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なぜ、この世界線では、聖書はこのような聖書になっているのか? それについては、貢献した人物が2世紀にいた、っていう話です。

聖書というのは、ほんと、不思議、というか、謎の本だよね。

だれが聖書を作ったか、っていう議論があるけれど。。。

でも、みんなが気が付いた時から、すでに聖書は聖書だったんだよね。。。

それは、イスラエル・ユダヤ人にとっても、そうだったし、クリスチャンたちにとっても、そうだった。

今日の聖書の言葉。

あなたはわたしの隠れが、わたしの盾
御言葉をわたしは待ち望みます。
詩編 119:114 新共同訳

でも、聖書が聖書になるには、聖書はやっぱり聖書だよね、と、みんなが聖書として認識するモメントがあったわけで。。。

そのモメントに貢献したのがマルキオン(c.85-c.160)というグノーシス派の説教者だった。

グノーシス派というのは、ペルシャの二元論の影響を受けた思想のこと。

グノーシス派の世界観では、善神と悪神が永遠に闘争していて、善神が人類救済のためにいろんなアバターを地球に派遣する、というストーリーを信じていた。

このグノーシス派って、ニューエイジ系の世界観のルーツになっている。

で、マルキオンは、たくさんのアバターのひとりがイエスだ、と考えていた。

それだけじゃない。

旧約聖書の「神」は悪神だ、とマルキオンは考えていたんだ。

彼の目には、旧約聖書の神は、怒りと破壊と殺戮の神としてしか読み取れなかったんだねー。

旧約聖書の神が、悪神だとしたら、クリスチャンたちは悪神を拝んでいることになっちゃう。

もしそうなら、由々しきことだ。

そこで、マルキオンは、次のような提案を行うことにしたんだ。

① イエスは善神が派遣したアバターであって、ユダヤ人のメシアとは関係がない。

② 旧約聖書の神は悪神だから、クリスチャンは旧約聖書を読んではいけない。

③ 福音書と使徒の手紙にも、旧約聖書の思想に汚染されている文書があるから、それも読んではいけない。

④ 以上のスクリーニングをすると、クリスチャンが読んでよいのは、ルカ福音書とパウロの手紙だけになる。

⑤ ただし、パウロの手紙でもガラテヤ4:4は旧約聖書に汚染されているので、そこは削除すること。

なんでガラテヤ4:4が汚染されてるか、って言うと、「神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました」とあるからなんだ。

イエスをアバターとして受け入れる際に、このガラテヤ4:4が残ってたら、律法=旧約聖書を「聖なる文書」として受け入れなきゃいけない理由が発生しちゃう。

だから、ガラテヤ4:4を削除することをマルキオンは提案したんだ。

このマルキオンの提案は、2世紀のクリスチャンたちに大きな衝撃を与えた。

そりゃ、そうだよね。。。

だって、毎週日曜の礼拝で「聖なる文書」として朗読していた旧約聖書や福音書や使徒たちの手紙が、いきなり、クリスチャンが絶対に読んじゃいけないもの、としてチャレンジを受けたわけだから。

そこで、クリスチャンたちは、どうしたかというと。。。

まず、クリスチャンたちは、こう反応した。グノーシス派の世界観は間違ってるし、旧約聖書の神は悪神ではないし、イエスは多数のアバターのひとりではなく神の独り子だし、異邦人を救ってくれるけど、やっぱり基本ユダヤ人のメシアだ、っていう、自分たちがずーっと信じてきたことを、再確認した。

その再確認をした上で、クリスチャンたちは、「じゃあ、いったい、自分たちが礼拝で読んでいる文書って、だいじょうぶなの?」ってことを、調査することにしたんだ。

当時、どういうふうに礼拝が行われていたか、というと、クリスチャンたちはそれぞれの家に集まって礼拝してたんだけど、それぞれの地域ごとに「聖なる文書」のライブラリーを持っていた。

そのライブラリーには、70人訳と呼ばれるギリシャ語訳旧約聖書とその続編や、福音書、使徒たちの手紙があつめられていて、礼拝のたびにそこから選んで朗読していたわけなんだけど。。。

マルキオンのチャレンジを受けて、各地域のライブラリーを総点検して、わかったことは、グノーシス派が作った文書が相当まぎれこんでいる、っていうことだった。

いや、いや、いや、これは、相当ヤバイ事態じゃん! ってことを認識したクリスチャンたちは、ライブラリーに入っている文書を、イチからみんなでちゃんと読み直して、これはホントのホントに「聖なる文書」で間違いない、と思えるものだけ選んで、リスト化することにした。

そして、リストを絞り込んで、絞り込んで、すべてのクリスチャンたちが礼拝で「聖なる文書」として安心して読める決定版にたどりついた。

それが、いま、われわれが手にしている旧約聖書39巻と新約聖書27巻なんだねー。

なお、16世紀にプロテスタントのクリスチャンたちは、旧約聖書の続編を「聖なる文書」のリストから外したんだけど、その話は長くなるので省略。

あなたはわたしの隠れが、わたしの盾
御言葉をわたしは待ち望みます

もし、2世紀のクリスチャンたちが、マルキオンの提案に対して、超テキトーなヌルイ対応をしていたら。。。

そしたら、いまごろ自分は、旧約聖書がぞっくり抜けた「聖書」を読んでいたことになるかもしれないねー。

すると、当然、今日の聖書の言葉の詩編も欠落していたことになるわけで。

詩編119:114を唱えて祈る日曜日の朝。

ヨカッタ。この世界線、まだ、改変されてないみたい。

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