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低空飛行の土曜の朝に、仮想的な全能感について考える。。。
自分がおごり高ぶっているときって、ぜんぜん自分には自覚できない。
でも、他人の目には、すぐわかる。
そのわかりかたは、見た目、ぱっとわかっちゃう感じ。
高ぶらないためには、自分を客観的に見つめて、自分の短所や欠点を理解して、自分の弱さを受け容れて、その上で、他人の短所・欠点・弱さを理解し同情し、広いこころでぜーんぶ受け入れる、という謙虚さが必要。。。
なんだけど、これが、ほんと、絶望的に難しい。
今日の聖書の言葉。
あなたの僕を驕りから引き離し 支配されないようにしてください。 そうすれば、重い背きの罪から清められ わたしは完全になるでしょう。
詩編 19:14 新共同訳
おごり高ぶっているときの脳って、ドーパミン出まくりなんだろうね。
謎の脳汁が作り出す仮想的な全能感。それは単なる化学反応に過ぎないわけだけど、とっても気持ちよくて、それゆえに中毒性があり、人間を支配してしまうのだと思う。
あなたの僕を驕りから引き離し 支配されないようにしてください
創世記に、族長のヤコブが危機的状況に追い込まれて、「ヤボクの渡し」という場所で、祈りのうちに神と格闘するシーンがある。ヤコブは一晩中祈って、祈って、祈り抜いて、ついに神の好意を獲得するに至るんだけど、その瞬間、神はヤコブの腰に触れ、「ギクッ」って、ぎっくり腰状態にさせた。
だから、ヤコブは痛くて、痛くて、足を引きずって歩かなければならなかった *。
世俗的なことがらにおいて、仮想的な全能感を経験することがあるけれど、スピリチュアルなことがらでも、仮想的な全能感を経験することが、あるよね。すっごい祈りに集中できて、神との一体感を味わって、霊的な高嶺に引き上げられて、あー、自分、最高レベルのクリスチャンになったんじゃね? って思ってしまうような、そういう瞬間。
カテゴリー的には、これもまた、高ぶり、なんだと思う。
自分の経験上、霊的な高嶺を経験した直後には、「えー、なんで、どうしてこんなことが!」と嘆くようなハプニングが起きて、急転直下、地の底に落とされる気分を味あわされることが、多い。
そういうときは、全能感の夢から強制的に目覚めさせられて、自分が無力な人間に過ぎないことを、思い知る。
もしかしたら、神さまはヤコブの腰を打つみたいに、「ギクッ」って、やってくださるのかもしれないね。座禅の警策みたいに。
というわけで、雨曇りの土曜の朝。ちょっと抑うつ気味で、脳からドーパミンが一滴も出ないような低空飛行の気分ではあるけれど、それはそれで神さまに感謝しよう。そして、無力な人間であることを自覚しながら、「ハリストスの祈り」を、祈ろう。
主イエス・キリスト、神の子、救い主
罪人のわたしを、あわれんでください
註)
* Cf. 創世記 32:24-31
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