お気に入りのガジェットやプロダクトを感謝の祭壇に持って行く。
1930年代のイギリスの田舎の教会でのこと。
収穫感謝祭の礼拝のとき、祭壇にありとあらゆる神の恵みの賜物を並べて、人類に良きものを惜しみなく下さる神に感謝の祈りを捧げたんだって。
どんな具合にやったかと言うと。。。
第一週は、大地の恵み。秋に収穫される農産物を祭壇にくまなく並べ。。。
第二週は、工業製品。電球、ラジオ、アイロン、ドライヤー、電話機、ひげそりなどを並べ。。。
第三週は、海の恵み。いろんな魚貝類。大小さまざまな魚を並べて、礼拝堂は生臭くなってしまったそうだ。。。
そして、それだけじゃない。
さらにスゴイことに、魚のそばに小型の噴水を設けて、水が勢いよく吹き上がるようにした。。。んだけど、礼拝に集った会衆が「きよきながれあ~り~♪ 神の御座より湧きい~で~♫」と讃美歌を歌っているあいだに受け皿が壊れ、祭壇から会衆席の通路に水がじゃばーって流れて来たという。。。
今日の聖書の言葉。
もし現代の教会が感謝の礼拝を挙行するとしたら、祭壇にどういうものを並べるんだろうね? iPhone、Apple Watch、PC、Mac、iPad、Twitter、Facebook、Instagram、Amazon、Google、Netflix、Zoom、Teams。。。ものによっては並べずらそう。。。
真っ赤なリンゴを感謝の祭壇に! という感覚は、わかりやすいと思うんだ。でも、iPhoneは神の賜物? 人間が作ったものじゃないの? 神に由来する恵みとして祭壇に置くのは、ふさわしいことなの? と、ちょっとギモンに思ってしまうかもしれない。。。
神の恩恵と言った場合、神学的にはいくつかの階層があって、神の賜物はいろんなレイヤーで出来ている、とされているんだ。
簡単に言うとこんな感じ。
神の恩恵の第1のレイヤー「創造の賜物」
いまこの瞬間も呼吸している空気。喉を潤す水。実りをもたらす大地。変わることなく巡り来る季節。地球という環境そのものが、神から人類に提供されている最大の賜物だ。だから、大切にしないと。
神の恩恵の第2のレイヤー「いのちの賜物」
虫も、動物も、人間も、生きとし生けるものはすべてみな、神から命の息を吹き込まれることで、生きている。いのちは神からの賜物だ。いのちは神から出て、そして、神に帰る *¹。
神の恩恵の第3のレイヤー「救いの賜物」
神から離反した人間を救うため、神はその独り子イエス・キリストを与えてくれた。イエスの十字架と復活によって人類の罪は許され、永遠の命が与えられる。これは誰にも無償で与えられる恵みの賜物だ *²。無償であるわけは、キリストがその命をもって代わりに支払ってくれたから。これを贖罪とか償罪と言う。
神の恩恵の第4のレイヤー「聖霊の賜物」
神は聖霊の賜物を人類に与えている。ひとりひとりが聖霊の賜物を使うことによって「キリストのからだ」である教会が立て上げられて行く。賜物にはいろんな種類がある。説教する賜物。指導する賜物。教える賜物。貧しい人を助ける賜物。お金を管理する賜物。おいしい料理を作ってもてなす賜物。これ以外にもいっぱいある。賜物の多様性は働きの多様性でもある。注意したいのは、異なる賜物の間には序列や優劣は存在しない、ということだ。教会では、説教の賜物が、料理の賜物に優位する、とか、人を助ける賜物が、お金を管理する賜物に優位する、とかいうことがあるわけではない。それらは見た目が違いこそすれ、すべておなじひとつの聖霊の現われなんだ *³。
神の恩恵の第5のレイヤー「異教徒に与えられた聖霊の賜物」
えーっ? 異教徒に? なんで異教徒に聖霊の賜物が与えられるの? と驚く向きもあるかもしれない。けれど、昔のピューリタンたちは、異教徒に与えられる聖霊の賜物のことを「ユース」(Use)と呼んでいた。たぶん、社会に役立つ実用的な賜物という意味なのかな。これについてはカルヴァンが『キリスト教綱要』第2編2:15-16 で詳しい解説をしている。これだ。
こんなにいろんなレイヤーがある神の賜物だけど、これらは神がイエス・キリストにより聖霊を通して与えてくれている賜物、という意味では、おなじひとつの聖霊の現われなんだ。
そういうわけで、カルヴァンをまねするなら、こう言えるのではないかと思う、というか、言いたい。。。
現代の異教徒に与えらえた理性の光が、神の御霊のもっとも卓越した恵みの賜物であることを忘れてはならない。なので、その恵みを感謝するために、現代生活の便利な、あのガジェットも、このプロダクトも、あのデザインも、このプラットフォームも、すべて感謝の祭壇に持って行こう。
人々は、諸国の民の栄光と誉れとを携えて
都に来る *⁴
註)
*1. Cf. コリント一 8:6
*2. Cf. ローマ 3:24
*3. Cf. コリント一 12:4-11
*4. Cf. ヨハネの黙示録 21:26
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