42歳にして自分が「HSP」であることを知った話
自己紹介の書き方って工夫次第で人が興味持ってくれるから大事
最近皆さんの自己紹介文を興味深く読んでいます。
どんなことを書いたら目に付くかな?と思い、自分のそれを修正しようかどうしようかと少し思案中なのですが、ただやはり私のアイデンティティって相撲ライターをしていることであり、そこでの実績じゃないかとは思うんです。
だから、何かのエッセンスはあっても、大きく変える必要は無いかなと。
ただ、誰かが最初に「スキ」をしてくれて、コメントをしてくれて、興味を持ってもらった後で最初に見るのは記事ではなくて自己紹介なんですよ。
だからここでマイナスになるようなこととか、そもそもプラスになっていないようなことを書いていたとしたら勿体ないなぁと。
ただまぁ、こういうのって100人居たら100人に届くっていうのはなかなか難しいことで、目指す先って私に対してピンと来るであろう人に刺さる何かを残せるかどうかなのかなとは思うんですよ。
そう考えると、今の私の場合早い話がこの自己紹介で伝えられるのって「相撲ライターとしてそれなりに実績がある」っていうことなんですよ。
だから、そういう人に興味が無ければもう仕方がない。
そう割り切るしかないんじゃないかなあ。
案外この「割り切り」っていうのが大事で、どうしても人って100人居たら100人にいい顔をしたくなるところがありますからね。嫌われたくもないし、興味の対象外にもなりたくない。
案外大事なのって、今までのそういう固定観念を捨てることなのかもしれないですね。
HSP「Highly Sensitive Person」という人が多いらしい
さて。
そんな訳で皆さんの自己紹介を見ていたら、ちょっと気になるフレーズを使われている方が結構多くて、しかもそれが私の語彙には無いものでして。
「HSP」
これ、なんだろう。
ただ、見た感じ結構メンタルに弱いところがあったり、繊細そうな方が多く使っているような印象なんですよね。
「~障害」とかそういう並びのところに「HSP」って入れているところを多々見かけるんで、恐らく病気とか、そういう精神的な特徴みたいなものを指す何かではあると思うんです。
少なくとも「セントラル警備保障」とか、野球で7回1失点に抑えたみたいな実績(ハイクオリティスタート)を示す略語みたいなものでないことだけは確かだなっていう確信は抱きました。
障害の並びに警備会社の略称書いてたら変ですよ。「うちはセコム使ってるぜ!」みたいなことは玄関にステッカー張って泥棒を威嚇するために使うべきであって、自己紹介に書くことではないですからね。
で、調べてみました。
HSP。
すると「Highly Sensitive Person」の略であることが分かりました。直訳すると「かなり繊細な人」ということになります。
あるクリニックのサイトによるとこんなことが書いてありました。
そして思ったことがありました。
あれ?
これ私じゃないか!
私もHSPなので、子供の頃に大変だった
この気質ってなかなか厳しいものがあるんですよね。常に周りの何かを気にし続けて、疲れてしまうことは勿論、気にしすぎていることがコミュニケーションの妨げになることもある。
そして何より、この気質持ってるとなめられるんですよ。
これがねー、一番面倒なんです。
なめられて、嫌な言葉を言われて、傷ついて、コミュニケーションがどんどん億劫になる。億劫になればなるほど態度に出るから猶更なめられる。負のループしか無くて、じゃあどうしたらいいのさ?ってなる。
だから、この気質を今持ってしまったら、周りってどうするんですかね?多分、多分ですけど、「無理するな」って方向に話が進んで、不登校になるんじゃないかなぁ。
だから多分ですけど、今の「頑張らなくていい」っていう文化の中で生きていくと、かつての私が2022年に存在していたら「学校生活が出来ない人」ってことになりそうだなっていうのは感じました。
我が家には例の父が居ましたから、絶対なめられるんじゃないとは言われるんです。でも、父の怖さよりも大事なのが自分の意志だったんです。
なめられないように強く在るというのが必要だとは分かっているんですけど、強く出て揉めたりとか、心無い言葉を更に掛けられるっていうのはもっと嫌なんですよ。だって、HSPたる自分が疲れて傷つく要素しかないんですから。
だから、基本的にはほっとくんですけど、例えば自分に明らかに正義がある場合は強く主張します。正しさって自分を守る防波堤みたいなもんなんですよ。それがあれば何を言われても疲れない。故に「真面目」ということを軸に生きるのが楽だったんです。
そういうこともあって揉めるのもなめられるのも嫌だったけど、肉体を強く鍛えたりとか人を殴って「大貧民」の革命みたいなことを目指したりもしなかった。代わりに学校社会で絶対的に正しい立場になろうとした。
まぁ学校社会の中で正しいふるまいをすることが自分にとってプラスで、それを外れることをわざわざするっていうのが理解できなかったというのもあるんですけどね。
HSPなりに生きていく術を身に付けられたのは良かった
ただね。
いつの間にかこの気質で苦しむことって無くなったんですよね。
今実は「この気質がどこか行っちゃったんですよ」って書いていたんですけど、ふと思い直したら、気質自体はまだ残っているし、未だにデカい声出されたりしたらとても嫌ですし、人の気持ちは気にはなります。
なんで2022年の今、私は普通に社会生活を営んで、家庭があって、友達と仲良く快適に出来るのかな?学生時代はあれほどなめられて、馬鹿にされて、衝突したのに、今そんなの無いんです。
いいのか悪いのか分からないですけど、周りの無理解という中で自分をどう適応させるか?どう環境を選ぶか?人を選ぶか?ということを考えて行動した結果だと思うんですよ。
多分未だに小中学生の頃の同級生に会ったらあの頃のようになめられることになると思います。そして、激しく不愉快になることも間違いないんですよ。まぁ私がそういう態度を取らせるように振る舞っていたから仕方ないんですけどね。
ただ、少なくとも自分がHSPと自分自身を理解できていなかったときに比べるとどう振る舞えばよいかということは理解できているので、まっさらな状態から新しく人間関係を作っていく時は小中学生の同級生みたいな扱いを受けることは無い筈です。
まぁだからと言って、馬鹿にされて、からかわれて、衝突して、心を壊しそうになりながら適応していくという私の時代の克服方法が正しくて、不登校とか選ぶという現代的なやり方が間違っているということを言いたいわけではないんです。
ただ、ちょっと疑問に思うこともあって。
じゃあ、頑張らなくてもいいのだとしたら、どうやってこの気質で生きていく術を身に付けるんだろう、って。
周りから馬鹿にされることが凄く嫌で、でも衝突することも嫌で、私にとっては毎日がHSPとの闘いだったわけです。一つ一つのシーンが全てケーススタディです。
だからね、そう考えると、辛い思いをしなくてもいいのは楽なんですけど、前に進むための方法をつかみ取るという意味ではどう自分を適応させるか?という根本的な問題の解決方法までは見えなくて。
それがあったら最高なんですけどね。
頑張らなくてもこの厄介な気質を克服できれば。
ある意味私の時代って恵まれていたのかもしれません。周囲には良くも悪くもフラットに見られていたので、私のHSPという特徴はからかいの対象になり、そこに適応せざるを得なかったからです。
大変だったし、もうあの頃に戻りたくもないけど、まぁ今こうやって適応できるようになったことは本当に運が良かったし、まぁ頑張ったなぁと思います。
いやーもう出来ないなぁ。全部気になっちゃう、繊細だったあの頃の自分がそれなりに図太く生きられるようになったんですから。
というわけで、いかがでしたか?
HSPという言葉を知らなかった方も、そして今HSPということで大変な想いをされている方も、コメントいただけると嬉しいです。
■Voicyで11/21分を更新しました。
今回の話は、力士の経済事情、投資事情です。こんな切り口で配信するの、多分世の中で私くらいだと思います。
世にも珍しい内容だと思いますので、是非皆様お聴きください!
■次回のStandFM配信日時決定しました
皆様、是非お聴きください!
これは記事読むのとは違う面白さがありますから。
■特報:note公式の「今日の注目記事」に選ばれました
たぶん初めてです。noteを始めたころからとりあえずこれを目指していましたので、5か月でたどり着くことが出来、とりあえず嬉しいようなほっとしたようなという感じです。
その先に何があるかは分かりませんが、とりあえずnoteの編集部に認知され、そして多くの方に読んでいただける機会を頂けたことはありがたいなぁと思いました。
そうそう。
この記事です。
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