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ゆだねたことは、忘れよう、っていう話です。
自分は気が短い方なので、思い立ったらすぐ何かやらないと気が済まないし、やったら結果が見えないと満足できないタイプなんだけど。。。
でも、何かをやろうにもいろいろ制限されて、やったとしても結果が目に見えないという、コロナ禍以降の「絶対的不確実性の時代」に突入してしまっている。
そういうふうになってみると、あー、やっぱり、気が短いのは全然ダメだなー、という思いが強くなるばかりだ。あくまで個人の感想です。
今日の聖書の言葉。
主に自らをゆだねよ 主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
詩編 37:4 新共同訳
じゃあ、気を長くして待つとして、どれぐらいのスパンで待てばいいんだろう? っていうことを当然考えるわけだけど。。。
いつだったかなー。。。3歳児がぐずっていて、ほとほと困りかねていたママに、アドバイザーが言った言葉が衝撃的だった。
なんて言ったかというと、「だいじょうぶですよ、お子さんが35歳ぐらいになれば全然問題ありませんから、気にすることありません」だって。。。
いや、そりゃそうだけど、あまりに極論じゃね? って思ってしまった。
でもねー。。。
いろんなことをそれぐらい長いスパンで考えられたら、ほとんどの事柄は自然に解決してしまうのかもしれないね。
問題は、そこまで気を長くして待つことが自分に可能か? ってことだ。
これがなかなか難しいよね。最近も、あるプロジェクトにケチがついてポシャってしまったんだけどさ。。。
あきらめないで、あと10年待てば、いや、5年待てば、再チャレンジできるんじゃないかなー、って妄想を膨らませている。
でも、5年、10年と、思いを保ち続けるって、なかなかハードだよね。思いが続かなくなったら、そこで途切れてしまうわけだし。。。
その思いを何年だろうと持続させられる自信は、残念ながら自分には無い。
でも、自分はクリスチャンなので、思いを神にゆだねる、っていう裏技が与えられている。これは感謝なことだ。
主に自らをゆだねよ
主はあなたの心の願いをかなえてくださる
「神」は永遠・普遍・無限・絶対・遍在・全能・全知という属性を持つわけだから、長期記憶保持者として宇宙随一なんじゃないかと思う。
いや。神には、ほかに並び得るライバルが存在しないことを考えれば、比較対象を絶つという意味で文字通り「絶対」の長期記憶保持者だよね。
その神に、自分の思いを、ゆだねる。
すると神はそれを受け取って、神のココロに入れてくれる。
もし神にゆだねた思いを自分が忘れ去ることがあったとしても、神は永遠に覚えている。なにせ神だからね。。。
そして、神の時が来たときに、神の力で、神のココロにあるそれを実現してくれるんだ。
反対されたこと。つぶされたこと。ひっくりかえされたこと。。。たくさんあり過ぎて、大半はもう自分の記憶から抜けてしまった。きっと、覚えているとツライから、自分から進んで忘れたのかもしれない。
でも、自分の思いを神にゆだねたならば、それは5年たっても、10年たっても、100年、1000年、1万年たっても、消え去らないはずだ。
だって、自分の思いは、いま、神のココロに収められているんだから。
だから、祈ろう。何度でも祈って、そして、ゆだねよう。もし自分が忘れてしまうことがあっても、気にしない。忘れれば忘れるほど、永遠の時において起こるサプライズがどんどん大きくなって行くはずだから。
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