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Come Sunday? シラナイ。。。 YMO? シラナイ。。。でも、最後の最後に頼りにするもの。

こないだYMOの話しを振ったら平成うまれのひとが「知らない」と言うんで、えーっ、じゃあライディーンとか聴いたことない?って返したら、「ない」って言われてちょーショックだった。

もう自分の世代がメインの舞台ではなくなってきたんだなあ、と感慨深かった。

で、考えたんだけど、自分も、自分より前の世代に同じような会話をしてショックを与えてたことがあったんじゃないか、って。たとえばチャーリー・ヘイデンの話を振られたら、自分は「知らない」「聞いたことない」って答えてたかもしれない。まあ実際のところは数年前ある方からチャーリー・ヘイデン(ウッドベース)とハンク・ジョーンズ(ピアノ)のジャズのアルバム「Come Sunday」を頂戴してたので、「いま」ならもちろん知ってるって答えられるんだけど。。。

あたりまえの空気のように思っていた仕組み、概念、アイコン、システム、人物、ふるまい、パターン、カルチャーが、実はもはや「多数」のひとたちにとっては、あたりまえではなくなっている。。。あたりまえと思っているのは自分だけ。。。ということのショッキングな寂しさ。そこで、ロスロリエンの森のあるじガラドリエルの言葉を思い出してしまう。

わらわは小さくなることにしましょう
そして西へ去って
いつまでも
ガラドリエルのままでいましょう

今日の聖書の言葉。

祝福されよ、主に信頼する人は。 主がその人のよりどころとなられる
エレミヤ書 17:7 新共同訳

過ぎ去り消えて行くのは自分の外側にあるものだけではない。内側にあるものも消え始めている感覚がする。頭はぼーっとすることが多くなったし、「なんだって?」って聞き返す回数が増えたし、目は飛蚊症でぼやけているし、酷い歯ぎしりに耐えかねて割れた歯が数本抜けてしまったし、突然に膝が痛くなって路上で立ち止まることがあるし。。。

あたりまえだったものが、あたりまえでなくなっていく世界そして自分。

だから、やっぱり、最後の最後に「心のよりどころ」になるもの。。。自分にとってはイエスさまを、しっかり握りしめていたいと思う。なぜなら、すべてのものが変わってしまっても、イエスだけは決して変わらないから *。

イエス・キリストは
きのうも今日も
また永遠に変わることのない方です

註)
*  Cf. ヘブライ 13:8


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