない性格上なんと面倒なことかと思ってきたが、この歳になっても言ってもらえるというのはありがたい。

いや、あの、ドMとかそういうの関係ないですからね。
念のため。

ただ、そんな私でさえ最近は言われなくなった。単に指摘を受けるようなことをしていないのなら良いのだが、そうでないとしたらこれは大問題だ。

何故なら、自分の過ちは自分で気づくしかないからだ。

おじさんになると、立場も付くし加齢から貫禄も出てくる。
要するに、言いづらい要素がいくつも発生するわけだ。

立場ある人間に対して反対という立場はとりづらいし、腹の中では違うと思いながらも特に指摘されないまま組織が悪い方向に進むなんということもよく出てくる。

おじさんが飲み会を開きたがる理由

だからおじさんはよく風通しの良い職場を目指して飲み会を開きたがる。言いづらいことを酒の力で引き出させようとしたり、交流を図ることで言いやすい空気を作ろうとする。

交流を推進したがるのはこういう理由がある。
この理由は分からなくもない。

ただ、じゃあ酒の力でその場の本音をそこまで引き出せるかというとそうでもない。おじさんと酒を飲んでも若手は身構えているので、ここでガードが緩むのはボンクラである。

おじさんの言う「無礼講」ほど信用ならないものはない。良い塩梅の無礼講を超えてしまった相手は容赦なく無能の烙印を押したがるのが彼らの悪いところだ。自分から交流しようと言っておいて、結果的に罠にはめた形になる。

つまり飲み会には危険が転がっており、おじさんが求める塩梅で表面上交流する程度が一番ちょうどいい訳である。

話は逸れたが、おじさんは自分で人を遠ざける要因を作っておきながら、痛いところを突かれるとキチンと報復をする。そういう狡さだけは長年の経験で蓄えているから困ったものだ。

おじさんがこずるいのは生存競争を勝ち抜くため

おじさんが生きていくためには面倒な存在を可能な限り排除しなくてはならない。家族のため、そして何より自分のプライドのために反対意見も脅威になる存在もどうにか闇に葬ろうとする。

そこに会社や組織の利益はあまりない。理屈としてはそういった建前を出してくるし、屁理屈をこねさせたら彼らは天下一品だ。狡さという名のインサイドワークを使い始めたら組織も自分もかなり危険だ。ただ、不思議とどこの職場でもこのようなおじさんは存在する。

おじさんだって若いころはあった。
そして、元々はそんな奴ではなかったはずだ。

だが何も言ってくれなくなると、人はこのようなおじさんに姿を変えてしまう。厳しいことを言われる機会が減った分、私は自分に対して危機感を覚えたのである。

それなりに筋の通った建前を押し通して、会社の利益ではなく自分の利益になるように誘導することも可能だ。それが出来たら色々と楽だろうと思うこともあるが、今のところは踏み止まっている。

周りに迷惑を掛けないおじさんとして生きていくのは結構大変なことだ。

職場の若い女性と酒を飲みたいという本音を隠して「コロナで交流がなくなった分ゆっくり話せる場が会社としても必要だと言っている」と押し通し、まんまとおじさんが主役の飲み会を実現する。

このようなおじさんになると恐ろしいのが、周囲の気持ちを理解した気になっているが何一つ理解できていないということだ。自分自身を建前でマインドコントロールし、相手の気持ちを自分の都合が良いように解釈する。

相手の笑顔を作り笑顔ではないか?と疑おうともしないし、そこでコミュニケーションが取れたと好意的に判断する。相手の気持ちが介在するところでこそネガティブ思考が必要なのに、こんな時ばかりスーパーポジティブになる。

おじさんとして生きていくための「品格」

自分がおじさんになって思うのは、厳しく自分を律すること。
都合よく物事を解釈しないこと。
何をするにもネガティブな視点を先に考えること。
そして、見返りを求めないこと。

案外おじさんになるということは、お坊さんのような視点と行動が必要なのかもしれない。

会社でも家庭でも求めすぎず、悪い自我を出さず、淡々と役割を果たす。何故こんな単純なことが出来ないのか考えてみると、それだけおじさんとして生きるのはストレスが掛かるし、認めてほしいという気持ちを抱いてしまうからだと思う。これも私がおじさんになったからこそわかることだ。

責任に追われる中で多くのタスクをこなした先にあるものが賞賛ではなく当然というのはおじさんの立場からすると苦しいところではあるが、そういう不満が肥大化するとズルいおじさんのダークサイドに堕ちてしまう。

おじさんにはおじさんとしての品格が必要だ。おじさんには守るべき「道」がある。ヤバいおじさんが周囲に溢れているからこそ、反面教師とせねばならない。

次回予告:採用で英語力を過大評価すると、弁当の発注しかできない人が来ることもあるという話

英語を使う職場に20年近く在籍してみて気づくのは、不思議と英語しかできなくてほかのことが覚えられないタイプの人が採用、赴任してくることです。

あれなんでだろう?って考えると、周りが英語使えることを評価しすぎて「ほかの仕事も出来るだろう」って見てしまうからなんだと思います。

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