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「自分らしく生きる」ことの罠に好きを仕事にした後で気づいた話

好きなことを仕事にできる嬉しさ


ここ数年、相撲ライター、スポーツライターという肩書でメディア露出をしたり誰もが知っているメディアで記事を書くようになってから言われることがある。

「好きなことでお金貰えるって羨ましいですね。」

確かに元々私は単なる相撲ファンで、好きが興じて人気が低迷しているこの競技を広めるためにブログを始めたという経緯がある。

当時は観客すらまばらだった幕下の相撲の必死さ、荒削りなところ、ちょっと笑ってしまうところを楽しんでほしいと考えたのだ。

そして私は今、趣味と実益を兼ねた形で仕事をいただき、皆様に相撲だけでなく私という人間の存在まで知ってもらえている。この上なくありがたいことだ。

夢のように感じることもあるし、身に余ることだとも思う。何しろ只のファンだったのに力士や親方にインタビューすることもあるのだから。

しかし・・・
好きなことを仕事にするということについては、仕事になったからこそ思うことがある。

好きなことを仕事にすると生まれる苦しさ

たとえ好きでも、好きなレベルには波がある。

幕下を知り始めた時はすべてが新鮮だったし、知識を得ていく過程も含めて楽しかった。相撲を通じて友人が出来、発露の場を得て、ステージが変わっていくことで気持ちが高まっていった。

しかし一通り相撲を覚え、力士の台頭と引退のサイクルを一世代見届け、二週目に入ると感じ方が変わる。

そう。
前と比較してしまうのだ。

当然のことだが最初に観たときの印象の方が強いし、知っていることをもう一度通過すると新鮮さという意味での感動は得難い。

そういう中でライターという形で仕事をいただく。熱量は伝えなければならないが、かといってもはや好きが原動力という次元で私は動いている訳ではない。

きっかけは好きでも時が経てば好きのレベルは変わる。その中で仕事をするのは時に苦しさを伴うことがある。

だからこそ、好きなだけで仕事を選ばないほうが良いということを主張する方も居て、私にはその気持ちが今は分かる。

そもそも「自分らしく生きる」って何?


最近よく「自分らしさ」「自分らしく生きる」という言葉を目にする。

私自身に「自分らしさ」という言葉を当てはめても何が自分らしさか全く分からない。41年も生きているのにらしさが見えない。

ただ、メディア越しに見える「自分らしさ」という言葉はつまり、やりたいことを楽しくやる、という言葉に置き換えられるのではないかと思う。

この言葉が出てくるときに人はポジティブで、楽しく、キラキラした未来を描いているように見える。そんな生き方が出来たら楽しいだろう。

そう考えると人によっては私は自分らしく生きているのかもしれない。ただ、先にも述べたようにもしこれが私らしく生きているのだとしたら、自分らしさを得た代わりに苦しみを伴っていることも事実なのである。

「自分らしさ」を得るための苦しさ

そもそも楽しいことを仕事にするという幸運に私は恵まれたわけだが、その過程だって楽しいことはそんなに多い訳ではない。

人に読んでもらうために、どんな切り口が良いか。
どんな表現なら荒れないか。
荒れたときにどう鎮火するか。
人気を得るためにどう仕掛けるか。
時には闘うことも必要だ。

地道な試行錯誤がそこにはあるのだ。

私の場合「自分らしく生きる」ために12年を要してきている。果たして楽しいだけで、自分らしく生きるというきらびやかでポジティブな目的を達成するために、この地道さに耐えられるだろうか?

これはあくまでも私の話だ。

私ごときの話ですら工夫と苦しみを伴っているのだから、より大きな成功を手にしている方であればもっと楽しくないことを沢山していることだろう。

結局、楽しいことだけをしているだけでは「自分らしく生きる」なんて無理なのである。

結論:「自分らしく生きる」方が苦しいこともある

私の場合は兼業でライターをしているので、生きるための仕事と「自分らしく生きる」ための仕事を両方持っているが、楽なのは前者である。

私はライターではない方の仕事(外資IT)がそれほど苦ではない。労働環境も良い。休みも取れる。食うに困らないし、仕事も認めてもらえている。

楽しさに関してはライター業のほうが感じる機会は多いが、苦しいと感じる機会もライター業のほうが多い。

もしこれがライター業だけだとすると、私は本当に孤独になるし、不安も桁違いに増大する。収入も格段に下がるし、ライター仕事を増やせば苦しいと感じる機会も増える。

私の場合は、兼業というバランスで「自分らしさ」を達成するくらいが丁度いいのである。

メディアやSNSでは「自分らしさ」のポジティブできらびやかな部分がクローズアップされるが、実のところはそれだけではない。しかし、そのことについて釘を刺してくれる人は誰も居ない。

私は自分らしく生きることに触れたからこそ言いたい。これ、結構苦しいですよ。

次回予告:「人はなぜ生きるのか」は、どうやっても答えが出ないと考えた話

この疑問って誰しも抱くのですが、結局明確な答えが出ている状態で生きてる人ってどれだけいるんですかね?

で悩んでる方は真剣なのに、病んでる人扱いされるから変にポジティブなこと言われて終わってる。

まぁ実際忙しくなってくるとこの悩みについては一旦どこか置いて別のこと考えて、数年後にまた同じことやってる。

っていうループのような気がします。

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