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呪っては、いけません、ゆだねるのです。

敵と思っているひとから敵対行為を受けた時は、ある意味、冷静に対応できるよね。だって。。。敵だから(笑)

パニックになるのは、理解者と思っていたひとが、わけもわからず突然、敵に回って来たとき。。。

詩人王ダビデは、そういう状況に立たされた心の苦しさを詩編55編で吐露している。

わたしを嘲る者が敵であれば
それに耐えもしよう。
わたしを憎む者が
尊大にふるまうのであれば
彼を避けて隠れもしよう。
だが、それはお前なのだ。
わたしと同じ人間、わたしの友、
知り合った仲。
楽しく、親しく交わり
神殿の群衆の中を共に
行き来したものだった。
詩編 55:13-15 新共同訳

楽しく親しく交わっていた友人知人。それが敵に回る。。。

信じていたのに。。。だからこそ、怒り100倍、いや、1000倍。。。

なので、ダビデはこうつぶやくんだ。「死ねばいいのに」

死に襲われるがよい
生きながら陰府に下ればよい
住まいに、胸に、悪を蓄えている者は
詩編 55:16 新共同訳

いやー。それはクリスチャンとしてはダメだよね。まちがっても「死ねばいいのに」なんて思っちゃダメ。

イエスも言ってる。敵を愛し、迫害する者のために祈れって *。愛は敵に勝ち、死に打ち勝つということを、十字架と復活をとおして身をもってイエスは見せてくれたし。

でも、イエス到来の1000年前に生きたダビデ王に、そのレベルの信仰姿勢を要求するのは難しいかもしれない。だから自分の気持ちに正直にダビデは言っちゃう。「死ねばいいのに」

今日の聖書の言葉。

あなたの重荷を主にゆだねよ
主はあなたを支えてくださる。
主は従う者を支え
とこしえに動揺しないように
計らってくださる。
詩編 55:23 新共同訳

「死ねばいいのに」と言ってたはずのダビデも、ついには自分の苦しい心を神にゆだねようとする。同じ詩編55編のなかでの、この急展開。

あなたの重荷を主にゆだねよ

重荷を抱えてちゃダメ。神にゆだねるんだ。絶対に大丈夫。神は支えてくれるはず。神は自分が動揺しないように永遠に支えてくれるから。だから、ゆだねよう、ゆだねるんだ、って。。。

重荷を神にゆだねて、平安を得られました! でこの詩編が完結していれば、実にこれは1000年後のイエスの福音に踏み込んだはずだったんだけど。。。

しかし、残念ながら「ゆだねよう」と言った直後、ダビデはこう結ぶんだ。

神よ、あなた御自身で
滅びの穴に追い落としてください
欺く者、流血の罪を犯す者を。
彼らが人生の半ばにも
達しませんように。
詩編 55:24 新共同訳

って、ちっとも、ゆだねてないじゃん!(笑)

イエスの十字架と復活によって、怨嗟と呪詛の人生からわれわれは解放されることができる。イエスから1000年前を生きたダビデは、その解放の福音を、はるか遠くに仰ぎ見て待ち焦がれていたはずなんだ。

ひるがえって自分はどうだろう? イエスの十字架と復活から2000年後に生きる自分は、ダビデに比べて素晴らしいアドバンテージを与えられている。だって、もう「解放」を手にしているんだもん。

だから、自分の心が旧約聖書に記された「呪いの詩編」に逆戻りするようなことがあっちゃダメだよね。。。と、自分で自分に言い聞かせながら今日もやってみる。ゆだねよう、ゆだねよう、心の重荷を、ゆだねてみよう。。。

註)
*  Cf. マタイ 5:44, ルカ 23:34

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