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気分、波、そして鼓動。

「人の波」という言葉を聞いて何を思い浮かべるでしょうか。やや抽象的な表現ですが、行間の埋め方や、イメージする物事や出来事によって広がりがある言葉。何かの「言葉」がタネとなり、自由に連想が広がってゆく楽しみがあります。

多くの人が集まり、集まった人達が、一定の間隔を保ちつつ一斉にどこかに向かって移動している様子でしょうか。「人の波」は「人の群れ」と言い換えることができますが、人が波を形成しています。

他にはどうでしょうか。

人それぞれ、少なからず「気分の波」があります。

もちろん「気分の波はほとんどない」という方もいると思いますが、一日の中で朝起きてから寝るまでの間を振り返ってみると、気分がノッてくる、明るくなる、エネルギッシュになる時間帯もあれば、気乗りしない、気分が沈みがち、やる気が出ない時間帯もあるかもしれません。

そうした気分の波は「時間帯」だけでなく、何を食べたか、どんな天気か、睡眠時間は十分か、体調はどうか、適度な運動をしたか、など様々な要素に左右されていて、自分で波を変えるような働きかけができるものです。

波の波たる特徴は「周期」「リズム」にあるように思います。

波はずっと上り調子ではなく、上がる時もあれば下がる時もある。下がる波は望ましくないということではなく、「上がる・下がる」を「興奮と抑制」と捉えれば、それぞれに固有の意味を見出すことができるはずです。

抑制・沈静化する時間帯があるからこそ、また次の波に乗ることができる。こうした「静かな時間、波が引いてゆく時間をいかに充実させていくか」という問いが大切なように思います。

日常の中の様々な波が見えるようになると、あるいは何かの鼓動が聞こえてくると、世界がより新鮮で躍動的に感じられてくるのかもしれません。

タイミングは重要ではない。タイミングこそすべてなのだ。 
                       ーマイルス・デイヴィス

ダニエル・ピンク『When 完璧なタイミングを科学する』

なぜ始まりがー素早いスタートであれ誤ったスタートであれーこれほど重要なのか? なぜわたしたちは途中でープロジェクトやゲーム、人生の途中でさえもーときに意欲を失い、またときに奮起したりするのだろうか? 物事の終わりを迎えようとするとき、なぜわたしたちは終着点にたどりつこうとしてさらに頑張るのか、あるいはペースを落として意味を見つけようとするのだろうか? ソフトウェアの設計であれ合唱であれ、どのようにして他者とタイミングを合わせるのか? 学習を妨げる時間割がある一方で、なぜある種の休憩時間が生徒のテスト結果を向上させるのだろうか?過去について考えたときと、未来について考えたときとでは、人のふるまいが変わるのはなぜだろうか?

ダニエル・ピンク『When 完璧なタイミングを科学する』

メイシーとゴールダーは、人々の覚醒中に驚くほど一貫性のあるパターンが存在することを発見し、高名な『サイエンス』誌にその結果を発表した。(中略)「時間が影響を与えるパターンは、異質な文化でも地理的に離れた場所でも、同じように現れた」と2人は発表した。(中略)大陸も時差も関係なく、潮の満ち引きが規則的にくり返されるように、1日における変動ーピーク、谷、回復ーは同じだった。(ポジティブな気分は午前中に高まり、午後に落ち込み、夕方に再び高まる)

ダニエル・ピンク『When 完璧なタイミングを科学する』


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