見出し画像

ウィズコロナ時代の信仰②

ウィズコロナ時代。多くの不安をこころに覚えますね。わたしたちは、どんな信仰をもって、この時代を生きていったらよいでしょうか? 新約聖書のエフェソの信徒への手紙の第1章から、ヒントを得たいと思います。


画像1

わたしたちは、この地上で、有限のリソースを使って、生活していますよね。ご飯をおなかいっぱい食べたくても、米びつがカラになったら、食べられません。。。地上のリソースは、使えば、なくなります。でも、天国には、無限のリソースが、あなたに備えられている、と聖書は言うのです。神は、あなたに「天のあらゆる霊的な祝福」を用意して、待っておられます!


画像2

有限のリソースにアクセスしながらアクセクして生きている、わたしたち。人生の主人公は、いつでも「わたし」だけ。すべて自己責任というかけ声が響く世界で、わたしたちは、疲れをおぼえてしまいます。しかし聖書は、あなたの人生を創始したのは「神」だ、と言うのです。いつから? 昭和? 平成? いいえ、そうではありません。。。なんと、天地創造のはるか前から、神はあなたを愛し、神があなたを選び、神があなたを創造し、神があなたをみちびいて来られた、と言うのです。そこでは、主語は、いつも「神」なのです。どうか、人生のギアをシフトチェンジしてください! 主語は「私」の人生から、主語はいつも永遠に「神」の人生へ。。。


画像3

ところで、天地創造のはるか前、なぜ神は、あなたを選んだのでしょう? それは、神が、神として、神の自由な主権を行使して、あなたを選んだのです。これが神の自由な選びです。なぜかって? なぜなら、神は神だから。。。ちょっと、待ってよ、おかしいでしょ、こんなダメダメなわたしが、こんな罪人のわたしが、こんな酷い人間のわたしが、なんで選ばれるの?などと心配する必要はありません。わたしたちがするべき、ただひとつのこと。それは、心配することではなく、神の主権的な選びに、自分をまったくゆだねることです。ゆだねて、安心してください。


画像4

神の愛に、自分をゆだねたならば、あとは、わたしたちにできることは、神に感謝し、神をたたえ、神を賛美することです。こうして、わたしたちの人生の最大の目的は「神を賛美すること」となるのです。生きるのは、神を賛美するため。ごはんを食べるのは、神を賛美するため。はたらくのは、神を賛美するため。眠るのは、神を賛美するため。なにもしないで家にじっとしているのは、神を賛美するため。死ぬのは、神を賛美するため。そして、天国で、わたしたちは永遠に神を賛美するのです。


画像5

神を賛美すべき、最大の理由は、なんでしょうか? それは、贖い・ゆるし・恵み、のゆえに、です。神は、わたしたちの罪を、イエス・キリストにおいて処断することによって、わたしたちの罪をゆるしてくださいました。それが、贖いです。このゆるしは、神からわたしたちに一方的に、恵みとして、無償であたえられます。ですから、わたしたちは、ただ、それを受け取りさえすればよいのです。わたしたちが神を賛美すべき理由。それが、贖い・ゆるし・恵み、です。


画像6

贖い・ゆるし・恵み、のゆえに、神を賛美しながら生きる、わたしたち。そのわたしたちは、いま、ウィズコロナ時代に直面しています。しかし、聖書は言います。すべては、神の「秘められた計画」のなかで、用意されていたことだ。そして、わたしたちは、いつの日か、秘められた計画を理解することができるようになる、というのです。その結果、わたしたちは、さらに神を賛美することになるでしょう。「そうだったのか! あのときは、理解できなかったけれど、それは、善をもたらすために、必要だったんだ!」と。


画像7

神の、秘められた計画が、成就する日。それが、わたしたちと世界とが目指している、最終目的地です。その日、天にあるものも、地にあるものも、すべてが、キリストにあって、ひとつとされます。そして、神の永遠の愛のうちに抱擁されるのです。神のふところのなかでは、もはや、敵意や争い、憎しみや分裂は、ありません。すべてがキリストにあって、ひとつとされる「完成の日」に向かって、わたしたちは一歩、一歩、確実に進んでいます。昨日よりは今日、今日よりは明日。それは、後退することはないのです。


画像8

キリストにあって万物がひとつとされる日。その日、わたしたちは、神が用意されている、あらゆる祝福を、すべて相続します。わたしたちが相続するものは、2つあります。わたしたちは、神のすべてを享受します。神ご自身を、わたしたちは受け取るのです。その上で、神がわたしたちにあたえてくださるすべての祝福を享受するのです。その日、わたしたちは完全に満たされ、あらゆる欲求から解放され、ただ、神の愛のうちに満ち足ります。


画像9

わたしたちが、祝福を相続する日が来るまで、わたしたちは、空の手で、この地上で、待ち続けなければならないのでしょうか? そうではありません。祝福を相続するに先立って、あなたには保証として「聖霊」があたえられているのです。きょう、いま、この日、信じるあなたの心に、聖霊が宿ってくださいます。聖霊は保証書であり、同時に、保証人です。すべての祝福を、あなたが確実に相続できるよう、聖霊が保証してくださいます。

ですから、聖霊にみたされて、神を賛美しながら、神の秘められた計画のうちを、今日も一歩、一歩、前進しましょう。完成の日、わたしたちがすべての祝福を相続する日、神ご自身のすべてをわたしたちが享受する、その日を、めざして!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?