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雪のように白い衣にあこがれながら、永遠のユートピアを夢見る。

ユートピア(理想郷)かと思ったらディストピア(悪夢郷)だった、というSF小説のジャンルがある。

最初にバラ色の幸福な世界をバーンと見せておいて、ジワジワ闇の底に落として来るあの絶望感。スゴイよね。

栗本薫の『レダ』という作品もそのひとつだ。市民が属性ごとのコミュニティに棲み分けることで、計算し尽くされた完全調和を実現した未来社会。なのに、それでも幸福になれない人間の悲しさを描いてる。

今日の聖書の言葉。

この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、 大声でこう叫んだ。
「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。」
ヨハネの黙示録 7:9-10 新共同訳

自分の属性への強力なこだわり、愛着。それは、属性が自分のアイデンティティでもあるわけだから、当然と言えば当然だよね。

でも、属性の違う者同士では、その愛着が争いの原因になってしまう。

争いは、抗争になり、紛争になり、戦争になり、流血の事態に。。。

じゃあ、それを回避するには、属性を人工的に解消しちゃえばいいのか?

『レダ』とか『ダイバージェント』みたいに、属性ごとに隔離して生きる方法。オルダス・ハックスリーの『島』みたいに、おクスリで変性意識にしてしまう方法。オーウェルの『1984』みたいに粛清して属性を単一化してしまう方法。。。これって、ユートピアの皮をかぶったディストピアがやってしまう誤りの定番だよね。

天国というのは究極のユートピアであるわけだけど、その市民の構成は、各自が各自の属性を保ち続けているように見える。

あらゆる国民、種族、民族
言葉の違う民の中から集まった
だれにも数えきれないほどの大群衆

数えきれないほどの大群衆。。。きっと全時代の人類の総計だから何百億人もいるのかもしれない。。。それが互いに異なる属性を保ったまま、どうやって永遠の平和を生きることができるんだろう? 隔離するのでもなく、おクスリを使うのでもなく、粛清するのでもなく。。。

ヒントは。。。

白い衣を身に着け

。。。というところにあるのかもしれない。

聖書では、白い衣というのは、イエス・キリストの十字架の血によって、すべての罪が赦され、洗われ、輝くばかりに白くなった心の状態のことを指している *¹。

たといあなたがたの罪は緋のようであっても
雪のように白くなるのだ
紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ

異なる属性を保ったまま、しかも、みんなが白い衣になってる、って状態。わかりやすく言うと、ディズニーランドのイッツ・ア・スモールワールドの最後に出て来るホワイトルームみたいなもんかねー。さまざまな民族衣装を着たキャラクターたちが輪になって歌い踊るんだけど、衣の色はみんな白一色というイメージだ。

ひるがえって、自分の着ている衣、つまり、自分の心の状態を見てみると、「白い」と言えるにはまだ遠いなあ、というのが正直なところだ。

それはつまり、属性の異なる他者に腹を立て、拒絶してしまう自分が、まだまだいる、ってことだねー。

なので、日々反省し、イエスの十字架を見上げて行くしかない。

いつか、他者に腹が立たなくなったなら、その時は、天国へのお迎えが来るのかもしれない。

神の戦車よ
迎えに来ておくれ
やさしく、天国へと
連れて行っておくれ

Swing low, sweet chariot,
Coming for to carry me home,
Swing low, sweet chariot,
Coming for to carry me home.

。。。ていうか、オレらはもう、すでに神の戦車に乗せられているのであって、歴史の各室を通り抜けながら、ホワイトルームに向かっているのかもしれないねえ。。。

註)
*1.  Cf. ヨハネの黙示録 7:14
*2.  Cf. イザヤ 1:18

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