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『NEWTYPEの時代』を読んで。

『NEWTYPEの時代』を読んで、個人的に気になった点を抜粋して私見をまとめてみました。

※ちなみに私はニュータイプの時代に全面的に同意です。

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「問題の希少化」を招いたのは構想力の衰え

オールドタイプが「与えられた問題を解く」ことに長けている一方で、ニュータイプはまだ誰も気づいていない問題を見出し、それを社会に向けて提起します。

なぜニュータイプは「誰も気づいていない問題」を見出すことができるのか?については↓のnoteに書いてみました。

(noteより)
問題解決とは「望ましい状態」「現在の状態」に差分があること。つまり「望ましい状態」が定義されていなければ問題解決ができないし、「望ましい」レベルが低ければ、同様に問題意識を持たない。結果、成長意欲があり高みを目指す人ほど問題にたくさん気が付くことができる。

私がどれほど課題意識を持っていたとしても、まわりの他者がそれに気が付かない・自覚しないのは「望ましい状態」が違うのだ、ということに気が付きました。

つまりどうゆうことか?というと、例えば

私:
これからの時代はwithコロナだ。オンラインでいかにクライアントとの関係構築を深め、取引を広げられるかを考えるべき。その方が物理的・金銭的コストもかからないしこちらも都合がいい。

相手:
いや、これまでは対面で会っていたと思うし、そもそもなんでこのスタイルを変えないといけないんだろう。面倒くさい。そもそもクライアントだってWebのリテラシーがないからオンライン商談はできない。

と言った感じ。組織で人が共存する以上は「望ましい状態」が合っていなければならないし、そもそもリーダーが望ましい状態を明瞭に設定しなければならないと思います。それも正しくストレッチされた望ましい状態を。


イノベーションとは「生み出した経済価値の大きさ」×「方法論としての革新性」

世紀の大発明と言われながら結局は一度も黒字化できなかったセグウェイ、あるいは世界初の携帯情報端末として期待されながらも大きな経済価値を生むことのなかったアップルのニュートンは、その典型例と言えます。
一方で任天堂のWii、あるいはアパレルのユニクロは大きな経済的成功をおさめましたが、これがイノベーションかと問われれば、多くの人は首をかしげるでしょう。

起業家になりたい人や、組織にいて大きな変化を起こしたい人が「イノベーションを起こしたい!」と言いますが、イノベーションとは「生み出した経済価値の大きさ」×「方法論としての革新性」の掛け合わせであることを肝に銘じておく必要があります。

儲かるだけ・多くの人に使ってもらえる「だけ」ではダメで、かといって革新的、目新しい「だけ」ではダメ。これはマーケティングも通じていて、汎用品は埋もれてしまうし、特異性だけではモノは売れません。

消費者があったら嬉しくて買いたくなるけど、今はまだ見たことも聞いたこともない商品・サービスを提供することが「イノベーション」である、ということです。

言葉にするのは簡単で、めちゃくちゃ難しいですけど・・・。


モチベーションが経営資源として希少化している

社員意識調査の大手であるギャロップ社によると「仕事に対して前向きに取り組んでいる」と答える従業員は全世界平均で13%しかいません。また、日本のリクルートキャリアによる「働く喜び調査」でも、「働く喜び」を感じていると答えた人は全体の14%となっており、その他の調査も含めてまとめてみれば、およよ8~9割の人は、自分の仕事を「どうでもいい」と考えており、現在の企業では「モチベーション」が経営資源として希少化している、ということを意味します。

一応、私も上場企業の管理職の立場ではありますが「仕事のやりがいがない・気力が湧かない」などの相談は一切受け付けていません(笑)。

なぜなら「自分の機嫌は自分で取る」「モチベーションの管理は自己責任」と考えているからです。自分さえも楽しませられない人が他人の喜びや楽しみをつくることなんてできるはずがありません。

目の前の仕事を「タスク(業務)」と見なし、こなすだけ仕事をしている人はよく上記の悩みに陥ります。「一体私はなにがしたいんだろう」と。そんなときは今一度「働く意味」を考えてみるといいと思います。

なぜ今の会社で働いているんのか?どんな仕事をしたいのか?自分にはどんな価値を他者へ提供できるのか?などなど。

それが答えられなければ、ちょっとマズイと思います。


「ヒト」には可変性がある

「ヒト・モノ・カネ」の3つの経営資源のうち、「ヒト」だけにあって「モノ・カネ」にはない固有の特徴として「可変性」があります。

「モノ」も「カネ」もいったん量が決まってしまえば、それが後で変わることはありませんが、「ヒト」は与えられる「意味」の豊かさによって放出されるエネルギーの量が大きく変わります。

本書にも登場するLCCのPeach Aviationの井上社長は「ピーチは何のために存在する会社なんですか」という質問に対して、よくぞ聞いてくれたとばかりにこのように答えたそうです。

「それは戦争をなくすためですよ、山口さん。

過去には日本とアジアの国々とのあいだで不幸な出来事がありましたね。ああいうことを二度と起こさないために、友達がいろんな国にいるという状態にしたいんです。そのためには若いうちからどんどん海外に出て、いろんな文化に触れ、たくさんの人と知り合ってほしい。ではどうするか?財布の軽い若い人でも乗れて、いろんな国に行ける、そういう航空会社が必要なんです。ピーチはそれをやるんです。」

お恥ずかしながら、ピーチがこれほどまで明確な意味を持った企業であることを知りませんでした。

こんなにわかりやすい意味があるからこそ「コストを下げる意味・路線数を増やす意味」がはじめて腹落ちするんだと思います。そうすることで「ヒト」のパフォーマンスが大きく可変します。

「手段の目的化→つまらない仕事が蔓延→モチベーション低下」と言うクソサイクルを生み出さないためにも「意味」を持たせる経営により、ヒトの力を最大化する、ということがこれからの経営により求められることではないかと思います。


「意味がある」市場では多様化が進む

コンビニエンスストアにおいて、1品目で200種類以上取り揃えられている商品があるのですが、なんだかわかりますか?

タバコです。ハサミやホチキスは1種類しか置かれていない一方で、タバコは200種類以上置かれている。なぜそういうことが起きるのかというと、タバコは「役に立たないけど、意味がある」からです。ある銘柄が持つ固有のスト―リーや意味は他の銘柄では代替できません。

山口周さんがよく仰っている「役に立つより意味がある」の典型例だと思います。

機能的訴求だけを追求したらそれ以上に機能がよいプロダクトが出てきたとき、すぐにリプレイスされてしまいます。そうではなく「これじゃないといけない」「他に替えがきかない」と思える商品・サービスは市場からなくなることはないんだと思います(バイクやスポーツカーがその典型)。

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ヒトも全く一緒だと思っていて「パソコンのことならなんでも知っているAさん」や「とにかくメールの返信スピードが速いBさん」はそれ以上のスキルを持った人が現れた途端、二番手となります。

そうではなく「この人に聞いたら独自性のある回答が聞ける」「〇〇さんの意見が聞きたい」と期待される人は替えがきかないため、市場から淘汰されることはありません。


アポロ計画・グーグルに共通するビジョンのシンプルさ

アポロ計画
What:1960年代に人類を月に立たせる
Why:現在の人類が挑戦しうるミッションの中で最も困難なものであり、であるがゆえにこの計画の遂行によってアメリカおよび人類にとっての新しい知識と発展が得られる
How:民間/政府を問わず、領域横断的にアメリカの科学技術と頭脳を総動員して最高レベルの人材、機材、体制をととのえる

グーグル
What:世界中の情報を整理し、誰もがアクセスできるようにする
Why:情報の格差は民主主義を危うくするものであり、根絶しなければならない
How:世界中から最高度の頭脳をもつユニークなタレントを集め、コンピュータとWebの力を最大限に活用する

ここで注目すべきは「Why」の部分だと思っています。Whyは組織・会社が存続する理由とも言い換えられます。

アポロは「人類史上最も困難なミッションだから」、グーグルは「民主主義を存続させるため」、どちらも壮大なテーマです。でも会社が実現できるかわからないけど、夢のある、単純にワクワクするWhyを掲げている会社の人たちは輝いているように思えます。

会社は往々にしてHowがビジョンになりがちです。これは手段の目的化と同じ(KPIのKGI化)。各組織で部分最適だけが研ぎ澄まされ、結果誰も全体最適の目を持てず、責任も持たず、事業として死んでいく。

そうではなくて、立ち返る原点(=Why)が必要なのだと常々思っています。


なぜ好奇心が課題意識に勝つのか

「内発的モチベーションを持った人が、上司の命令で動く人と戦えば、前者が勝つ公算が強い」ということです。

企業が保有する経営資源の中で、可変性が最も高いのが「人」という資源だという指摘はすでにしました。つまり、ここに同じ潜在能力を持った2人がいたとして、内発的動機で駆動されているニュータイプと、上司からの命令で駆動しているオールドタイプを比較すれば、前者が後者よりも高いパフォーマンスを発揮する公算が強い、ということです。

私個人的に、仕事ができる人とそうでない人の違いは「内発的モチベーションの有無」だと思っています。

つまり、自分で意味・意義をつくれるかどうか、です。言われたことを言われた通りやろう、という人がいかに精度高く、スピード感を持って仕事をしても好奇心を持ったニュータイプには敵うはずがない。

なぜなら内発的モチベーションのある人は自ら課題意識を持ち、与えられた仕事以上をこなし(そもそも仕事を与えられている、という認識がない)、結果的に大きなパフォーマンスを出すことができると思います。

だから、「努力」は「夢中」には勝てないんです。


多くの人・企業は「始められない」のではなくて「やめられない」

なぜ、多くの企業は「試す」ことができないのでしょうか。よく聞かれるのは「リスクを取れないから」という理由ですが、では、さらに突っ込んで「なぜリスクを取れないのか」という論点を深く掘ると、そこに「撤退が下手」という要因が浮かび上がってきます。

多くの企業・人は「変化の時代においてはチャレンジが大事だ」と言われれば、それはその通りだ、と同意するはずです。しかし、実際のところはなかなかチャレンジできず、ズルズルと従前の取り組みを続けたまま、無為に時間を過ごしてしまう人が多い。理由はシンプルで、そのような人は「始められない」のではなくて「やめられない」のです。

なぜ人はやめられないのか?というと、これまで積み上げてきたものをリセットしたくないんだろうなぁと思います。

そしてまた新しく積み上げることへの不安と天秤にかけて、結果「まぁいつかやろう」と考え、日々を過ごしてしまうんだろうと思います。

これは組織に落とし込むと↓のようなイメージになります。

やらないこと決めるのが戦略。捨てることのできないリーダーに戦略はつくれない。


リベラルアーツは「自由になるための技術」

目の前の世界において常識として通用して誰もが疑問を感じることなく信じ切っている前提や枠組みを、一度引いた立場で相対化してみる、つまり「問う・疑う」ための技術がリベラルアーツの真髄ということになります。

リベラルアーツとはなにか?については以下の動画がとてもわかりやすかったので、貼っておきます(桜美林大学すてき)。

リベラルアーツとは

社会のありとあらゆる問題にさまざまな角度から立ち向かうことができる、
それがリベラルアーツの「学び」です。

複雑化した現代社会では、ある特定分野の専門的な知識が求められる一方で、幅広い知識を身につけ、異なる考え方やアプローチ方法が理解できるような総合力が必要とされています。リベラルアーツはさまざまな学問領域を自由にそして積極的に学ぶことで、実社会で活躍し豊かな人生を送ることができる総合力のある人間の育成を目標としています。

山口周さんはこうも言っています。

しかし一方で、すべての「当たり前」について疑っていたら日常生活は成り立ちません。どうして信号は青がススメで赤がトマレなのか、どうしてサヨナラのときには頭ではなく手を振るのか・・・いちいちこんなことを考えていれば日常生活は破綻してしまうでしょう。

常識を疑うのはとてもコストがかかる、ということです。一方で、目の前の常識について問い、疑うことをやめてしまえば未来を構想することはできません。

結論から言えば、このパラドックスを解くカギは1つしかありません。つまり、重要なのは、よく言われるような、のべつまくなしに「常識を疑う」という態度ではなく、「見送っていい常識」と「疑う常識」を見極める選球眼を持つ、ということです。そしてこの選球眼を与えてくれるのがまさにリベラルアーツということになります。

よく常識を疑え!と言われますが「一体何を疑えばいいんだ・・・」と途方に暮れることもあるかと思います。

山口周さんは「リベラルアーツ」を選球眼の軸に据えた方がいい、としています。

リベラルアーツとは以下のような様々なジャンルの学問があるため、これらの学びを深めることで「常識を疑うセンサー」が研ぎ澄まされるはずです。
(桜美林大学さんサイトより抜粋させてもらいました)

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私個人としてはマーケティングという観点から常識を疑うようにしています。マーケティングとは利益を出す仕組みをつくることですが、突き詰めて考えると「消費者のことを知る」こと。

もし企業が消費者にとって有益にならなそうな商品・サービスを開発・販売しているのだとしたら「常識センサー」が働くようになります。「これは果たして消費者のためになるのか?」と。

学問は知識や教養のためではなく、常識を疑い、新しい価値をつくるためのセンサーを持っておく、と考えればとても有意義なものだと思っています。


ニュータイプはオピニオンとエグジットを用いる

ニュータイプはおかしいと思うことにはオピニオンを出して反論し、受け入れられないことが度重なれば組織をエグジットします。このような行動様式は確かに一時的には不利益をこうむることにつながることが往々にしてありますが、中長期的に見れば利益の方が大きいということをニュータイプは知っているからです。
たとえば、自分が所属している組織が自分の価値観に照らして許容できないことをやろうとしているというとき、本人は大きなストレスを抱えることになります。このストレスを解消するためには、組織に変わってもらうか、自分を変えるかの、2つしかありません。

このとき、多くの人は「自分を変える」といオプションを取ってしまうわけですが、そんなことをし続けていればやがて思考力は衰退し、倫理観は麻痺し、最終的には自分自身がオールドタイプに堕することになります。

これはすべてのサラリーマンが抱えるジレンマだと思います。多くの人は会社に所属しているため、ジレンマを抱えながらも「自分を変えながら」組織内での調和を目指すんだと思います。

しかし本当に自分を貫き通したいのなら、自分の理想を追求するために転職するか・独立するしかありません。でも最近は転職しても「本当の理想」に出会うことなどできず、結局はどこかで折り合いをつけなければならないんだと感じるようになりました。

だから、オピニオンとエグジットした先に待つのは独立かな、と思っています。



もう6,500文字くらい打っているためかなり疲れてきたのでここらで終わりにしようと思います。

私自身も思考力を高め、自分の道徳観・倫理観を持ち、ニュータイプで在り続けるための努力を怠らないようにしたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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