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自分だけでは終わらせない、究極の外注方式。

自分で、自分に言い聞かせる瞬間、けっこうあるよね。

ダメだろ、自分、絶対そっち行くな、とか。。。
あきらめちゃ、ダメ、ここで踏ん張れ、とか。。。
はーぁ。。。自分、いったい、なにやってんだよ、とか。。。

今日の聖書の言葉。

主に申し上げよ 「わたしの避けどころ、砦 わたしの神、依り頼む方」と。
詩編 91:2 新共同訳

自分で自分に言い聞かせて自分だけで解決する、という方法は、小さな自分の中だけで完結しようとするわけだから、簡単に行き詰まっちゃう。

だって、有限なリゾースだからね、自分は。

だから、超越的な次元が絶対必要、と思うのだ。

主に申し上げよ
わたしの避けどころ、砦
わたしの神、依り頼む方

自分で自分に言い聞かせることは、もちろん必要。

だけど、それだけじゃなく、神に話す、神に向かって言っていく、神に対して訴える姿勢、あるいは、心の習慣。いつも、つねに、いかなるときも、どんな問題についても、神のもとに持って行く、っていう決然とした姿勢。

これだと、問題は、自分と神と世界で構成された無限のリゾースに向かって放り上げられて行くわけだから、理論上、絶対に行き詰まることがないよね。だって、無限なので、「この問題」に対応する「この解決」が、かならず存在しているわけだから。

私たちが願うことは何でも神が聞いてくださると分かるなら、私たちは、神に願い求めたことをすでに手にしていると分かります。
ヨハネの手紙第一 5:14 新改訳2017

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