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ママ。。。やっぱりママがいい。。。
ママの存在って、ほんと、大きい。
小さな子は、家に帰るとすぐ「ママどこ?」って言うし。
その子が20歳ぐらいになっても、やっぱり家に帰ると「ママは?」だものね。
人類が20世紀に経験した悲惨な二度の大戦では、どの国のどの人種の兵士たちも最後の言葉は「ママ。。。」だった、と言われている。
今日の聖書の言葉。
母がその子を慰めるように わたしはあなたたちを慰める。 エルサレムであなたたちは慰めを受ける。
イザヤ書 66:13 新共同訳
イスラエル・ユダヤの民にとってのビッグママ。それがエルサレムだ。
神殿と町が一体になったエルサレムは、イスラエル・ユダヤの民の精神生活の中心であったわけだけど、エルサレムのビッグさは「母としての包容力」を歌った次の詩編によく表れている。
「わたしはラハブとバビロンの名を
わたしを知る者の名と共に挙げよう。
見よ、ペリシテ、ティルス、クシュをも
この都で生まれた、と書こう。
シオンについて、人々は言うであろう
この人もかの人もこの都で生まれた、と。」
いと高き神御自身がこれを固く定められる。
主は諸国の民を数え、書き記される
この都で生まれた者、と。
歌う者も踊る者も共に言う
「わたしの源はすべてあなたの中にある」と。
詩編 87:4-7 新共同訳
ここに挙げられているラハブ、バビロン、ペリシテ、ティルス、クシュは、いずれも邪悪な怪獣、悪の帝国、仇敵、宿敵ばかり。
あろうことか、神はそれらすべてをエルサレムで生まれた者として数え入れ、神の寵愛を受ける民として扱う、とこの詩編は宣言している。
だから、彼らはみんな喜び、踊り、イスラエル・ユダヤの民と一緒になって、こう歌うというのだ。
母なる都、エルサレムよ
わたしの源はすべてあなたの中にある
神の言葉は一片たりとも地に落ちない、とされているけど、この一見すると「普遍救済説」のように思える詩編は、どう解釈したらいいのだろう。なぜなら、キリスト教では、普遍救済説はごく一部の神学者しか信奉しない少数説だからだ。
邪悪な怪獣、悪の帝国、仇敵、宿敵が、いったいどいういうプロセスを経て、神の民のなかに数え入れられ、母なる都の愛の抱擁を受けるようになるのか。。。これは、現時点ではわたしたちの目には隠されており、これから到来しようとする未来の歴史の秘密ということになる。
「ママ。。。」と言いながら絶命して行った、世界のあらゆる国、あらゆる人種、あらゆる出自の兵士たち。そして、兵士ではなかったけれど、悲しい死を遂げた人たち。。。いつかやがて、彼らがすべてよみがえって、ビッグママであるエルサレムの、ひとを分け隔てしない愛の抱擁を受けて、その涙がぬぐわれる時が、来るのだろうか?
この壮大な母のビジョンを新約聖書は引き継いで、こう表現している *。
わたしは、聖なる都、新しいエルサレムが
夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて
神のもとを離れ、天から下って来るのを見た
神は自ら人と共にいて
その神となり
彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる
もはや死はなく、もはや悲しみも
嘆きも労苦もない
最初のものは過ぎ去ったからである
註)
* Cf. 黙示録 21:2-4
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