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このイベントは、人生のフィールド上のどこか特定の場所や時間にひもづけられているわけではない。

こどもにとって、他者から承認される経験をする、って、とっても大切なことだよね。

その積み重ねでもって、あー、自分、この世界に生きてていいんだ、という感覚が安定してくるわけだけど。。。

残念なことに、必要十分な量の「承認」をもらえない、ってこともある。

そうなると、やっぱり、なんかこう、生きてて漠然とした不安感を持ってしまうわけで。。。

ゼルダの冒険みたく、主人公のハートのゲージが一目瞭然で、承認があと何個不足してます、って直感的に見えたらいいんだろうに。

今日の聖書の言葉。

信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。
ヘブライ人への手紙 11:6 新共同訳

ゼルダの冒険では、特別イベントが発生すると、ハートのゲージが一気にチャージされる瞬間がある。

リアルな人生にも、そういうことがあればいいよなー、って思うんだけど。

あるんだよね。。。これが。。。

それは、創造主である神が、自分を「承認」してくれる、という瞬間だ。

ハートのゲージ1個点灯、なんてしょぼいものではない。

無限個のゲージがぜーんぶ一瞬で赤いハートになる完全チャージだ。

全能・全知・普遍・遍在・永遠・無限の絶対他者である神の「こころ」が、素粒子1個分の不足もなく完全に満足する、というレベルの承認。

全宇宙の全住人のあらゆる承認要求を完全に満たしてなお余りある完全かつ最終的な承認だ。

神の「こころ」は無限の容量を持っているわけだけど。。。だって、神だから。。。その神のハートが完全に満足する、しかも、満足している理由が、この自分による、ということ。

これを神学的には「神の義」と言うんだけど。

なんで、そんなことが可能になるか、というと、それは「信仰」によるのだ。

神は愛のしるしとして、神のひとり子であるイエスを十字架につけ復活させた。これが、この宇宙というゲームの根幹にある特別イベントだ。

このイベントの発生条件は、自分が信じた瞬間。

イエスが復活したことを、ぜんぜん見ないで、ほんとうのことだ、と自分のこころのなかで思った瞬間に、このイベントが発生する。

口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
ローマの信徒への手紙 10:9 新共同訳

このイベントは、人生のフィールド上のどこか特定の場所や時間にひもづけられているわけではない。

いつでも・どこでも・どんな時でも・どんな状況でも、ただ、イエスの復活を信じる、という、この単純な1個だけの「信仰」がトリガーとなって発生するんだ。

発生した瞬間、宇宙というゲームのなかで、自分あての「神」のメッセージがこのように響きわたる *。

あなたはわたしの愛する子
わたしの心に適う者

註)
*  Cf. マルコ 1:11
※ なお、詳細は設定資料集・攻略ガイド(聖書)を参照のこと。

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