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孤独だなあ。。。でも、奇跡は起きる、っていう話です。

孤独だなあ、という感じは、どこから来るんだろうね?

この世界には、自分と他者がいるわけで。。。

他者に向き合うと、ああ、やっぱり、自分は他者を理解できないし、他者も自分を理解できない、という現実を知ることになり。。。

当然、自分は他者には、なれないし、他者も自分には、なれない。

そうであるにもかかわらず、「自分は他者ではない」という事実のゆえに、自分は自分である、という存在の基盤が、存在しているわけで。。。

それはつまり、他者が自分を規定する力になっている、っていうことであり。。。

で、オソロシイことに、自分を規定する力は、いつも自分の外部にある、というわけではなくって。。。

自分を規定しようとして来る「他者」の力は、自分のうちに物心ついた時から内面化されていて、それが良心とか規範意識とか法感覚なんだろうと思うんだけど、自分はそれによってギュウギュウ圧迫されてるみたいに感じるんだ。

圧迫されてるその感覚というのは。。。

自分のなかに、自分のお面を付けた他者がいて、自分はその「他者」を理解できないし、その「他者」も自分を理解できない、っていう。。。

自分が自分を理解できないので、自分が自分じゃないみたいに感じる。。。

こうして、孤独が完成。。。

その状態は、平安がない、というふうに描写することができる。

今日の聖書の言葉。

山が移り、丘が揺らぐこともあろう。
しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず
わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと
あなたを憐れむ主は言われる。
イザヤ書 54:10 新共同訳

他者のなかの他者。他者の王様。他者の最頂点に立つ他者。異次元レベルの他者。絶対他者である「神」が、自分に対して言う。。。

わたしの慈しみはあなたから移らず
わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはない

絶対他者が平和を保証してくれる、と言うのだから、その約束は絶対的なものだろうね。

いや、いや、いや。。。この相対的な世界で、絶対的に保証された平和なんて、あるわけないじゃん、って、どうしても思ってしまうんだけれど。。。

相対的な世界。。。自分と他者がいて、お互いがお互いを比較考量する世界にあっては、どうしても目は、自分と他者の「違い」に向いてしまう。

そして、自分と他者の「違い」が目につけばつくほど、孤独感も深まって行く。。。

そもそも、世界とは、相対的な世界なんだから、それはつまり、生きているかぎり「違い」から逃れるすべは、ない、ってことだよね。

そんな現実のなかで、神はいったい、どうやって、絶対的な平和を保証するんだろう?

今日の聖書の言葉の前段で「神」は、こう言っている。

喜び歌え、不妊の女、子を産まなかった女よ
歓声をあげ、喜び歌え
産みの苦しみをしたことのない女よ
夫に捨てられた女の子供らは
夫ある女の子供らよりも数多くなると
主は言われる

見よ。この完全なる「違い」の完全なる解消。

でも、こんなこと、この世界で絶対に起きるわけ、ないじゃん?

にもかかわらず、神は、世界を超えるビジョンを提示して、神は神だから、必ずそうする、と、われわれに約束しているんだ。

この超越的なビジョンには、もろもろの超越的なビジョンがくっついて、ずるずると出て来ることになる。

ほかにどういう超越的ビジョンがあるか、って言うと。。。

「神」は、父・子・聖霊であり、神は神の在り方のなかに他者を包含しながら、しかも、永遠かつ完全に一致している、というビジョン(三位一体)

「神」は、ユダヤのベツレヘムの馬小屋の飼い葉おけのワラの上に赤ん坊となって降り立つことによって、絶対他者が相対化された、というビジョン(クリスマス)

じゃあ、どこまで神は相対化されたか、って言うと、「神」が死ぬという、限界の限界を超えた地点まで相対化された、というビジョン(十字架)

それらのビジョンを受け入れた人間は、キリストと共に死に、キリストと共に復活し、キリストに結合されて、自己と他者が融通する、というビジョン(復活)

自己と他者がどういうふうに融通するか、っていう証拠聖句が、これ。

生きているのは、もはやわたしではありません
 キリストがわたしの内に生きておられるのです
 *

さらに、神は、世界のなかに「キリストのからだ」を出現させて、そのなかに、すべての自己と他者を包含し、永遠かつ完全に一致させる、というビジョン(教会)**

まあ、これらはいずれも超越的なビジョンであるわけだから、普通に常識的に考えれば、そういうことはこの世界では絶対に起きそうにないのであって。。。

だから、それらは、奇跡と呼ばれる。

註)
*  Cf. ガラテヤ 2:22
**  Cf. エフェソ 1:10, 23

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